蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

大量絶滅  (bon)

2017-07-28 | 日々雑感、散策、旅行

 いきなり物騒なタイトルで失礼しました。 先日の立山ハイキングで、雨で山小屋談義の
中で、恐竜の話から種の絶滅の話など、普段には話題にならないような高尚?な話にしばし
盛り上がったのでした。で、最近読んだ会報記事を思い出し、ここにアップしてみました。

 一億年以上もの長い期間、地球を支配してきた恐竜が、6500万年前に直径10㎞の小惑星が、
メキシコのユカタン半島に衝突した事で 絶滅に追いやられたとされています。 地球
衝突時
の直接的なエネルギーによる破壊の他、発生した火災と衝突時に巻き上げられた塵埃が太陽
の光を遮り、全地球規模の気温低下を引き起こし、植物などの食料が枯渇したことが原因と
考えられているのです。この時は、恐竜だけでなく地球上の3/4の生命が死滅したといわれ
ています。

 何度も引用させていただいているグラフ(下図)ですが、カンブリア爆発(生命の多様化
が始まる)の 5.4億年前から現在まで 大量絶滅は少なくとも5回あったとされ、2.5億年前に
起きた大量絶滅では、地球上の90%の生物がいなくなったのだそうです。

           顕生代における生物多様性
       
           (黄色の▽が大量絶滅期を示す。5回)

 

 グラフから、この大量絶滅が起こった間隔を見ると、だいたい5000万年から1億2~3000万
年で起こっています。私たちの生活時間感覚から見れば、気の遠くなるような時間ですが、
このような大量絶滅を繰り返してなお、現在の生命の繁栄が築かれてきたのですね。 

 手元にある会報記事『恐竜研究からのメッセージ』(小林快次氏、北海道大学総合博物館
准教授、恐竜博士)には、深刻な記述がありました。それは、生命が誕生した38億年前から
の「生命史」の中で、絶滅速度を計算して どの時期が最も絶滅速度が早いかをみると、
上で述べた恐竜の絶滅時(6500万年前)でもなければ、90%絶滅した2.5億年前でもなく、
なんと!絶滅速度が一番早いのは「現在」であるというのです。
 (訳注:現在の絶滅スピードは過去の1000倍以上といわれています。)

 

 その原因は何か?この論文のその部分をそのまま引用しますと・・

 『世間では、温暖化ということが注目されている。もちろんそれも環境破壊において大き
な要因であることは間違いないが、それよりももっと大きな原因は私たち人間にある。
 72億個体という恐ろしい数に“繁殖”した人間たち。地球が受け止められる許容量を超え
てしまったのだ。 私たちの存在自体が地球に負荷をかけ、その負荷に耐えられない地球が
悲鳴を上げている。 今は何事もない平和な時が流れているように感じるが、実は大量絶滅
の真っ最中であり、生態系は崩れ、私たち人間を含む生物たちは絶滅へと向かっている。』 
(訳注:人間による環境破壊‥生息地の破壊、乱獲、汚染、外来種の侵入、温暖化が原因)

 過去の長い歴史の中で、あらゆる環境に生活圏を伸ばし 繫栄し、1億数千年も地球を
支配して、そして絶滅した動物は「恐竜」なんですね。そして、この恐竜は、小惑星の地球
衝突が原因で絶滅した。 しかし、恐竜と同じように繫栄し支配し続ける人間は、小惑星で
はなく人間そのものの原因で絶滅するとの理屈になるわけですけれども、会報記事執筆者の
小林恐竜博士は、次のようなメッセージを述べられています。

 『私たち人間は、恐竜ではない。人間には、他の動物にはない「考える力」「伝える力」
を持っている。』と。

          ニホノサウルス
           (ウイキペディアより)

  つまり、ただ本能に身を任せるのではなく、現状を認識して、考えて、行動することに
より、少しでも、絶滅の時期を遅らせることができるのではないか。一人一人の力は小さい
けれども、全地球的に考えれば大変大きな力になるわけで、今、何ができるか、何をすべき
かを考え 実行し、そして後世に伝えてゆく・・そんな大きな理念が求められているのですね。
どこかの“自分ファースト”のような短絡したエゴイズムは遠慮すべきなんですね。

  注)北海道大学は、日本における恐竜研究の発祥の地であり現在もリードしています。ウイキペディアから
   引用した「ニッポノサウルス」は、1934年に北大教授により発掘されたのです。


  
 今日、この後すぐに蓼科農園に出発します。
今年、4回目で、ジャガイモなどの収穫を予定しています。旺盛な雑草の広範囲にわたる除草
と作物への追肥、手入れなどがメインです。 熱中症にならないよう注意しまぁ~す。

 

 

 

アリソン・バルサム (イギリスの女性トランぺッター)

 

 

 

 

 

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三究会 ‛17  (bon)

2017-07-26 | 日々雑感、散策、旅行

        第88回 都市対抗野球大会は、NTT東日本が優勝しました。
         電電東京時代に優勝して以来、36年ぶりの優勝でした。            


 今年の三究会は、2017.7.22~24 の立山ハイキングでした。

 関東など広い地域で梅雨明けし、暑い夏空の中の出発でしたから“まさか!”と思い
きや、北陸はまだ梅雨の中で、初日はまずまずのお天気でしたが、肝心のハイキングの
早朝から強いガスから霧雨、そしてどしゃ降り・・室堂山荘の出発を遅らせても、雨は
小止みになるどころか激しい音を立てるばかりでした。 仕方なく、ハイキングは断念
して、室堂からターミナルまでの10分間徒歩も、雨具の完全武装となりました。
 秋田、新潟では大雨被害が出ている有様でした。

