蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

ミクソロジー  (bon)

2019-08-28 | 日々雑感、散策、旅行

 少し前に、新聞で「ミクソロジー」という言葉を見た時、いったい何? と一瞬思い
ましたが、しばらくして、アッそうか!とすぐにわかりました。

 カクテルなんですね。 しかし、私が知っている、これまでのカクテル、ウイスキー
やジン、ウオッカなどのスピリッツに、リキュールやフレーバーシロップなどをシェイ
カーで ミックスするのとは違って、新鮮なフルーツや野菜、ハーブやスパイスなどの
素材をスピリッツと組み合わせて作る 新感覚のカクテルのことなんです。
ミクソロジーカクテルというのが正確なのかもしれません。

     ミクソロジーカクテル例
       (キナリノHPより)

 

  1990年代にロンドン発祥で、その後ニューヨークに波及、日本にも上陸し、今や世界
中にブームを巻き起こしているようです。 最近では、ヘルシー志向の強い層や女性に
注目されているとありました。

 意外な素材の組み合わせもあるそうです。  例えば、「ジンとレタス」「ペリエと
トマト」「レモンジュースと魚介のスープ」など、挙げられていました。

  ミクソロジー(mixology)は、混ぜるを意味するmixと、科学・学問を意味する〜ology
を組み合わせた造語だそうです。 また、ミクソロジーカクテルを作るバーテンダーを
ミクソロジスト(mixologist)というそうです。

          (ネット画像より)

 

 
  また、カクテルといえば、その昔、1988年の映画「カクテル」で、曲芸のような技を
披露する “フレアバーテンディング”に人気が出て、その後一般に広がり、今では、
フレアバーテンディングの技を競う大会もあるようです。

          

  ダウンライトの薄明り、静かな雰囲気の落ち着いたバーカウンターで、唇に冷やっと
した感触、キッとアルコールのさわやかな刺激、耳にささやくやさしいメロディー・・

最近では、殆ど経験しなくなっていました。  マティニ、サイドカー、マンハッタン、
ジンフィズ・・  私は、ブルームーンが好きでした。

          (ネット画像より)

 
 今日、これから、三究会(山の会)で、木曽駒ヶ岳を目指して行ってきま~す。
私は、富山の方から来る仲間と、お馴染みの茅野駅で合流する予定です。諏訪大社を
見て、それから飯田方面に下る予定で、今夜は、昼神温泉で、名古屋方面、金沢方面
からの 皆と合流することになっています。 お天気がイマイチ。 

 

 

 

 

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フリードリッヒ・ハイエク  (bon)

2019-08-26 | 日々雑感、散策、旅行

     日没がいくらか早く、日の出が遅くなりました。
    『 秋きぬと 眼にはさやかに 見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる 』
    (藤原敏行 古今和歌集)そんな季節になりました。

 

 ビットコインに代表される暗号資産(仮想通貨)は、今年6月時点の時価総額は約16
兆円を記録し(ネット記事)、着実にその取引量が増加しているようですが、先頃、
FB(フェイスブック)が、この暗号資産を発行する計画があると発表し、大きな話題を
集めました。

  (当ブログ、2018.2.2「仮想通貨」に記事アップしています。)

 世界中に30億人とも言われるユーザを持つフェイスブックが、今年6月に発表した、
仮想通貨「Libra(リブラ)」のニュースは、大きな衝撃ともいえる波紋を投げかけまし
た。 開始時期は2020年とされていますが、世界中での決済・送金が金融機関を介さず
直接、手数料も安く(コスト効率性)、時間もかからず(即時性)、スマホなどで手軽
に(伝搬性)できるとなれば、金融機関の口座を持つ必要もなくなり、大きく流通する
可能性があるのです。

      リブラ
      (リブラHPより)

 世界の中央銀行、日本では日本銀行が発行する通貨(円)とは別の通貨(仮想通貨=
暗号資産)が流通することになり、想像もつかない現象が起こる可能性があるのですね。

 

 しかし、このことについて、今から40数年も前に提唱していた人がいるんです。
先ごろの新聞(読売新聞8月20日朝刊1面)に紹介されていました。

   ようやくタイトルにたどり着きました。

     フリードリッヒ・ハイエク
       (ネット画像より)

 オーストリア・ウイーン生まれの経済学者、哲学者、フリードリヒ・アウグスト・
フォン・ハイエク
という人が1976年に「貨幣発行自由化論」を発表し、通貨の脱国営
化論を提唱したのです。『通貨の自由市場が許可されるべきであり、市場における通貨
間の自由競争によって、最も健全で安定した通貨が発展する』 とするアイデアを提唱
したのです。 すなわち、

  1、中央銀行による貨幣の発行の独占をなくす。
  2、民間企業が、国境を越えて独自の通貨を発行する。
  3、独自の通貨は、特定の財、または複数の財に対する購買力が一定になるように
    発
行量を調整する。  
  4、企業は購買力のデータを公表する。著しく不安定だった場合、その通貨は捨て
    られ市場から消える。

 当時は勿論、インターネットのような手段はなかったし、それまでの歴史の中では
ずっと各国が制定した通貨が流通していたのでした。

 もっとも、通貨でなくても、例えば、最近時々見られる、地方自治体などが発行する
金券チケット(通常プレミアム付き)が発行され、地域限定あるいは加盟店のみで流通
できる仕組みがありますが、地域限定、期間限定で実施されています。

 ビットコインなど、仮想通貨(暗号資産)が次々と生まれ、投機的な側面も含めて
徐々に広がりつつある中で、世界中に30億人もの利用者を擁するFBが名乗りを上げまし
たので、大きなインパクトとなっています。

 

 日本銀行HPに、以下のように述べられていました。ちょっと長めですが、そのまま
コピペします。

『 「暗号資産(仮想通貨)」とは、インターネット上でやりとりできる財産的価値で
あり、「資金決済に関する法律」において、次の性質をもつものと定義されています。

(1)不特定の者に対して、代金の支払い等に使用でき、かつ、法定通貨(日本円や米国
   ドル等)と相互に交換できる

(2)電子的に記録され、移転できる

(3)法定通貨または法定通貨建ての資産(プリペイドカード等)ではない

 代表的な暗号資産には、ビットコインやイーサリウムなどがあります。 暗号資産は、
銀行等の第三者を介することなく、財産的価値をやり取りすることが可能な仕組みとし
て、高い注目を集めました。

 一般に、暗号資産は、「交換所」や「取引所」と呼ばれる事業者(暗号資産交換業者)
から入手・換金することができます。暗号資産交換業は、金融庁・財務局の登録を受け
た事業者のみが行うことができます。

 暗号資産は、国家やその中央銀行によって発行された、法定通貨ではありません。ま
た、裏付け資産を持っていないことなどから、利用者の需給関係などのさまざまな要因
によって、暗号資産の価格が大きく変動する傾向にある点には注意が必要です。』


 ハイエクという人は、『オーストリア学派の代表的学者の一人であり、経済学、政治
哲学、法哲学 さらに心理学にまで渡る多岐な業績を残した、20世紀を代表する自由主義
の思想家』 と評されていますが、1974年にノーベル経済学賞を受賞してから経済学の
主流に復帰した・・ともあり、かなり前衛的であったのかもしれません。

 それにしてもすごいな! と感心した次第です。

 

 

 

 

 

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キネマの天地  (bon)

2019-08-24 | 日々雑感、散策、旅行

 2~3日前にBSで日本映画を観ました。
 松竹大船撮影所50周年を記念して制作された『キネマの天地』です。上映は1986年
(昭和61年)で、舞台は、松竹が撮影所を大船に移転する直前の 1934年(昭和7~8年)
頃の蒲田撮影所での映画製作を中心とした、当時の映画人の情熱や時代背景を踏まえた
楽しい映画でした。

      (ネット画像より)

 映画は、井上ひさし らの脚本、山田洋次監督で、この映画制作のため、年に2作上映し
ていた『男はつらいよ』(寅さん)を1年間お休みしたそうです。 画面に次々と現れる
キャストは、「寅さん」シリーズでお馴染みの顔ぶれが揃って、まるで寅さん映画の続き
を観ているような感じを受けたのでした。

 当時の浅草帝国館を取り巻く浅草は、娯楽の殿堂が連なり大勢の客で賑わい、映画館内
は、まだ活弁による語りで、トーキーではありませんでした。 カフェやバーなどはいわ
ゆるモダン流行の晴れやかな雰囲気が強調され、反面、地下組織の思想犯とそれを追う
刑事などを織り交ぜた時代背景も強調されていました。

 

 そんな中、『キネマの天地』は、蒲田撮影所での新作品『浮草』(ツルゲーネフ原作)
を映画化するところから、キャスティングなどの紆余曲折を経て、無事完成・成功するま
でを、山田洋次監督独特の時代背景、庶民感覚、人情話などが織り交ぜられた楽しい作品
でした。
      

 「寅さん」映画と錯覚する印象が強く、それがまた愉快で、シーンに出てくる俳優は、
劇中主役で、映画館の売り子から大部屋女優、そしてスターにのし上がる田中小春(有森
也実)以外は、その父・喜八は渥美清、仲良し隣人のかみさんは倍賞千恵子、旦那は前田
吟、その息子に吉岡秀隆、女優役に美保純、それに下條正巳、三崎千恵子、笠智衆、劇中
監督に すまけい、助監督は中井喜一、さらにその他笹野高史、 松坂恵子、松本幸四郎、
堺正章、ハナ肇、桜井せんり、関敬六、佐藤蛾次郎などなどまだ他にも、勢揃いの感が
ありました。

     

 当時の蒲田撮影所は、田中絹代がスターへの一歩を踏み出した頃で、劇中の田中小春は、
田中絹代のイメージだとか、そのような映画製作の黄金期にあり、フィナーレの「蒲田
まつり」での『蒲田行進曲』を歌う、晴れやかな小春、とそれを陰で支えてきた父は、
晴れ舞台となった小春の主役映画を観ながら息を引き取る、そんなコントラストで終わる
のでした。

 映画の歴史が大きく展開し、全盛時代を迎えるそんなエネルギーの一端を残したい映画
人の思いを、蒲田撮影所を中心とした物語に込められているのかもしれません。

      (ネット画像より)

 この映画は、日本アカデミー賞の優秀作品賞、優秀監督賞、優秀脚本賞、優秀主演男優
賞、優秀助演男優賞、優秀助演女優賞、優秀新人賞など総なめにしているのでした。


 ネットの評に、『「キネマの天地」のしみじみとした人情味豊かな人間模様を描いた
映画の感動は、捨てがたいし、当時の日本の文化史の一面を描写していて、記録としても
貴重であると思う。 あの人情豊かな古き良き日本の風物や人生模様は、もう残されて
いないのだろうか? 』の下りがありました。

 

 

 

 

 

 

 

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綿の花  (bon)

2019-08-22 | 日々雑感、散策、旅行

       今日は、高校野球の決勝戦です。履正社(大阪)と星陵(石川)の対戦
      ですが、私にとっては、どちらも郷土愛好?なので両方応援しています。
             朝夕はいくらか 涼しさを感じるようになりました。

 

 ベランダで鉢植えした綿の木に花が咲いてきました。
 昨年はじめて、3つタネを蒔き
秋に無事、コットンボール(綿花)を20個ほど収穫しま
した。 このタネを、今年 5月頃に、今年は10個ほど同じ鉢に蒔いたのでした。

 ワタは本葉が出てから6月中旬ころ、1か月くらい成長停滞期となり、成長が遅くなり
ます。 この、成長停滞期はストリゴラクトンという植物ホルモンを土壌中に分泌して
共生菌を育てている期間で、勢い良く育つための準備段階なんだそうです。

 7月半ば頃から急に成長したようです。 連日、むせ返るようなベランダの過酷な真夏の
暑さにも、涼しげな緑色をした葉をいっぱいに広げ、ひとり育つ生命力に、いじらしさが
溢れ、さらにそれに、花が付き始めて来たのですから・・  華やかな園芸種ではありま
せんが、この後、秋の終わり頃まで真っ白なコットンボールが楽しめる愛らしい木です。

 昨日(8/21)パチリトした姿をご覧ください。

綿の花                 ツボミ
 


     一日で萎んだところ(ピンク色になります)
        

 

 全体の姿 
 

 

 栽培方法など、後になって詳しく見てみますと、根がしっかりしているから、菊蜂の
ような深鉢が良い、酸性は嫌いらしい、狭い面積にたくさんの種を蒔かない、受粉も手
伝った方が確実・・など反省するところ大であることが分かりました。
 昨年と同じ30センチほどの鉢に10個もタネを播き、それが育ってきていますので、株の
数が多すぎて、実の数は少なく小さいとありました。 そして、今からでも苦土石灰を
播こうかと思っています。

 昨年の、コットンボールについては、当ブログ「綿の実」2018.11.26に記事アップして
いますので、よろしければご覧ください。

      

 もう一つ、花置きのサルスベリ(小鉢)が、暑さに対抗しているかのようにずっと小さ
な赤い花をつけていましたが、このところさすがに、花はバラバラに広がってしまいまし
た。 それでもがんばっているので、記事写真に撮り上げてあげました。

 花置きのサルスベリ             場所を変えてみました
 

  サルスベリは、ミソハギ科の高木で、百日紅の名のごとく、夏から秋まで花をつけ
街路
樹としてお馴染みですが、こちらのは、盆栽仕立てのかわいらしい小さいものです。
 このベランダにも、かっては、2m位の赤、白がありましたが、今は、この小さいの
だけとなっています。 小さい鉢物は、置き場所を変えたりできますので、その点、
写真
には好都合です。

 

 

 

 

 

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香港  (bon)

2019-08-20 | 日々雑感、散策、旅行

 100万人を超える大規模なデモが、未だ収束しないどころか、次第にエスカレートして
いる感じさえ受けます。 香港の「逃亡犯条例の改正」を巡る、学生など若者中心の条例
撤回要求を掲げた抗議デモなんです。

 香港 は、映画などで見る高層ビル、人口密集、活発な経済などなど、そして、1977年
にイギリス領から中国に返還されたことも有名そのものですが、私にとっては、訪れた
ことは無く、恥ずかしながら実情についてしっかりと理解していないままでした。

        ヴィクトリアピークから
          (香港政府観光HPより)


 公園や道路、街を埋め尽くす大規模なデモ、そして、警察との小競り合いを垣間見ます
と、その昔、いわゆる「60年安保」当時、私たちも 連日のごとく隊列を組んで、御堂筋
(大阪)の真ん中で、警察機動隊と正面衝突していた頃を思い出さずにはおれないのです。

 政府方針に反対する正義軍団は、直接対峙する警察・機動隊などとの対立から来る感情
論もないまぜにした“怒り”も後押しとなり、ひたすら戦う意識に燃えていたようでした。

 香港の学生さん達が、空港を占拠した行動を「利用者の皆さんには迷惑をかけ申し訳な
いが、政府機関への訴え圧力強化のためやむを得ない。ご理解を。」のような発言がテレ
ビを通じて流れていました。 そして昨日(8/19)の雨の中、デモは170万人に膨れ上
がったと言われています。