 今年の計画は、立山駅―室堂山荘泊―浄土山―龍王岳―室堂ターミナルのハイキング、
下山して、春日温泉「ゆーとりあ越中」泊―鵜坂神社参拝 の、ゆったりとした行程
でしたが、かなりの雨のため、予定はすっかり狂ってしまい、早々の車移動となりまし
た。
「とやま健康パーク内 イタイイタイ病資料館」見学のほか、コーヒーショップ、食事処
など十分な談笑タイムとなり、年に一度、さらに久しぶりのメンバーの絆は一層深まっ
たのではないか? などと思い直すのでした。

   

 初日の下界は、30℃は有に超えていたようでしたが、さすが立山室堂(2420m)では
16℃台の涼しさで、明るく薄日が差し、山々に囲まれた別天地を思わせる環境でした。
山肌には、これまでになく、多くの雪が残されていました。 立山雄山の勇姿を目前に
見上げ、これまで何度か訪れた景色に、懐かしさと共に安心感に似た安らぎを覚えるの
でした。

山肌に残る雪景色            みんな元気(室堂ターミナルにて)
 

 

 室堂山荘には、16時前に入り、寛ぎながら、みんなの この1年の出来事や体調などの最近の
状況が話題となり、さらに、グラスを傾けながら、これまでの数々の想い出話に旧交が暖まり、
そのままの雰囲気で山小屋の夕食、そしてまた部屋での団欒と続くのでした。 外は強い風が
吹いていて、明日の天候が危ぶまれていましたが、取りあえず、明朝6時の朝食と決めて21時
過ぎには就寝しました。

 翌朝5時に起床した時は、外は深いガスから霧雨状態でした。 朝食を済ませた頃にはどしゃ
降りとなり、残念ながらハイキングはこの時点で取り止めとなりました。 みんな気落ちしな
がら文頭に書いたような状態で、時間を持て余すような一日となってしまいました。

         雨の中 室堂山荘にお別れ   
          

 

 しかし、このおかげ? と言っては申し訳ないですが、イタイイタイ病資料館を訪問できた
ことは大変良かったと思いました。 大きな事件(公害)で、誰もが知るところですが、間近
に映像での解説を聞き、その年表からも 改めて住民の被害と苦しみ、そして戦い(裁判)の
歴史を知ったのでした。 完全和解が成立した、調印文書の日付はなんと平成25年とあり唖然
としました。わずか4年前だったのです。
 原因の鉱山の後地は、ノーベル物理学賞を2人も出した『カミオカンデ』のある あの場所と
なっているのです。

 

 こんな状態で、雨の2日目は、富山市内もかなりの雨で、車を降りる場所は、飲食店くらい
しかなく、冒頭の記述のような状態で早めに今夜の温泉ホテル「ゆーとりあ越中」に入り、
ここで合流予定の 3人を待つこととしたのです。
 久しぶりに再会する 3名を含めて、お風呂につかり、あとは楽しい宴会へと流れ、アルコー
ルも入り、懐かしい想い出話に大いに盛り上がるのでした。

  楽しい宴会 
 

 

 「三究会」というのは、前にも書きましたが、①自然を究め、②お湯を究め、③味を究め 
そして人生を究める・・会を目指し、昭和59年(1984年)からずっと続いている楽しい仲間で、
発足当時から もっぱら登山中心で、第1回目の白山から剣、唐松、薬師、槍、燕・常念、奥穂、
八ヶ岳、白馬、白山(10回記念でテント泊)、茶臼、御嶽、大雪、仙丈、黒部五郎・三俣蓮華、
燧ケ岳、ヨーロッパ(ユングフラウ・モンブランなど)、剣岳(登頂成功)・・と続き、月山、
白馬鑓(天空の温泉)、八海山、四阿山、谷川岳などを経て、直近では、温泉中心の青森秋田
温泉めぐり(不老不死、酸ヶ湯など)、伯耆大山(美肌郷、玉造など)、西穂(新穂高)、
そして今年の立山ハイキングまで34年目となったのです。
 元気だった仲間も今は、足腰の体調不良を抱える身となり、いつまで続くかわからないけれ
ども、三究会は登山の会にあらずで 気楽に楽しめれば・・と、みんなは考えているようです。

 梅雨の中の今回を誰かが言っていました。『まるでグルメの会だったみたい!』と。

     春日温泉ゆーとりあ越中 玄関にて勢揃い 
         

 

 3日目も雨は残っていました。 かってブログに記事アップ(2015.6.18)しました
「鵜坂神社」に参拝して、今はひっそりとした境内から昔の隆盛を偲びつつ、また、来年を
約してお別れとなりました。

鵜坂神社                 善男善女   
 

 

皆さんありがとうございました。


 オートスライドを作成しました。(3分です。)
 雨で山の風景はあまりありませんがどうぞご覧ください。

 





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数独(9)  (bon)

2017-07-20 | 日々雑感、散策、旅行


            昨日、関東も梅雨が明けたらしいようです。埼玉のここ、
                   朝霞というところは、雨の降らないところで畑は大変です。
             大相撲名古屋場所は、稀勢の里が早々に休場しましたが、
                   宇良が金星を上げ、白鵬の1047勝も目前で足踏みしたものの
                   どこまで、記録が延びるでしょうか?

 

 連日暑い日が続いています。

 今日は、数独をアップしました。  数独(ナンプレ)など、全く興味ない人もいます
が、やっている人も結構おられるかもしれません。 時折、電車内などで、エンピツを
走らせている人を見かけたりします。

 これって、何の生産性もなく、ひどい時には何時間もかかったり、それこそ時間の無駄
使い・・という側面は否めないかもしれません。 しかし、一見、手も足も出ない(この
場合足は無関係)状態でも、何とかしているうちに解けてゆく・・そんなところに小さな
達成感を見つけて、また次にチャレンジする。そんな静かな一人遊びなんですね。

 私も、これを始めてもう何年も経ちますが、言ってみれば、81個の升目に、タテ・ヨコに
数字の1~9をただ1度だけ使うという単純なルールの中から、その仕組み みたいなものが
次第に分かって来て、どの仕組みをどういう局面で使うか・・などが、上級問題へのグレー
ドアップに繋がるのだろうということがわかってきたような気がしています。 でも、まだ
まだ上があるんですね。(ルールなどは、数独 (当ブログ2012.2.6)をご参照ください。)

 

 何も他にすることが無いの?  いえいえ、これといった仕事は無い身にも、小さな菜園
のお世話や草花の管理、ブログなどPCとの付き合い、テレビを見る、友人と外出など、それな
りに時間は瞬く間に過ぎ、一日が長く感じることはまずない、一週間が早い・・そんな感じで
はあります。

 

    本文と関係がありませんが、ちょうど、市民農園では、近くの園児たちが
    集まっていました。(園児たちの区画のすぐ手前が私の区画です。)

      市民農園の写真
         

 

 会社人間時代は、ほとんどすべてが会社関連の事柄に時間を使っていましたから、その頃
には今のような生活時間は殆どなかったということなんですね。 いいのか、よくないか?
・・そんな問題ではなく、自然にそのようになって来ている・・ 流れているにすぎないの
かもしれません。 心機一転何かに向かって挑戦する・・そんなことも、確かにあるのでしょ
うけど、今は、そんな気が起きないのですね。

 まぁ、健康であることを唯一の願いとして、日々あまりストレスを感じずに過ごすことを
願っています。

 あぁ、歳を取ったもんですね~。

 

 お待たせしました。 数独問題の出題は、市販の「ナンプレVINTAGE200」から4問選
ました。 なるべく、数字を仮置きしないでやってみてください。

     
                     (4は、青いですが、黒の間違いです。)
   

    
                      

 
   

 明後日から、今年の山、立山に行ってきます。お山は涼しいだろうな・・! 

 

 

 

 

 

 

 

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おとがい  (bon)

2017-07-18 | 日々雑感、散策、旅行

 “おとがいに 何か ついているねぇ。” “あぁ、おいし。おとがいが落ちるよう。”
どと子供の頃、食事時に、おふくろが言っていたことが、フッと頭に浮かんできました。

  このころ、“おとがい”は下あごのことであるとわかっていました。
 子供の頃でもあり、そん
なもんだと思い、特段 気にもならず、その内就職で家を離れて
しまいましたから、この言
葉の事などすっかり忘れていました。 それが、フッと、どう
いう加減か分かりませんが 頭
に浮かんできて、“あれ!この言葉って、方言?それとも
我が家独自のことば?” 我が家以
外では、全く耳にすることもなかったので、ひょっと
して我が家だけに通じる言葉なのか
も? と思いながら、念のために、ネットを検索して
みましたら、ありました!

  ウイキペディアに 『(おとがい)は、ヒトの下あごまたは下あごの先端をさす語で
ある。解剖学用語としては
オトガイと表記し、下顎骨の先端部をさす。ヒトでは頤の形に
かなり大きな変異(個体差)がある。』 
さらに、
『オトガイは音声に関連する口唇の微妙な動きを可能にする筋群が付着する部位として
発達してきた。 ヒトの進化においてオトガイは分岐学上の派生的形質のひとつであり、
現生人類を古生人類から分ける解剖学的な定義のひとつとなっている。』 と、ものもの
しい解説があったのです。

 そして、ネットを繰って行くと、ヒトに固有の特徴の一つであるけれども、新生児には
なく、人の成長と共に現れるのとか、ヒトだけにあるので、他の動物にはもちろん、チン
パンジーやゴリラにもない人間特有のボディパーツのひとつである とありました。

        (ネット画像より)

 また、おとがい について、世の科学者たちが長年にわたり、その進化的起源や役割・
機能について研究しているが、未だに解明されていないと、もっともらしい口調で解説
されている記事などもありました。

 あの世にいるおふくろは、まさか、こんなことになっているとは知らなかっただろうと
思います。

            漢字を拡大してみました。
              

 ついでに、おとがい について辞書を見てみましたら、
国語大辞典には、『あご。とくに下あご。(やや古風な言い方)』 とあり、 
『~がおちる:食べ物が非常においしいことのたとえ。~のしずく口に入らぬ:(顎に
ついた雫は口に入らない意から)手近にあっても自分のものにならないことのたとえ。
~をたたく:口をきく。うるさくしゃべる。~をとく:大笑いする。~をやしなう:生計
を立てる。生活する。』 とありました。

 これって、ちゃんとした言葉だったんですね。



 

 

 

 

 

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海の日  (bon)

2017-07-16 | 日々雑感、散策、旅行

 明日17日(月曜日)は、国民の祝日「海の日」です。

  子どもの頃は、夏になれば“海水浴”で、いろんなところの浜辺に泳いだものでした。
今では、ただ懐かしく思うだけで、海は好きですが、海の景色を見渡したり、せいぜい
船に乗ること・・そういえば、若者時代はヨットなどにも結構乗りましたね。

 「海の日」は、1995年(平成7年)に制定され(翌年施行)た国民の祝日で、当初は、
7月20日でした。 それが、ハッピーマンデー制度(平成15年祝日法改正)で、7月第3月曜
日となったのです。 それで、明日の17日で、連休ですね。