 

 新聞報道や、ネット記事から勝手な解釈も含めて、改めて整理してみました。

 香港は、正式には「中華人民共和国香港特別行政区」といい、『一国二制度』の特別
行政区で、対岸のマカオも同じなんですね。

      香港
      (ウイキペディアより)


 香港は、アヘン戦争(1840~42年)後、大英帝国に割譲され、イギリスの植民地として
設立されて、155年後の1977年にイギリスから返還され、香港特別行政区として改編され
たのです。 

 ウイキペディアに、『イギリス時代の行政・官僚主導の政治から、一定の制限の下での
民主化および政党政治への移行期に当たり、社会主義国である中華人民共和国の中で2047
年まで資本主義システムが継続して採用されることになっている。』 とあります。

 つまり、香港は、中国の中の省や直轄地と同等の地方行政区ですが、香港特別行政区 
基本法等によって、返還後 50年間は一定の、自治権と中国本土とは異なる行政・法律・
経済制度の維持が認められているのです。
 香港は、「高度な自治権」を享受しているけれども、「完全な自治権」が認められてい
るわけではないのです。

 司法についても、 中国本土と異なり、「香港特別行政区基本法」に基づいて、英米法
(コモン・ロー)体系が施行されており、基本法の規定によって、中国本土の法律は「別
段の定め」がない限り香港では施行されないのです。 基本法の解釈問題以外の法体系は
イギリス領時代と全く同一で、従って死刑制度も存在しないそうです。

       

 ざっと、このような体制の中で今回の『逃亡犯条例改正』問題が浮上したというのです。
犯罪容疑者の中国本土への引き渡しを可能とする条例の改正検討が、今年 2月に香港政府
が表明したことがきっかけで、1万人規模の反対デモがあったそうですが、4月に香港政府
立法会(議会)に改正案が提出されてから、この反対が加速されて、6月9日には103万人
のデモとなり、警官隊との衝突や立法会の占拠など混乱が起き、改正案は、審議無期限
延期となったのでした。
 しかし、学生など若者が中心の反対派は、法案の『撤回』を要求して、この 5日には、
大規模なストライキによる交通網がマヒしたり、香港・中国両政府に対する抗議運動は、
収束の兆しが見えていない状況にあるのです。

  抗議運動は、中国と香港両政府に対する圧力を強めるよう、米英両政府等、国際社会
に訴えており、アメリカやオーストラリアなどでも、法案反対のデモが起き、アメリカ
政府(トランプ大統領)は、天安門事件のような武力介入が行われないようツイッターで
表明したり、折しも米中貿易摩擦に連動する様相も見えたりしています。


  詳しいことは知りませんが、イギリスから返還された時の、香港の「基本法」で、
中国政府と、一線を画したイギリスの考え(思料)に通じるものが、今回の「逃亡犯条例
改正」問題にその根があるように思われるのです。


 香港と境界を接する、中国広東省深せんの競技場に、数千人規模の中国武装警察が集結
し、
香港デモ隊に対して武力介入の可能性を誇示しているという。

 半年に亘る香港での混乱は、ひとり中国・香港の問題にとどまらず、EU問題、ホルムズ
海峡、イラン、北朝鮮など、今や世界が注目する大事件の一つとなり、ますます不安材料
が拡大しているのです。


 

 香港が舞台になった1955年の映画

 

 

 

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ラグビー  (bon)

2019-08-18 | 日々雑感、散策、旅行

 もう1か月もすれば、日本中がラグビーの熱気で埋められているかもしれません。
9月20日に、初めて日本で、ラグビーワールドカップが行われるのです。第9回となる
『ラグビーワールドカップ2019日本大会』は、日本の12の競技場で、20の国と地域の
チームの熱い戦いが行われるのですね。 
 来週、29日には、日本代表メンバーが発表されるそうです。

      ウエブ・エリス・カップ(優勝トロフィー)
       (ウイキペディアより)

 

 競技会場は以下の通りで、開催地域では、すでにいろいろと盛り上がっていることで
しょう。

   ・札幌ドーム
   ・釜石鵜住居復興スタジアム
   ・熊谷ラグビー場
   ・東京スタジアム
   ・横浜国際総合競技場
   ・小笠山総合運動公園エコバスタジアム(静岡県)
   ・豊田スタジアム
   ・東大阪市花園ラグビー場
   ・神戸市御崎公園球戯場
   ・東平尾公園博多の森球戯場
   ・熊本県民総合運動公園陸上競技場
   ・大分スポーツ公園総合競技場


  日本チームは、第1回から参加していますが、これまで、全て予選リーグで敗退し、
前回の第8回(2015年)のイングランド大会では、3勝1敗の好成績でしたが、勝点の差
で惜しくも決勝トーナメントに進めなかったのです。 今回は、自国大会でもあり、
先の、パシフィック・ネーションズ2019では全勝で優勝しており、何としても決勝に
進みたいとの意気込みであるそうです。

 今回の予選プール組み合わせは次のようになっています。(ネットから)

     予選プール組み合わせ
      

 日本は、プールAで予選を戦いますが、これまで 3回優勝のニュージーランドは、プー
ルB、優勝2回の南アフリカも同じプールB、オーストラリアはプールD、優勝1回のイング
ランドはプールCで、各プールの上位2チームが決勝トーナメント進出ですから大いに期待
できそうです。

 日本での試合会場は全国12の競技場に別れて行われます。優勝まで全48試合が行われ
ますが、昨日の新聞に、競技期間中に台風や地震などの災害が発生した場合の試合の処置
など安全と全試合日程などを考慮した議論がなされたと報じていました。
 ちょうど、台風10号での交通機関不通による大きな混乱があったばかりですしね。今回
はアジアでの初めての開催なので、この時期、のような事前準備も重要なことですね。

 

 ラグビーW杯は、1987年にニュージーランド、オーストラリア共催で第1回が開催され、
4年ごとに開催され今回が第9回ということです。

 ラグビーの歴史は、12世紀頃にイギリスで民衆の間で行われていたフットボールにその
起源を求められるとありました。多数の人々が参加する大規模な民族競技として、祝日の
行事として実施されていたようです。

 19世紀ころには、各学校が「校庭のフットボール」として、それぞれ特色のあるフット
ボールを行っていたようで、その一つであるラグビー校において、1823年のこと、ウイリ
アム・ウエブ・エリス君が当時のフットボールのルールを無視し、「ボールを腕に抱えて
走り出し」、ラグビーゲームの独特の形をつくりだしたそうです。
 今も、ラグビー校校庭の碑石に、このことが刻まれているそうです。

 当時のフットボールは、キックを中心としたキッキングゲームと、ボールを持って走る
ことを認めるランニングゲームとに大別され、前者を支持するグループは1863年にフット
ボール・アソシエーション(イングランド・サッカー協会)を設立し、後者は、1871年に
ラグビー・フットボール・ユニオン(イングランド・ラグビー協会)が設立され、今日、
サッカーとラグビーは完全にそれぞれの道を歩むことになったのだそうです。
 ラグビーボールは、持ちやすくするために楕円型になっているのですね。

 

 ついでに、ラグビーには、15人制と7人制(セブンズ)の2つがあり、日本に15人制ラグ
ビーが伝わったのは1899年で、その後1930年にセブンズの大会が国内で初めて行われた
そうです。
 15人制ラグビーは4年に1度、ラグビー世界一を決める大会「ラグビーワールドカップ」
が男女とも行われ、セブンズも4年に1度「ラグビーワールドカップ・セブンズ」が行わ
れ、男女共にオリンピックの正式競技となっています。