         (ネット画像より)

 制定の主旨は、「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」と法律に
定められていますが、ウイキペディアに 『(それから12年後の)2007年(平成19年)に
制定された 海洋基本法第13条には「 国及び地方公共団体は、国民の祝日に関する法律
(昭和23年法律第178号)第2条に規定する海の日(訳注:制定後に追加)において、国民
の間に広く海洋についての理解と関心を深めるような行事が実施されるよう努めなければ
ならない」と海の日の行事について定めている。』などとあるところを見ると、その趣旨
が今一つ活かされていないのかもしれないのですね。そういえば、私などは、あまり聞い
たことがないですね。

         (ネット画像より)


 全国の港などで、イベントが催されているようで、今年(2017年)は、7月15日~8月6日
に、今年開港150年にあたる神戸港を中心に神戸市でイベントが開催されるといいます。
また、東京海洋大学では毎年イベントが行われているそうです。

    

 もともと、海の日は、祝日化される前は、「海の記念日」でした。ウイキペディアには、
『海の記念日は、1876年(明治9年)、明治天皇の東北地方巡幸の際、それまでの軍艦では
なく灯台巡視の汽船「明治丸」によって航海をし、7月20日に横浜港に帰着したことにちな
み、1941年(昭和16年)に逓信大臣・村田省蔵の提唱により制定された。』とありました。 
 この「明治丸」は、その後東京海洋大学の練習船として使用され、現在は同大学に保存
されているそうです。

 山の日というのが、2002年(平成14年)に制定(施行は2004年8月11日)され、8月11日と
定められました。

 まぁ、海の日も 山の日も、それぞれに制定の意義を感じたり、そのお休みを利用して
関連する行事などに参加するも、勿論いいですけれども まあ、自由に過ごしていいのでは
ないかとも思います。

 

 日本には、海の無い県があります。山梨、埼玉、群馬、栃木、奈良、長野、滋賀、岐阜
の8県ありますが、奈良県では、『海の日と同じ毎年7月の第3月曜日を「奈良県山の日・
川の日」とすることを条例で定めている』のだそうです。



 

 

 

 

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検疫記念日  (bon)

2017-07-14 | 日々雑感、散策、旅行

       このほど、強毒を持つヒアリやアカカミアリが発見されたニュースが
      報じられています。これらは、特定外来生物に指定されているアリですが、
      まず神戸港で発見され、その後名古屋港、大阪南港、大井ふ頭、と次々と
      貨物船から陸揚げされたコンテナから見つかっています。名古屋港から
      運ばれたコンテナについて内陸部の春日井市でも見つかったといってい
      ます。まさに、検疫の大切さを改めて知ることとなりました。


 先のブログ記事「貿易記念日」(6月28日)は、江戸末期安政6年(1859年6月28日:
旧暦安政6年5月28日)に、横浜、長崎、函館で、正式に自由貿易を開始した、すなわち
これまでの長い鎖国を「開国」したことを記念した日なのです。と同時に、この日から
海洋は欧米や東アジアとの交易によって、急性感染症の流入という環境面での問題が
発生することになったのですね。 当然ながら・・。

 話は飛びますが、日本では、何度もコレラが発生し大きな被害を出した記録がありま
す。最初のコレラ発生は、1822年のことで経路などはわかっていませんが大きな被害を
出したそうです。 次に、1855年(安政5年)には、3年にわたり大流行したとあり、
九州から東海道に広まったようです。そして、1862年には3回目の大流行となり56万人も
の患者が出たとされています。

 いづれの大流行も江戸までは入ってこなかったといわれているようですが、これは、
箱根その他の関所により防疫がとられたためと考えられているようです。 人の往来を
制限できたからなんでしょうね。明治維新になって、明治政府が箱根の関所を廃止すると、
その後は2~3年間隔で数万人単位の患者を出す流行が続いたといわれています。 1879年
(明治12年)と1886年(明治19年)には死者が10万人の大台を超え、日本各地に避病院
(伝染病専門病院)の設置が進んだとあります。

                 

 で、1879年(明治12年)7月14日に、日本初の伝染病予防の法令「海港虎列刺病(コレ
ラ)伝染予防規則」が公布されたのでした。 後(昭和36年)に、厚生省(現在の厚生
労働省)と日本検疫衛生協会がこの日を「検疫記念日」に制定し、14~20日を「港の
衛生週間」とし、検疫の大切さをPRする催しなどが実施されているそうです。

 明治12年に初めて制定されたこの法令「海港虎列刺病(コレラ)伝染予防規則」は、
その後、1897年(明治30年)に「伝染病予防法」、1899年(明治32年)に「海港検疫法」、
1927年(昭和2年)に「航空検疫規則」が次々と制定されました。そして、1951年(昭和
26年)に海港検疫法と航空検疫規則が改正され、新しく「検疫法」が制定され現在至っ
ているのです。
 ちなみに検疫法第1条には「国内に常在しない感染症の病原体が船舶・航空機を介して
国内に侵入することの防止と、船舶・航空機に関し感染症の予防に必要な措置を講じる
こと」とあります。

              (ネット画像より)

  脚光を浴びる業務ではないかもしれませんが、検疫の仕事は重要な業務であることが
再認識させられました。 最近では、デング熱やエボラ出血熱などが記憶に新しいとこ
ろですね。


 また、この日はアメリカ、ペリー提督が浦賀に上陸した記念日ともされているそうです。
1853年の7月14日(旧暦嘉永6年6月9日)、マシュー・ペリー提督率いる黒船艦隊4隻が
江戸湾の浦賀に来航したのです。

 ネットにはこのことを『蒸気船をお茶の銘柄の上喜撰にかけて「泰平の眠りを覚ます
上喜撰 たった四杯で夜も眠れず」と狂歌に詠まれるほど、江戸の街は大混乱となった。』
とありましたが、この黒船をきっかけとして、6年後に米国総領事ハリスとの通商条約調印
により鎖国が解かれるのですね。

        サスケハナ号(蒸気外輪フリゲート)
         (ウイキペディアより)

 

 さらに、7月14日といえば、パリ祭があります。
 1789年のこの日、パリ市民がバスティーユ監獄を襲撃・占領し、フランス革命が始まっ
たのでした。フランスでは「フランス革命記念日」または「建国記念日」として、1880年
から国民の祝日となったとあり、この日には、フランス各地で一日中花火が打ち上げられ、
パリでは軍事パレードが開催されるとありますが、昨今のテロや花火事故などからみて、
今日のパリはどうでしょうか? 

 日本では、1932年(昭和7年)の映画『Le Quatorze Juillet(7月14日)』の邦題が
『巴里祭』であったことから、この日を「パリ祭」と呼ばれるようになったとか。

 

 

 

 

 

 

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夏の夜の体験  (bon)

2017-07-12 | 日々雑感、散策、旅行

 久々の 若さん の登場です。

 若さんは、早朝ジョギング、ゴルフ三昧、夜はワイン・・と、外国の人たちを多く含む
お仲間とのシニアライフを楽しむシティ・ガイです。 神楽坂在住で、これまで当ブログに
「神楽坂研究」、「アメリカ事情」などの記事13編をアップされていますので、皆様には
おなじみかと思います。

 その 若さんが、今回、2017年7月8日 満月前夜に靖国神社の裏道で遭遇された出来事を
記事にされました。

 夏のよる、人通りの少ない裏道の まだ生暖かさが残るアスファルトの上を歩いていると、
すぅ~と風が頬を撫で、一瞬、空白の短い時間が過ぎ、そして背筋の凍るような激震で、
立ちすくんで動けない~

    ~そんな若さんの・・

 *********************

夏の夜の怖~い(初)体験です。 


 7月8日の夜8時過ぎ、一口坂でごはんを食べた後、神楽坂、毘沙門天裏の レストラン
「29」のマネージャー T君と神楽坂祭りの時の「余市ベーマー・ワイン販売」の打ち合わ
せに行く途中のことでした。

 靖国通りを九段方面に歩き、靖国神社交差点を左に曲がり境内を抜けて 早稲田通りの
裏道を歩いて
行くことにしました。

  この時期は、7月13日から始まる(東京は新盆)靖国神社の夏の光の祭典「御霊(みたま)
祭り」の黄色いちょうちん(みあかし=献灯)を境内全体に囲むように設置準備中で、3割
方進展という感じでした。 閉門して暗くなった本殿前を通過して、教会・修道会のある
T字路にぶつかり右手に折れ すぐ左のS学園の裏道は飯田橋方面サクラタワーまで直通の
神楽坂方面への裏道=ショートカットです。

       
               
九段靖国神社、御霊祭り(7/13-7/16)準備風景


 そのとき、
街路灯付き電柱の陰に立つ女性に気付きませんでした。

  夜の全く人気のないS学園裏通りを歩いている時でした。電柱と女性の立ち位置が重な
り街路灯の明かりが目に入るので女性の存在そのものに全く気が付かず近づいてしまいま
した。 ハッと、意表を突かれた感じで! 見ると、電柱の後ろに黒い喪服(フォーマル
スーツ)の女性が胸のあたりに手を組み 小学校の建物に向かってお祈りをしていたのです。

 とっさに思ったのは、お受験合格祈願のお母さまかなと思いましたが…この時期、時間
帯に喪服はあまりに場違い、異様な雰囲気を感じました。

 その女性は身じろぎもせず、わずかに目線を下に向け 祈りの姿勢で立っていました。
なんとなく変なオーラがでている雰囲気なので、小走りに女性の前を通過しようとしたら
“目が合ってしまった”のです。

 女性のなんともいえない目線と 夜の暗闇と黒いスーツに浮かび上がった色白の顔のコン
トラストに、背筋が凍りつきました。 はっきりいって、初めて感じる恐怖感でした!


      
    
S学園裏通りの街路灯のついた電柱の陰にいた喪服の女性(イメージ)

 


女性と目が合った時、人生初めての恐怖感!

    
  見てはいけないもの見たな~っていう感じの目線(イメージ)に身がすくみました。
 
 言葉で言い表すのには非常に難しい表情というか、とにかく異常な目線というか目力で
た。 光線が出ている感じです…しかもマイナス・パワー光線という感じでした。

 目が合った一瞬で、ヤバイ!見てはいけない物を見てしまったという感覚に陥りました。

 古来より神社の御神木に 丑の刻に白装束で藁人形をにくい相手にみたて打ち付ける呪術
を満願成就するには 7日かけ、他人に見られると 本人が死ぬか効力が失せるという呪術
信仰があります。
 実際下町の神社で 深夜偶然その場を見かけた知人が白装束の女性に追いかけられたとい
う実話を聞いたことがあります。

 かなり現場から離れた場所で振り返りましたが、幸い追撃されずに済みました。

 7月8日は満月前日…でも一般的には願掛けは「新月」(三日月)といわれています。
いったい彼女は何を祈っていたのでしょうか

 謎の残る「ワヤ!*」な体験でした。(笑)  若

 

  (*注)北海道の方言で、乱雑で手が付けられない状態、めちゃくちゃなこと、ひどいことの意味。 
      大阪、京都、名古屋でも、だめ、めちゃくちゃの意味でつかわれるようです。