 

 日本では、1899年(明治32)に慶応義塾大学の学生に対し初めてラグビーの指導が行
われ、1910年、京都の第三高等学校にラグビー部が誕生し、翌1911年慶応対三高の試合が
行われ、同年同志社大学にもラグビー部が誕生して、この3校による定期戦が日本ラグ
ビーの草分けとなったとありました。

 大正時代に入り、関東では早稲田大学、東京帝国大学、明治大学、東京商科大学、立教
大学、法政大学、東京高等師範、中央大学、北海道帝国大学など、関西では京都帝国大学、
大阪高等商業学校、大阪高等学校、関西大学、関西学院などが次々にラグビー部を設立。
中学(旧制)の部やクラブも次第に増え、1924年(大正13)関東ラグビー蹴球協会(現、
関東ラグビーフットボール協会)、1925年西部ラグビー蹴球協会(現、関西ラグビーフッ
トボール協会)、1926年に日本ラグビー蹴球協会(現、日本ラグビーフットボール協会
)が設立されたのだそうです。(コトバンクより)

 戦後、西部ラグビー蹴球協会から九州ラグビー蹴球協会(現、九州ラグビーフットボー
ル協会)が独立し、三地域協会体制が整い、今日の発展に繋がっているとありました。

 

 テレビ観戦ですが、大いに楽しみたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

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生命  (bon)

2019-08-16 | 日々雑感、散策、旅行

           昨日は、74年目の終戦の日でした。武道館では、政府主催の57回目の
          全国戦没者追悼式が行われていました。 310万人に及ぶ戦没者に対して、
          何を祈ればいいのか、多くの尊い命に対して、ただ、安らかかれと願う
          ばかりです。
          また、大型の台風10号は、のろのろ移動で各地に大雨による災害をもた
          らしたほか、お盆の帰省シーズンにあたり、多くの人々の足を混乱させ
     ました。

 

 終戦の日に関連して「命、生命」を取り上げたわけではありません。「生命」について、
記事(井田 茂氏、東京工業大学大学院地球生命研究所教授、「地球外生命」)を読んで、
これほど身近で、大事なことなのに、普段ほとんど気にしていないことに気がついた・・
そんなことで、ちょっと取り上げてみました。

 ウイキペディアなどを見て、「生命」について、これほど難しい内容であるとは、思い
もよらなかったので、躊躇しましたが、難しい部分には触れずに、気がついた部分を主体
にまとめてみました。

       (ネット画像より)
 

 「生命とは何か」についての定義は、一筋縄で、これこれ云々とは言い切れない難しい
問題ですが、基本的には、生きているものと死んでいるものの区別、物質と生物の区別に
おける特徴や属性を表す言葉で、生き物が生きた状態で有しているものと言えるかもしれ
ませんが、生きた状態に宿っているもののような抽象概念もあり、「いのち」や、霊魂
など具体的に定義しにくいものまで多様な見方があるのです。
 生命については、哲学的な生命観があり、宗教でもその生命観がありますね。

 生物学的には、「代謝」に代表されると言っています。ウイキペディアには、『自己の
維持、増殖、自己と外界との隔離など、さまざまな現象の連続性をもって「生命」とする
場合が多い。』とあります。

 ここで、代謝とは、生命の維持のために有機体が行う、外界から取り入れた無機物や
有機化合物を素材として、物質を分解することによってエネルギーを得る過程と、その
エネルギーを使って物質を合成する過程をいい、これらの経路によって有機体は成長と
生殖を可能にし、その体系を維持している・・。 難しいですね。

        

 で、我々が知っている生命は、地球上の生物についてだけなんですが、地球上のすべて
の生物は、同一の先祖から発展してきた とあります。
 記事では、『 地球には、微生物や植物、動物といった多様な生命が住んでいるが、ゲ
ノム解析から、これらは一つの共通の祖先から進化して 枝分かれして来たことが確実に
なった。 多様に見えても、地球生命は一系統なのです。』 『人類も共通祖先から枝分
かれを繰り返していった無数の枝の中のたった一つの枝の先に過ぎないのです。』
 なので、一系統の例からだけで、生命とは何かを議論するのは容易ではない。生命の
起源に迫ることは難しいとも言っているのです。

 そこで、この記事の出番があり、「地球外生命」を知ることが、解決につながるのでは
ないかという見方です。つまり、ここに、地球外生命の発見の大きな意義があるといって
いるのですね。

 地球外生命については、当ブログ「第2の地球」(2018.2.20)に取り上げていて、太陽
系外の惑星、たとえば恒星トラピスト1には7つの惑星があり、その内の3つがハビタブル
ゾーンにある地球型惑星であることが分かっています。

 また、井田氏の記事には、この他、太陽系の隣のプロキシマ・ケンタウリ星のハビタブ
ルゾーンに、地球サイズの惑星が発見され、こちらもトラピスト1と同じ赤色矮星だそう
で、これは暗い星で、およそ地球とは違う表層環境を持っているので、地球とは似ていな
い惑星であるけれども、そこに生命を発見できる可能性があるかもしれないと期待されて
いるのです。

 太陽系の中にも、生命が存在する可能性があるというのです。土星の衛星エンケラドス
や木星の衛星エウロパの表面の氷の割れ目から水が噴き出していることが発見され、衛星
の表面下に内部海があることが分かり、内部海はかなり高温で活発な化学反応が起きてい
るとあります。地球でも、深海底で地熱エネルギーによって多数の生物が住んでいるわけ
ですから、ひょっとしてこれら土星、木星の衛星の内部海に生命が存在するかもしれない
のです。

 しかし、『 生命とは天体におけるエネルギー循環と物質循環の一部分であるならば、
生命の進化は天体ごとにかなり違っているかもしれない。』とも述べられており、共通
祖先から生命の仕組みが違っている可能性も高いと考えられますから、もし、生命が発見
されたとしても、他の系列の生命を前にして、われわれは、それを生命だと認識できるか
どうか? 地球上の同一系統の生命しか知るすべを持たない私たちに果たして理解できる
のかどうかと、新しい問いかけがなされているのでした。

 

 現在、TMT(口径30m)はじめ大口径の超大型望遠鏡計画が進行していて、早晩これらに
よって、ハビタブルゾーンの惑星の大気成分を観測して生命の存在を確認しようと世界が
動いているのです。

 

 

ホーキング博士が死の直前に書いた『最期の解答』、そして人類への警告とは?

 

 

 

 

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たちまち  (bon)

2019-08-14 | 日々雑感、散策、旅行

         今年のペルセウス座流星群も、13日当たりが極大を迎えましたが、
         あいにく明日(15日)が満月で、ここしばらくは月明かりで空が明るく、
     流星の観測は無理でした。ベランダは、深夜もモヮ~っと熱気があり、
     月が無くても明るいので、星の観測向きでないのですね。

 

 先日の新聞の書籍広告欄に、「たちまち 5刷」や「発売たちまち 3万部突破」が目に
止まり、「たちまち」というのは・・いったいどういう語源なのか?  似た言葉に、
「じき」「じきに」や「すぐ」「にわかに」「ちかじか」などがありますが、それぞれ
に微妙なニュアンスの違いがあり、ちょっと調べてみました。

  「たちまち」「忽ち」は、「わずかな時間で物事が進展する」「ある物事について、
予想以上の速さで状況が進み、事態があっという間に変わってしまった様子を表す」と
いう意味です。その語源は、『立ったまま事の成りを待つ意味の「立ち待ち」』に由来
する。とあり、もしやそうではないか?と思った通りでした。

      (ネット画像より)