 

 




 

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ほおずき市  (bon)

2017-07-10 | 日々雑感、散策、旅行

 入谷の「朝顔まつり」が終った(7/6~8)と思ったら、今度は浅草寺の「ほおずき市」
(7/9~10)で、夏の風物詩が展開されています。このところ関東は、連日猛暑日となって
います。今日も暑そう~。

  都内最古のお寺である浅草寺は、年中観光客で賑わっていますが、7月10日は「観音様の
功徳日」(毎月あるが7月が最大)の縁日で、「四万六千日」(しまんろくせんにち)と
呼ばれ、この日に合わせて「ほおずき市」が立てられたのだそうです。

 ほおずきは、薬用効果があると言われ、その昔芝の愛宕神社で、ほおずき市が立ったと
あり、それが浅草でも行われるようになり、後に浅草の方が盛大で有名になったのだそう
です。

 一方、観音様(観世音菩薩)の功徳日というのは、この日にお参りすると、100日、1000
日分の功徳が得られるという特別な日で、平安時代頃には、毎月18日が当てられていたそう
ですが、室町時代あたりから各寺社で独立に行うようになり 、浅草寺では、とくに
「四万六千日」として、7月10日をその最大の功徳日とされて、この日にお参りすると、
すなわち、46,000日分(126年分)の功徳が得られるというのです。  ヒトの最高寿命に
匹敵する功徳があるなど、まぁ、すごい話ですね。

 で、この日に、愛宕神社でやっていた ほおずき市 を浅草寺でも行うようになったという
ことだそうです。時に、明和年間といわれ、1764~72年頃だというのです。
現在まで、250年近く続いているということですね。

       ほおずき市(浅草寺境内)
        (東京観光サイトより)


 また、1800年頃から、この日に、雷除けの“赤とうもろこし”が売られていたところ、
昭和に入って、不作で、赤とうもろこしが手に入らなくなり、一計を案じ 赤とうもろこし
に代えて“竹串に挟んだ三角形の守護札”をこの2日間だけ授与するようになり、それが
現在にも続いているとか・・。

       雷除け札
        (浅草寺HPより)

 

 ところで、“ほおずき”は、よくご存じのところですが、これって、実の赤くふっくら
した様子から 頬 を連想して名づけられているのだそうです。(“づき”は“顔つき”
“目つき”の“つき”とか)

       ほおずき
        (ウイキペディアより)

 

 ナス科ホオズキ属の多年草で、原産地は東南アジアだそうで、主に観賞用や食用として
栽培されるとありますが、毒性があるので食用は特別に栽培されているようです。
 漢字で書くと“鬼灯、酸漿”とあり、難しくてとても読めません。

 子供の頃、赤く熟した実を、手で柔らかくほぐすように揉んで、種をだし、口に含んで
音を出して遊んでいましたね。 かって、ベランダでも育ててみました。
 小さな鉢植えがよく、袋が赤くなり始めたら、室内に取り込んだりして楽しんだことが
ありました。

 この ほおずき、学名はPhysalis alkekengi var. franchetiiとあり、こちらも読め
ませんが、英語では、Chinese lantern plant とあり、こちらは馴染みやすいですね。

 

昨年のほおずき市

 

 

 

 

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長谷川等伯と雪舟  (bon)

2017-07-08 | 日々雑感、散策、旅行

 友人のお誘いを受けて、昨日(7/7)掲題の水墨画展『水墨の風』を堪能してきました。
お堀端に面した帝国劇場9階の出光美術館でした。

 “出光”といえば、昨年6月の 出光興産定時株主総会で 会社合併議案に創業者側
(役員はいない)から反対が出て、翌日の株価が急落するなど話題があり、合併は延期中
でしたが、この議案は、創業者側の株数算定に、公益事業とされるこの「出光美術館」
所有の株式等の算入可否の判断により 結論が左右されるとみられていました。 それが、
1年経過して 
ここに来て、突如 先頃(7/3) 公募増資が発表され、創業者側の持ち株
比率を減じる工作とみられ、いよいよ合併に向けて動き出す・・? そんなホットな事案
がある渦中の美術館を訪れることとなったのです。
 金曜日の午後でしたが、大勢の人が入り盛況でした。

             ポスター
          


 前座が長くなりましたが、そのような生臭い話題とはもとより無関係な、東洋美術
“水墨画”の世界が ビルの9階のワンフロアと思えない空間に広がっていました。

 展示は、時代の流れ的に、第一章『雪舟を創り上げたもの』、第二章『等伯誕生』、
第三章『室町水墨の広がり』、第四章『近世水墨』 と4部に分かれて配置され、雪舟が
中国に渡り、水墨画の研究に打ち込み、特に、黒い墨を飛沫を立てるほどに力強い筆使い
によるコントラストを見事に用いた「破墨山水図」の「玉澗」(中国の水墨画師)に魅せ
られ、研究を積み その才能を著す雪舟は、その後の日本の画師に大きな影響を与えるの
でした。
  雪舟が中国に渡るのは、応仁元年(1467年)のことでしたが、日本でそれが花開くのは、
室町時代も後期になってからのことでした。そして、日本人の感性にかなった表現にまで
高めた画家が、桃山時代に活躍する長谷川等伯であるとし、『等伯誕生』がフィーチャー
されているのでした。 残念に思ったのは、等伯作のそれが 3点であったことでした。
 しかし、「四季柳図屏風」や「松に鴉・柳に白鷺図屏風」はさすがに引きつけられるも
のがありました。そして、第4章の狩野派、文人画へと展開されていました。

         美術館入り口 
 

            

 雪舟(1420~1506)は、室町時代に活躍した水墨画家・禅僧で、京都相国寺で修行した
後、遣明船に同乗して中国(明)に渡り、その画法を学んだのでした。 現存する作品の
大部分は中国風の水墨山水画であるそうですが、花鳥画も画いており、日本独自の水墨画
風を確立したとあります。 そのうち、6点が国宝に指定されているなど日本の絵画史に
おいて別格の評価を受けているという。

  長谷川等伯(1539~1610)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて狩野永徳らと
並ぶ代表的な画人とあります。1571年頃に上洛して狩野派など諸派の画風を学び、千利休
や豊臣秀吉らに重用され、当時画壇のトップにいた狩野派を脅かすほどの絵師となり、
等伯を始祖とする長谷川派も狩野派と対抗する存在となったと言われています。
  晩年には、自ら「雪舟五代」と称していたそうです。


 これら、水墨画を見ていますと、墨の濃淡でこうも表現できるものか・・と感心させら
れ通しでしたが、しかし、その一つ一つの筆のタッチとしっかりとしたデッサン、それに
軸や屏風全体を使った構図そのものがやはり大きな要素であることに気付くのでした。
 画紙のどこにどのようなタッチで何を描くか、やり直しが出来ない世界で、次々と描い
て行くのは やはり離れ業だけでは言い尽くせない魂が吹きこまれているのですね。

 美術館休憩所から、お堀を通して緑豊かな皇居の森、さらにその向こうのビル影を一望
して、今しがた引き込まれていた水墨画の世界から現実に引き戻された感じがするのでした。

         お堀から皇居の森  
          


 ビルの外は、真夏日の太陽が照りつける東京のお昼すぎ、すぐさまビル内に舞い戻り、
地下3階でお茶し、長話に興じた後、地下鉄へとお別れしました。

 

 

 

 

 

 

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カサブランカ  (bon)

2017-07-06 | 花鳥風月

          この度の、福岡はじめ大分、熊本など九州地方の豪雨による大きな災害に
         対して心からお見舞い申し上げます。


 ネットで“カサブランカ”を検索すると、一番に出てくるのは、モロッコ最大の都市
「カサブランカ」ですが、ここでは、都市名ではなく、花(ユリ)を取り上げました。

 蒸し暑いこの時期、雨の合間にベランダに出てみましたら、いくつか花が咲いてきてく
れていました。
  カサブランカについては、これまでもブログに記事アップしていまして、2014年7月16日
付けの記事「カサブランカと日よけターフ」にアップしていましたのが、最初に咲いた
(我が家で)もので、 大事に思ったのか、夏の暑い日差しを避けるために、ベランダに
ターフ(テント)を広げて日陰を作ったりしたのでしたが、雨が来ると、それに水が溜まっ
て耐えきれなくなり支え部分が壊れたり、強い風にあおられると、ターフが倒れて、せっか
くのカサブランカの花が折れてしまったり、散々だったことが思い出されてきました。

 今は、放ったらかし状態で、お水を欠かさずあげるくらいですが、律儀に咲いてくれました。

   カサブランカ(ベランダで3年目)
 

 

 もともと、ユリは日本や中国が先行していたようですが、この「カサブランカ」は、オラ
ンダで改良されたユリ科ユリ属の栽培品種で、ヤマユリ、タモトユリなどを原種とするオリ
エンタル・ハイブリッドの一品種とありました。純白の大輪の花を咲かせるところから
「ユリの女王」と評されてもいるようです。

 学名を Lilium 'Casa Blanca'といい、このCasa Blanca は、スペイン語で“白い館”を
意味するそうで、アメリカのホワイトハウスは、スペイン語ではカサブランカとなるようで
す。ブランカ(ブラン)が白の意味で、モンブラン(白い山)などもありますね。

 

 話がそれましたが、オリエンタル・ハイブリッドというのは、イギリス園芸協会がユリを
分類して付けた名称で、このほか、アジアティック・ハイブリッドなど数種があります。
オリエンタルは、ヤマユリやカノコユリ、タモトユリなど森林のユリを交配して作られた香
りがある品種群を言いカサブランカが有名です。一方、アジアティックの方は、エゾスカシ
ユリ、ヒメユリ、オニユリなどを親とするアジア原産のユリを中心に交配された品種群で
香りはないそうです。スカシユリが一般的ですね。

 

 カサブランカは、映画でも有名です。 アメリカ映画ベスト100(1998年)では第2位に
ランクされていました。ちなみに、ベスト10をピックアップしました。
  (ウイキペディアより)

 

     1、市民ケーン      Citizen Kane        1941

      2、カサブランカ     Casablanca          1942

      3、ゴッドファーザー   The Godfather       1972 

     4、風と共に去りぬ    Gone with the wind  1939

     5、アラビアのロレンス Lawrence of Arabia  1962

     6、オズの魔法使い    The Wizard of Oz    1939

     7、卒業         The Graduate        1967

     8、波止場        On the Waterfront   1954

     9、シンドラーのリスト Schindler’s List   1993

  10、雨に唄えば      Singin’in the Rain 1952

 

 

 長くなりましたが、今のベランダの花をアップしました。
 (カサブランカも含めて、今朝(7/6)パチリとしました。)

グラジオラス (Gladiolus) です。
        


 アヤメ科グラジオラス属で、日本には自生種はなく、園芸植物として植えられている
そうです。 名前は古代ローマの剣であるグラディウスに由来し、葉が剣に類似している
ことからだそうです。球根です。