 すなわち、昔、月を愛でる習慣があり、満月、十三夜、など、お馴染みですが、とくに
中秋の名月がその中心ですが、これに続いて、月を待つ風流な習慣がありました。
 陰暦15日の満月は、日の入りと同時に東から月が上ってきます。 16日は少し遅れて
「十六夜の月」、17日は更に遅く「立待月」。 月の出が、次第に遅くなるのですが、
立って待っているうちに出て来る。 18日は、立って待つより座って待つ「居待の月」、
さらに「寝待の月」など19日は、横に寝転んで待つ・・。

 いずれにしても、静かに月の出を待ちながら風流を楽しむ姿が想像されますが、江戸
時代あたりには、深夜から明け方の薄い三日月の上るのを待つ「二十六夜月」などが
あったそうです。こちらは、飲めや歌えの騒ぎであったそうです。(当ブログ「二十六
夜待ち」(2012.2.26)ご参照)

 月の出を 立って待つ時間は、現代のスピード 感覚で言えば、「短時間」とは言えま
せんが、昔のまゝの感覚が残っているのです。言葉というのは面白いですね。

“ 朝五時から焼き始めたパンが、開店と同時に忽ち売り切れた ”

 16日に出る月「十六夜=いざよい」は、ためらう、少し遅れるという意味から言うの
だそうです。 そして、立って待つの「立ち待ち」が、やがて思いがけず急に現れる
「たちまち」に変わり、現在の短時間で急速に変わる様子を表す「忽ち」になったと
ありました。


 また、「忽ち」は、「すぐに」という時間の速さ、短さという意味の他に、「衝動的
に」や「突然に」、あるいは「物事を軽くとらえて真剣に考えない」という 全然違う
解釈もあるとありました。

       

「じき」、「じきに」というのも、すぐという意味がありますね。漢字では「直」で
その意味は、  

① 時間や距離が近い・こと(さま)。 「 -にできます」 「頂上はもう-だ」
② 間に他のものが入らない・こと(さま)。直接。じか。 「 -の取引
③ 物事の関係がごく近い・こと(さま)。

とあり、 じき、すぐ・・も時間的に短時間のうちに、という意味ですが、単に時間が
短いということであって、たちまち のように、予期しない程早く短時間にという意味
合いの違いがあると思います。 さらに、似たような言葉を挙げてみますと、

「早晩」は、時間的に、それほど長くない「いつか」「そのうちに」の意味があります。
また「時期に早い遅いがあっても(近い将来には分かる)」という意味もあります。晩は、
この場合遅いという意味であり、それから言えば、遅かれ早かれ という言葉も良く使わ
れます。英語では、sooner or later ですね。

「いつか」「そのうち」は、はっきりとした期日は分かないが、それほど遠い将来では
ない、近い将来・・と言う時に使われ、上述の「早晩」のほか、
「近々」、「遠からず」、
「今日明日」なども使われますね。「おっつけ」などもあります。

 

 

 

 

 

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九鬼周造  (bon)

2019-08-12 | 日々雑感、散策、旅行

  九鬼周造(1888~1941)は、日本の哲学者で、日本固有の精神構造あるいは美意識を
分析し概念化した『粋の構造』は有名です。また、自身の存在から派生した(?)『偶
然性の問題』なども特異です。

 哲学者、九鬼周造の哲学観を西洋哲学の視点を取り入れながら分析し、「世界の哲学史
における日本哲学の位置づけを示した」と高い評価を受け、第36回渋沢・クローデル賞を
受賞した シモン・エベルソルトさん(31)が新聞(読売新聞、8月8日朝刊文化面)に
紹介されていました。受賞論文は「偶然と共同―日本の哲学者、九鬼周造」でした。

 渋沢・クローデル賞というのは知りませんでしたので、ネットを見ましたら、『1984年
に、創立60周年を迎えた日仏会館
が、創立者である渋沢栄一とポール・クローデルとを
記念して設けた賞で、2007年度まで毎日新聞社
、2008年度より読売新聞社が共催しており、
日仏両国において、それぞれ相手国の文化に関する優れた研究成果(著作や翻訳書)に対
して贈られる。』とありました。
 今回(36回)は、日本側の受賞者はなく、フランス側の受賞だけでした。

 シモン・エベルソルトさんは、パリで生まれフランス人の父と日本人の母を持ち、母と
は日本語で会話したり、日本にも良く来ていて、2011年から 5年間京都大学に留学し、
九鬼周造の研究に打ち込んだそうです。

 新聞の紹介記事によれば、彼は、必然性を根幹とする西洋哲学にあって、九鬼周造の
邂逅(偶然めぐり合う)によってすべての現象が生じるとの根本的な哲学の定立(テーゼ)
を強調するとともに、九鬼の偶然性の問題を考えると同時に普遍的なものを追及していた
とも指摘しているそうです。

      暑いベランダに咲くムクゲ(記事と関係ありません)
      

 

 また、研究論文(安立衣津美氏)によれば、九鬼周造という人は、明治21年に、官僚で
ある父と京都祇園の出と言われる母との間に生まれますが、母は当時 父の部下であった
岡倉天心と恋仲になり、父母は別居し、周造は母の下で暮らした。たまには父と会うこと
はあるが、父と母が会っているところを見たことがなかったという。

 論文では、『本来なら子供(自分)は夫婦の愛の結晶であるはずなのだが、父隆一と
母波津の間はもう冷え冷えとして何も残ってはいない。では、自分の存在とは一体何なの
か。 自分はなぜ、何 のために生まれてきたのか。複雑な幼少期の中で育った九鬼には
この体験が深く根を下ろしており、それが自分の存在に対して疑問を抱かせる要因となっ
たのは間違いないであろう。故に、九鬼が考える偶然性とは、存在の無根拠性、非必然性
を意味する。つまり、彼 が偶然性を問題にするとき、それは存在することもしないことも
あり得たにも関わらず、実 ・ 際に存 ・ 在してしまっている己の実存の無根拠性、非必
然性の問題に他ならない。』とあります。

 

 長くなりますが、私が若い頃に読んだ「粋の構造」の一部を当ブログ『粋(いき)の
構造』(2011.6.5)にアップしていましたので、以下に再掲します。

******ブログ 九鬼周造「粋(いき)の構造」より*************

 若いころに読んだ本の中で、印象に残っている一つにこの本があります。哲学者、九鬼
周造の「粋の構造」(1930、岩波)です。昭和5年の本ですからざっと80年くらい前の本
ですね。お読みになった方も多いと思いますが、どのような内容であるか 私の記憶して
いる・・というかインパクトを受けた中身かも知れませんがちょっと思い出してみたいと
思います。

 粋(いき)は、日本特有の特に江戸における美意識の一つであった。わび、さび など
と並んで日本の美的観念と共通部分もあるが、茶道の中で生み出された高踏的な「わび」
「さび」に対し、「いき」は、庶民の生活から生まれてきた美意識であるという点に特徴
があるという。
 「いき」には必ず異性に対する「媚態」が根本にあり、異性間の緊張がつねに存在して
いる状態がいきの構成要素である「つやっぽさ」や「色気」を作り出すとしている。・・
「媚態とは、一元的の自己が自己に対して異性を措定し、自己と異性との間に可能的関係
を構成する二元的態度である。 そうして「いき」のうちに見られる「なまめかしさ」
「つやっぽさ」「色気」などは、すべてこの二元的可能性を基礎とする緊張にほかならな
い。」・・・
 「異性が完全なる合同を遂げて緊張性を失う場合には媚態はおのずから消滅する。媚態
は異性の征服を仮想的目的とし、目的の実現とともに消滅の運命をもったものである。」 
 つまり、異性がお互いに ほのかに想い続けるその緊張感を持続させている状態であり、
その状態が崩れて「例えば合体など」してその緊張がなくなってしまえば媚態もなくなる
といっている。


 粋の反対語は「野暮」であるが、この異性間の緊張つまり媚態がほんのちょっとですぐ
にくっついて緊張が消滅するのは、粋でなく野暮かもしれない。また反対に、いつまでも
緊張が続きっぱなしでどこまで行っても緊張だけというのもまた、「野暮」というもので
あろう。長すぎた春、とか わからずや・・。

 いき は、この媚態が根本にあるが、このほかに「意気地」と「諦め」の要素もあると
いう。意気地は、江戸文化の道徳的理想が反映されていて、「江戸の花」には、命をも
惜しまない町火消、鳶者は寒中でも白足袋はだし、法被一枚の「男伊達」・・・江戸っ子
は、宵越しの金はもたねぇ とか 武士は食わねど高楊枝・・などがそれである。
 
「いき」は媚態でありながら、なお異性に対して一種の反抗を示す強味をもった意識であ
る。・・としている。 諦めは、一見粋とは関係がないように思えるが、「「いき」は垢
抜け していなくてはならぬ。あっさり、すっきり、瀟洒たる心持でなくてはならぬ。
 「思ふ事、叶はねばこそ浮世とは、よく諦めた無理なこと」なのである。」などから
見るように、諦めも粋の要素であることが分かる

       

 粋の構造として、九鬼周造は、図の様な一つの立方体を提案し、それぞれの頂点に意味
を与えて、対角、平面などにもそれぞれ意味を与えている。

 粋の自然的表現として、視覚に対しては、「姿勢を軽く崩す」「薄物を身にまとう」
とか「姿がほっそりしている」「薄化粧」「素足」などが挙げられており、いきの芸術的
表現として、模様は縞柄、それも細い縦縞が良いとか 色も鼠色とか茶色系などがより粋
を表現しているなど江戸文化の芸術を引用して細かく述べられていて面白い。

 
 私の断片的な理解と記憶から抜粋してみましたが、投稿記事の表現は書物から得た印象
にほど遠いものとなってしまいましたがお許しを・・。しかし、最近思い返してみると
その分析の面白さに改めて気づいた次第でその片鱗をご紹介しました。

*****
 この記事に寄せられた、MACさんのコメントも素晴らしいですね。

 

 

 

 

 

 

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熱中症  (bon)

2019-08-10 | 日々雑感、散策、旅行

  それにしても暑いですね。 お元気ですか?

 エアコンフル運転で、どうにか凌いでいますが、外に出た時などは、ホントじりじりと
焼け付くようです。 7月後半まで、最高気温が昨年の最低気温くらい低く、遅い梅雨明け
と共に急に気温が上昇しましたから、体温調節がうまく追い付いていないようです。

      (ネット画像より)


 もう何度も“熱中症に注意するように~”のアナウンスを耳にしますが、総務省消防庁
統計に、以下のグラフがありました。

    

                          (総務省消防庁HPより)

 図から、7月29日から8月4日までの1週間で、熱中症救急搬送された人は、18,347人
記録し、昨年(12,477人)を大幅に上回り、各県とも(秋田県は下回る)4~6割も
増え
ており、宮城県など昨年を倍増している県もあります。

 今年はそんなに暑いのか? ということで、東京都の気温を見てみました。
東京都の夏の気温、7月16日~8月9日の最高気温を昨年と比較して、下図を作成してみま
した。

    

 図から、7月25日あたりまでの気温は、むしろ今年は低く、それ以降にグッと上昇して
定常的に 35℃近辺を推移しているのですね。 しかし、昨年より、突出して高温である
とは
言えないですね。 そこで、東京都の今年7~8月の最高、最低気温のグラフを見て
みます
と、     

   

 上の図から、今年の夏は、7月の中頃までは、かなり低く、20日過ぎ頃から急に気温が
高くなり最低気温も25℃を下回らない熱帯夜が続いていることが分かります。

 この急激な気温の上昇、そしてそれが継続していることが、身体に強い影響があると
いうことなんですね。
  東京以外の地域では、これより気温が高い、36~37℃や38℃近いところもありますから
大変です。

         

 「暑さ指数」というのがあります。 暑さ指数とは、環境省HPに『 暑さ指数(湿球
黒球温度=WBGT:Wet Bulb Globe Temperature)は、熱中症を予防することを目的として
1954年にアメリカで提案された指標です。 単位は気温と同じ摂氏度(℃)で示されます
が、その値は気温とは異なります。暑さ指数(WBGT)は人体と外気との熱のやりとり(熱
収支)に着目した指標で、人体の熱収支に与える影響の大きい ①湿度、 ②日射・輻射(ふ
くしゃ)など周辺の熱環境、 ③気温の3つを取り入れた指標です。』とあり、平成17年の
データから、つぎのグラフが提示されていました。

       暑さ指数と熱中症患者発生率(環境省サイトより)
   

 このグラフから、暑さ指数(WBGT)が28℃(厳重警戒)を超えると熱中症患者が急激に
増加していることが分かります。

    暑さ危険度(環境省サイトより)
  

ここで、暑さ指数は次の式で算出されています。 つまり、

  屋外: WBGT(℃) =(0.7×湿球温度)+(0.2×黒球温度)+(0.1×乾球温度)
  屋内:  WBGT(℃) =(0.7×湿球温度)+(0.3×黒球温度)

で、
 湿球温度は、水で湿らせたガーゼを温度計の球部に巻いて観測する。温度計の表面に
ある水分が蒸発した時の冷却熱と平衡した時の温度で、空気が乾いたときほど、気温
(乾球温度)との差が大きくなり、皮膚の汗が蒸発する時に感じる涼しさ度合いを表す。

 黒球温度は、黒色に塗装された薄い銅板の球(中は空洞)の中心に温度計を入れて
観測する。黒球の表面はほとんど反射しない塗料が塗られており、直射日光にさらされた
状態での球の中の平衡温度を観測している。弱風時に日なたにおける体感温度と良い
相関がある。

 乾球温度は、通常の温度計を用いて、そのまま気温を観測する。

 子どもの頃、“日射病”という言葉があり、炎天下にいるとこれに罹る可能性があり
注意しなさい・・ということですが、最近では、この言葉はあまり聞かれなくなりました。
直射日光に当たらなくても、室内でも 夜でも気温が高いと罹る「熱中症」がより広い
概念で捉えられているからでしょう。

 甲子園では、連日熱戦が繰り広げられています。 昨年、多くの(650人弱)熱中症
患者を
出した甲子園では、今年、開会式でも給水タイムがあったり、ベンチには15度に
冷やした
ペットボトルが配置され、球場通路には28台のエアコンが増設されたそうです。
 入場ゲー
トには、ミスト噴霧機が新設。アルプス入場門には大型テント5張りに扇風
機も設置され
るなど、試合前に外で待機する応援団にも気がくばられ、また、応援団
休憩所も新設され
たとか。 昔は、“カチワリ”でしたね。

   開会式での給水タイム (ネット画像より)    
   

     入場ゲートのミスト(ネット画像より)
       


 熱中症予防の聞き慣れた言葉・・
『・こまめに水分・塩分補給する。 ・エアコンを適切に使う。 ・十分な睡眠・・』



 

 

 

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全英女子オープン (bon)

2019-08-08 | 日々雑感、散策、旅行

       連日猛暑が続く列島も、暦の上では今日は、早や「立秋」なんですね。
       もうひと頑張り、熱中症に留意してこの夏を乗りきりましょう。

 