ヒャクニチソウ(Zinnia)です。
        

  キク科ヒャクニチソウ属で、ジニアとも呼ばれています。こちらは、毎年タネをまいて
育てますが いたって簡単で、暑さと乾燥にも強く、小枝が多く伸びて次から次に開花しま
す。 名前の由来は、初夏から晩秋まで数ヶ月間咲きつづける花期の長さによるものとあり
ました。

 

ノウゼンカズラとルリフタモジ(Campsis grandifloraとSociety garlic)
        


ついでに、恥ずかしながら市民農園の“巨大きゅうり”です。
        
                        (30cm   600g 下の2本も大きめですね。)


 

 

 

 

 

 

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蓼科農園タマネギ祭り‘17  (bon)

2017-07-04 | 蓼科浪漫倶楽部 畑

 梅雨前線が、長野、北陸あたりに停滞しているために、大雨注意報が出っぱなしの蓼科
農園は、午前、午後など雨の合間の作業となりましたが、6月30日~7月3日で、予定通り
完了しました。

 タマネギ、ニンニク、ジャガイモ(タワラムラサキ1畝)を収穫しました。
昨年も、この時季は、同じような収穫でしたが、タマネギは、白、赤とも小玉の割に“ト
ウ立ち”気味で、昨年に比べるとやや落ちの感じでした。  一方、ニンニクの出来は上々
で、さすが青森産の種は、一段 上級クラスで、プリッと張った6~8片の大きさは市販の
上級に匹敵する立派さで、しかも大豊作でした。“ニンニクまつり”の方がピタッとする
かも?
 昨年と同じような作り方をしているにも係わらず、少しづつ違った成果が出るのは、種
が全く同じではないことの他、植え付け時期の 温度、気候などの成長初期の微妙なコン
ディションの違いによるのかもしれません。畑のすぐ近くならば、この時季の観察によっ
て、手を加えるとか、ハウス栽培のようにある程度条件を固定する必要があるのかもしれ
ません。(話がそれました~)

 ジャガイモは、次回(7月下)に掘り上げる予定ですが、1畝だけ植えつけた“タワラム
ラサキ”は、早生品種であることが分かりましたので 今回収穫しました。しかし、もう
1週間ほど置いた方がよさそうな気もしますが、月一の来園だと 止むを得ません。昨年、
このタワラムラサキも、7月下にマゼラン種とともに掘り上げましたら、大きくなりすぎ
ていて 割れていたのがあったりしました。

タマネギ、ニンニク、ジャガイモの収穫  ジャガイモ(マゼラン)は今花ざかり

 

 

 4月に植えたサトイモは、8割程度の発芽で、4畝のうち1畝のマルチが剥がれたりしてい
たこともあり、半分程度の発芽でした。 サトイモはタネ芋のばらつきが大きいのか、
例年キチット葉が出て来るまで心配をかけるのです。

         サトイモ、サツマイモの除草
          


 5月に植えたサツマイモ、カボチャ、スイカは、植え付け時の気温は早や夏の太陽下で
高温状態でしたから、あれからずっと気になっていたのでした。 一番の心配だったサツ
マイモは、6割くらいの根付きで、全滅は避けられましたが、やはり気温の影響があった
のでしょう。

 カボチャ、スイカは、苗の周りに藁を置き、苗がマルチに直接触れないようにしたこと
が良かったのかもしれません。特に、カボチャは元気で、今年大豊作が期待できそうでし
た。同じようにしたスイカは、カボチャに比べると弱弱しい感じですが、これからグッと
成長するのかもしれません。 昨年は大豊作(過ぎ)でしたから、今年も・・。

 
 黒豆は、ほぼ100%の発芽で、既に30cm位の丈に成長していました。 1~2本立に整え、
支柱代わりに紐で両側を挟む形で傾倒を防止し、ピーマン、ナス、インゲン、ミニトマト
などは、さらに上部を ほう縛をしたり、梅雨時の成長支援を施しました。
 これらはみんな、鹿対策用のネットに囲まれた内側にあり、この時季、整然と緑色の
植物列を成している姿は、イキイキと若いエネルギーが湧きあがってくるようでした。

黒豆など                 ランチタイム  
 

 

 ミズナ、コマツナ、レタス、ハツカダイコン等はいつものように新鮮な食材として
重宝されるのでした。

       楽しいディナー 
        

 

 このところの雨のお蔭で、土が柔らかく、草引きは楽々で、手際よくはかどりましたが、
手袋などは泥んこ状態になりました。 初日は、到着後の半日、翌日は夜来の雨が午前中
いっぱい残り 午後の作業、3日目は朝から曇りで、時折 陽もさす作業日和となり、掘り
上げたタマネギ、ニンニク、ジャガイモ等を広げて(前出の写真のように)乾かすなど
順調に作業は はかどりました。

 ところが午後4時頃、あっという間に 突然スコールのような雨が来て、大急ぎでこれ
らの収穫物をテントの中に運び入れたものの、折角乾き始めた収穫物を濡らしてしまい
ました。何もかもズブ濡れ状態で、さすが縄文温泉は遠慮して、K邸に直帰しました。

 

 2日目の雨は、尖り石縄文考古館へと足を向けてくれたのでした。 ここは、畑のすぐ
近くにある施設ですが、これまで何度も畑に来ていながら、初めてという人もいて、
ひと時、5~6,000年前の縄文人の生活に思いをはせ、中でも国宝指定の『縄文のビー
ナス』『仮面の女神』などの実物に見入ってしまいました。 “雨も亦、佳きかな・・”

         尖り石縄文考古館(土器に紛れて・・)
          

 

 

 頑張りました               今回の完成
 

 

 

 お待たせしました。オートスライドが出来ました! 
   お楽しみください。(6分20秒です。)




コメント (7)
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