 もう聞き飽きたかもしれませんが、渋野日向子プロ(20)全英女子オープンに優勝!
のニュースは、大方の人はその快挙に驚きと賞賛と新鮮さを持って受け止められたことと
思います。 8月1~4日、イギリス、ミルトンキーンズ近くのウオバーンGCで行われた
女子ゴルフのメジャー全英女子オープンで、メジャー初出場で初優勝を成し遂げたので
すね。

     帰国した渋野選手
      (ネット画像より)

 渋野選手は、昨年7月27日にプロテスト合格、翌28日にプロに入会した全くの新人で、
同年代の今回出場した畑岡奈紗、勝みなみ や、横峯さくら、上田桃子、鈴木愛ら日本を
代表する実力者のなかで、開催前の事前評では、渋野は、ほとんど名前すら上がってい
なかったのですね。 残念ながら、事前評の多かった畑岡は予選落ちし、他の選手も
上位には上がらなかった。

 そんな中で、165㎝、62㎏の渋野は、堂々と、むしろ茶目っ気たっぷり、最終ラウンド
でDBをたたいた後も落ち込むことなく、攻め続ける、平常心でプレーする姿は、これまで
の選手には見られなかった新鮮な感じがしました。

      優勝記者会見
      (GDOニュースHPより)

 メジャーでの優勝は、男女を通じて、1977年全米女子プロ選手権で優勝した樋口久子
以来42年ぶりといいますから、これはやはりすごいことなんです。全英女子で岡本綾子は
優勝していますが、この時はメジャー昇格前だったのだそうです。

 3ラウンド目あたりから、海外メディアからも注目を集め、ギャラリーも意識し始めた
ようで、スマイリング・シンデレラなどの評価をもらって 大々的に報じられているそう
です。 次のホールに移動する途中でも、観客とハイタッチを楽しむようなしぐさだし、
お菓子を食べたり まったく緊張というものを匂わせず、新人だから、初めてだからとは
とても思えない強靭な精神力というか性格なのかもしれないと思いました。 とにかく
すごいことをやりました。

 プロ1年で、俄かに世界中にまで有名になり、多くの人々に取り囲まれながら、孤独の
道を歩む彼女のこれからの進展を見守りたいですね。

 

 会場になったウオバーンGCは、ロンドンから北西に80kmほど離れたミルトン・キーンズ
(Milton Keynes)という町にあるそうです。 ここ、ミルトン・キーンズは、1967年に
ニュータウンとして指定され、開発が進められたのです。 ロンドンに対抗し得る大規模
な開発拠点を構築し ロンドンの集中を緩和し、多核都市圏を目ざそうという考え方なん
ですね。 指定時には、この地域には約4万人が居住していたそうですが、ニュータウン
の指定を受けて、人口25万人の都市を目ざして開発が進められたのです。

     ミルトンキーンズショッピングセンター
      (ウイキペディアより)

 当時(40年ほど前)、私は、ケーブルテレビや今でいうインターネットみたいな画像・
映像情報サービスの開発に携わっていましたので、ここミルトン・キーンズの都市化に
向けた情報サービスにも強い関心がありました。 つまり、職住近接のニュータウンに
若者をはじめとする人々を移住させるには、衣食住に加えて、交通の便は勿論、情報サー
ビスやエンタテイメント面でも充実した、豊かで快適な街作りを目指す必要があったの
です。

 この街は、今、人口23万人ほど、ほぼ目標に成長しているそうです。 全英女子オー
プンゴルフのお蔭で、懐かしい昔を思い出しました。

 

 

 

 

 

 

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十三湖  (bon)

2019-08-06 | 日々雑感、散策、旅行

     今日8月6日は、広島原爆忌です。9日は長崎原爆忌です。昨年までに原爆死没者名簿に
     登録記載された方々は、広島で31万4000人強、長崎で18万人弱に及び、この一年でさらに
     多くの方々が追加奉安されるのですね。 改めてご冥福をお祈りするばかりです。
     今日は、第101回高校野球の開幕です。 開会式の直後の第1試合に、青森の「八戸学院
     光星」が出場します。対戦相手は、初出場の愛知「誉」高校です。暑い甲子園で、今年も
     熱戦が繰り広げられることでしょう。
 

 

 十三湖、シジミで有名な 青森県津軽半島 五所川原市にある汽水湖です。 十三湖は,
十三湊ともよばれ、中世(鎌倉~室町時代)には、日本海沿岸の交易港として栄えたと
あります。 手元の記事「十三湊遺跡―本州最北の中世港湾都市」(榊原滋高氏、五所
川原市教育委員会主幹)から、2004年までに延べ159次に及ぶ調査を踏まえた詳細な歴史、
と当時の蝦夷地から遠く中国、朝鮮半島との関わり、そして京都への交流の中心的役割を
果たした港湾都市として14世紀中ごろから15世紀前頃にその最盛期を迎えていたそうです。

 この「十三湊遺跡」は、2005年(平成17年)7月に国の史跡にも指定されています。

 十三湖や十三湊の『十三』の名称の由来は、日本海と湖の間にある砂州に13の集落が
あったからとか、岩木川を中心に13の川が流入しているなどからとされているとありました。

      十三湖
      (ウイキペディアより)

 話は飛びますが、少し南の方、白神山地に、十二湖というのがありますが、こことは
全く無関係であるそうです。 5年前に山の会(三究会)で、白神山地方面を巡った時、
十二湖の入り口から20分あたりにある「青池」の神秘的な光景を眺めて来ました。また、
この旅行では、五能線の深浦の突端、黄金崎不老不死温泉の雄大な露天風呂から眺める
日本海を想い出しました。

     十三湖の位置
      (ヤフー地図より)

 

 津軽は、津軽三味線、太宰治で有名ですが、最近では、「シジミ」でお世話になって
います。十三湖のシジミは、宍道湖、小川原湖(青森県)と並ぶ日本有数のシジミ産地で
あり、資源保護のために1日の漁獲制限や禁漁区禁漁期間を決めるなどしてヤマトシジミ
の資源維持につとめているそうです。

      シジミ採り体験
      (青森県観光情報HPより)

 シジミについて、最近 我が家に、時々「網走産」の大きなシジミの味噌汁が出てきま
す。 大きなシジミで味も良く、このシジミは貝も食べています。 網走湖も汽水湖で、
ここのシジミは大きいことで有名だそうですが、漁獲サイズが厳しく管理されていて約
23mm以上の貝のみを漁獲しているというのです。 そして、ただデカイだけでなく
美味しいのです。

『寒冷な気候の北海道では、シジミの生育期間が長くかかり、その分天然の旨み成分を
たっぷりと凝縮されるためです。』とありました。

     網走湖のシジミ
      (横浜丸魚㈱HPより)

 

 

 

 

 

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長岡の大花火’19  (bon)

2019-08-04 | 日々雑感、散策、旅行

 昨夜は、地域の花火大会があり、孫たちは会場に行って見てきました。朝霞市は、毎年
この時期「彩夏祭」と称して、日中は、よさこい踊りが繰り広げられ、すぐ近くのグラン
ドの特設ステージでも競演が行われています。

 長岡の大花火は、毎年、8月2~3日の両日、信濃川の両岸の客席に100万人超の観客を
集めて迫力満点に行われています。
 今年、終わったところですが、記事に取り上げてみました。(私は、2~3日ともテレ
ビ観戦でした。)

 その歴史や花火の仕組みなどにも触れてみました。 また、youtubeに今年(2019年)
のライブ映像がアップされていましたので、末尾に掲載させていただきました。
 広い川幅を利用し、夜空のキャンバスに大きく面的に打ち上げられた花火、正三尺玉
(30号=90㎝=300㎏)の大型花火など、画面ですがお楽しみください。

      (ネット画像より)

 そもそもの歴史は、140年も前に遡るのだそうです。 明治12年(1879年)に、遊郭
関係者が資金を出し合って350発の花火を土上げたのが始まりだとありました。

 今は8月2~3日の両日ですが、当時は、9月14,15日の八幡様のお祭りで花火が打ち上
げられたとありました。 大正15年には、正三尺玉の打ち上げに成功し、昭和2年には
スターマイン(速射連発)が既に打ち上げられたのだそうです。

 戦争中は、中止されていましたが、昭和20年8月1日の夜、B29による大空襲を受け旧市
街地の8割が焼け野原と化し、1500名弱が命を落としたとあります。 そして、翌、昭和
21年8月1日に「長岡復興祭」が開催され 翌年から花火が再開するのです。
 その後、8月1日は、「戦災殉難者の慰霊の日」、2~3日は「花火大会の日」と定めて、
さらにこれを『長岡まつり』と改称して今日に至っているのですね。

 秋田の大曲、茨城の土浦の花火とともに、日本三大花火などともいわれていて、いずれ
も壮大なスケールで開催されているようで、ここ、長岡も一度は行って見たい気がして来
ました。

    花火の大きさなど
     (日本の花火HPより)


 花火といえば、子どもの頃、大阪では「水都祭」といって、天神祭の頃?に打ち上げ
花火がありましたが、この頃の花火は、一発ド~ンとあがると、しばらく休んで、やや間
が空いて いきなり上がりますから、離れたところで、よそ見していたりして、音が聞こ
えて振り返ると、花火はもう消えている・・そんな光景でしたね。
 最近の花火は、スターマインなどが主流で、電気仕掛けで間断なく打ち上げられるので
すね。

 また、余談ですが、40年ほど前に関西に勤務していた頃、富田林市のPL学園(教団?)
のゴルフ場で、「PL花火芸術」と称する大掛かりな花火を、お弁当付きの観覧席で楽しん
だことがありました。お茶のお給仕は、PLの女子学生が担当していたようでした。

 

 

大迫力!長岡の大花火2019 8月2日 LIVE

 

 

 

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大学ノート  (bon)

2019-08-02 | 日々雑感、散策、旅行

     今年も早や、8月に入りました。関東では、肌寒い小雨模様が続いた7月が
    下旬頃から急に暑くなり、34,35℃の日中の日差しは焼け付くようです。
     先週には、隅田川の花火が夜空を彩りましたが、今日は、長岡の大花火
    明日土曜日)は、私の街(朝霞市)も9000発の花火が揚がります。 今月は
    各地で花火大会が賑やかに催されることでしょう。

 

 何の脈絡もなく、フト、“なんであのノートのことを『大学ノート』というのだろ?”
と、どうでも良いことですが、頭をよぎったのでした。 ノートは、正しくはノート
ブック
のことですが、なぜ大学?なんでしょう。

 ウイキペディアに、『 多目的な利用を想定したノート。上部に見だし欄と日付記入欄が
ある他は横罫線のみで基本的にマス目はない。中学生、高校生、大学生などが授業に利用
することが多い。 一般的にはB5、あるいはA4サイズのものが用いられる。』 とあり、
なぜ大学というかの 名称について、次のようにありました。 すなわち、

『東京大学の前の松屋という文房具屋で1884年(明治17年)に売り出された。当時として
は珍しい洋紙が使われ、表紙に細かい毛が入った紙を使用し、庶民にはあまりに高価で
帝大生ほど学問が出来なくては使えないということで 次第に大学ノートと言われるように
なったのが名前の由来と言われている。』とありました。

 大辞林などには、簡単に『大判の筆記帳。普通は B5 判で横書き。大学生の講義筆録用
に作られたのでいう。』とあり、 そういえば、帳面とか筆記帳などといって、小学生、
中学生用のノートがありますね。国語、音楽、算数など科目に特化したマス目の学習帳が
あります。
 最近では、表紙も賑やかに絵が描かれていたり、洗練されたデザインのノートもあります。

      (ネット画像より)

 なんだか、“スッと” 終わってしまったので、「大学イモ」はなぜ、そのように名づ
けられたのか、も気になってきました。

  大学イモは、『 大正から昭和にかけて、東京の神田近辺(学生街)で大学生が好んで
食べていたため、ついたといわれる。また、昭和
初期に帝国大学の学生が学費を捻出する
ためにこれを作って売ったのが名前の由来だという説もあるが、大学芋のメーカーである
台東氷業(東京都台東区
雷門)の話では、帝国大学の赤門の前に三河屋というふかしいも屋
があり、大正初期に蜜にからめた芋を売ったのが大学生の間で人気を呼びこの名がついた
という。三河屋は、1940年
(昭和15年)まで門前で営業していた。
 また、早稲田大学のある高田馬場周辺が発祥であるともされる。
』(ウイキペディア)

 やはり、「大学芋」という名も大学に関連したものだったのですね。 こちらは、東大
とか早大が絡んでいるんですね。

 

 あの、箱で焼かれた四角いパンのことをなぜ わざわざ「食パン」というのでしょう。
食べるパンなのに、なぜわざわざ食パンと言わないといけないのでしょか?  どうでも
良いことながら、ちょっと調べてみましたら、ウイキペディアに、

『「食パン」は日本語における呼称で、日本での造語である。日本人が型に入れて焼いた
軟らかいパンのことを「食パン」と呼ぶようになった理由については、「美術のデッサン
の時に描いた線を消すのに用いるパンを『消しパン』と呼称し、それに対して食用のパン
を『食パン』と呼称し始めた」とするものや、「明治初期に外国人が主食として用いて
いること(『主食用パン』であること)を示す言葉として使われるようになった」とする
ものなどの説がある。』

 そういえば、私が中学の頃、クロッキーをやっていた時に、パンで消していましたね。 
パンは、好きでよく食べます。 食パンでは、ホテルブレッド、パン・ド・ミ、山形の
イギリスパンなど、その他では、クロワッサン、バターロール、バケットなど。菓子パン
では、メロンパン、アンパンなども良く食べます。 
 最近では、街のパン屋さんが増えましたね。

 「どら焼き」は、『 形が打楽器の銅鑼(どら)に似ることから』のほか、関西方面で
は、形が奈良県の三笠山に似ているところから「三笠」とか「三笠焼き」と呼ばれている
とありました。 私が子供の頃は、「三笠」しか知りませんでした。

      (ネット画像より)

 どら焼きが出たところで、「今川焼」はどうでしょうか?

『 江戸時代中期の安永年間、江戸市内の名主今川善右衛門が架橋した今川橋付近の店で、
桶狭間合戦にもじり「今川焼き」として宣伝・発売し評判となったため一般名詞化して
広がった』とする説や、『駿河国などを治めた守護大名・戦国大名、今川氏の家紋である
二つ引両(引両紋)を由来とする』説があるそうです。 いづれにしても、明治時代には、
庶民のおやつとして大流行していたとあります。

 今川焼も、形状や製法あるいは商品名として、さまざまな名称が付けらています。

  今川焼、大判焼きなどは全国的に呼ばれているようですが、私などは関西でしたから、
回転焼き と言っていました。商品名では、どこかのデパートの地下で、御座候 といって
売っていましたね。このほか、太郎焼き、志(じ)まん焼き などと言うのもあるとか。
また、JRA競馬場
内で販売する「G1焼き」などもあるとありました。

     

 エアコンが効いていて、熱めの煎茶が呑みたくなってきました。

 

 

 

 

 

コメント
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