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蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

アコースティック・スプリングコンサート

2025-04-28 | 日々雑感、散策、旅行

 やや肌寒いどんよりとした曇り空の土曜日(4/26)のお昼過ぎ、掲題のライブコンサート
に出かけてきました。JR中央線、国立(くにたち)駅前にある旧国立駅舎広間で無料の
コンサートでした。

 先の拙ブログ「戦友との飲み会」でご一緒する、その昔職場を共にした仲間の一人、
Oさんが出演するからです。 Oさんは私よりもずっと若く、毎年の「戦友との・・」の
幹事役を引き受けてくれています。 今年も幹事役を果たされながら、ご本人は丁度
その日が、娘さんの晴れの結婚式と重なったため、飲み会の方は当然欠席されました。
結婚式はなんと、石垣島のビーチで行われたとのこと、さぞかしエメラルド色した海を
背にビーチは賑わい甘い香りに包まれたことでしょう。

 

 そんな彼は、以前から自作の曲やカバー曲をギターの弾き語りでやっていると聞いて
いました。ここ2~3年は、あちらこちらの喫茶店風ライブハウスで演奏されていて、
今回は初めてのストリート風(街路ではなく、駅舎風広間ですが)のライブだったそう
です。

 前置きばかりが長くなりましたが、先ずはこんな風でした。

     Oさんのライブコンサート(旧国立駅舎にて)       
          

 

 この広間は、駅舎の中を再現していて、入り口は、改札口がありドアはありませんし、
広間の中には木製のイスが作り込まれ、ステージの後ろは、切符の出札場所らしい造り
となっていました。

       改札口を入るとそこが広間(左奥がステージ)
        

 

 アコースティックサウンド愛好会が主催されていて、音響設備はバッチリとされて
いますがその他の飾り物などはなく、唯々出演者との間近なトークとライブ演奏がすべて
でした。演奏曲が終わると、客席から大きな拍手が起き、広間は既に一体感に満たされ
ているのでした。

 Oさんは、すべてオリジナル曲 4曲の演奏でした。

1、『カレンダー』 
2、『君のいない街に春が来る』 
3、『転んだらブルース』 
4、『夏ミカン』

 それぞれに想い出があるのでしょう。それに曲を付けて自演する・・その楽しさは、
本人が一番であることは勿論ですが、このような場でライブ演奏により聞き手にも伝える
喜びがうまれ、次第にそのことが生きる意義の一つとして体幹に埋め込まれてくるので
しょう。

   どの曲も素晴らしい演奏でした。 Oさん、ありがとう!
        

 慌てて、手持ちのデジカメを取り出して、動画撮影してみました。もちろん手持ちで
ブレていますし、おまけにデジカメのサインがバッテリー切れを点滅させて、ハラハラ
焦りながら‥何とか最後までたどり着くという有様でした。
 そんな動画を失礼ながら文末に掲載させていただきました。もとより、普通のデジカメで
にわか撮りのため十分にお伝え出来ませんが雰囲気だけでも・・。

 

 素晴らしい演奏を聞き終えて、Oさんの次の人は女性でウクレレ演奏でした。
彼女のステージを聞き終えて会場を後にしました。

 旧駅舎と現在の高架駅をバックに、全景を収めました。

       

 

 

 

 Oさんのステージ『君のいない街に春が来る』 (手持ちデジカメ動画です。)
アコースティック・スプリングコンサートから


 

 

 

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仮面

2025-04-26 | 日々雑感、散策、旅行

 仮面は、英語でmask、仏語ではmasqueで、「マスク」でありますが、野球の主審や
捕手、剣道、フェンシングで顔にかぶるのはマスクで仮面ではないですね。口や鼻を
隠す、コロナでお馴染み、習慣的にすらなっている衛生目的のものもマスクで仮面では
ないですね。

 ウイキペディアによれば、日本で仮面が確認されている最古のものは、縄文時代
(5000年以上前)の土面などや弥生時代の木製の仮面があるそうですが、いずれも神、
精霊、動物(実在架空を問わず)等に人格が宿ると信じられ、古くから宗教的儀式、
儀礼あるいはそれにおける舞踏、さらには演劇等で用いられてきました。このような
場合に装着するのはマスクではなく仮面と言われています。

       縄文時代のお面
        (ウイキペディアより)

 このような仮面舞踏(儀礼)は、アフリカや南洋諸島等で古くから民族的な儀式と
して行われてきています。日本でも「なまはげ」など種々ありますね、

 なぜ、「仮面」のテーマを選んだかといえば、少し前に手元に届いた会報記事に
「仮面という装置の力」(吉田憲司氏、国立民族学博物館長)と題して、著者ご本人が
アフリカ、ザンビア東部の村に住み、仮面の調査をする傍ら村の正式メンバーとして
儀式に参加され、仮面舞踏の意義などを発表されていたからです。

 村の儀式でつける仮面には2種類あり、躍り手の頭部に装着する覆面や木製仮面と
踊り手がその中にすっぽりと入る被り物(動物が多い)がある。覆面や仮面は死者の
霊の化身とされ動物の被り物は森からやって来た(つまり、村の外から)野生動物を
表しているとあります。最近の被り物にはヘリコプターもあるそうです。 外から
やって来たもの・・。

        アフリカ・ニャウ地方の仮面(例)
         (哲のphoto boxより)

 このような行為は、遠く隔たった地域でもよく似た習慣や制度・信念が認められる
がこれら相互に交流があったとは考えにくいのです。つまり人間の中にある根源的な
ものの探求に繋がるのではないかと思われる。『地域と時代を問わず、仮面に共通した
特性として、特に注目されるのは、それがいずれも、人間の知識や力の及ばぬ領域、
すなわち「異界」の存在を表現したものである。』と述べられています。
 異界といえば、ギリシャの祭典での仮面や現代のカーニバルでの仮面まで、日本で
いえば、能・狂言や民族行事の中の仮面から現代の、月光仮面やウルトラマンに至る
まで『仮面は常に、「異界」から一時的やって来て、人々と交わって去って行く存在を
可視化するために用いられてきた。』と。

 さらに仮面にはこれらの可視化のほかにもう一つの力というか意義があるようですね。
仮面という装置を装着した踊り手は、霊が依り憑きその霊になりきるともいわれるの
です。 しかし、芸能化した仮面や子供たちが好んで被る仮面(お面)にはこのような
霊の依り付きなどの宗教的な意義は見いだせないですから、仮面には、このような2面が
あるといえます。とはいえ、ウルトラマン仮面をかぶった子どもは、ウルトラマンに
「なりきれる」のですね。

              

 仮面にはこのようにいろいろな「力」があるのですね。中世ヨーロッパでの仮面
舞踏会(マスカレード)では、宗教的な意味ではなく、顔を隠すという目的が強く、
このような状態で身分や素性を問わず男女が交遊出来たなどの意味合いも大きいと
思われるのです。 たしかに、舞踏会でなくても、仮面をかぶるとそれまでの自分とは
違った自分になったような気がする・・のは、ある意味自分というものの一部、特に
潜在意識みたいなものを、顔を隠すことで顕在化させる力?を持った装置なのかも
しれません。

 また、いわゆる変装マスクというのもあります。仮装大会などでのものや、タイガー
マスク、フランケンシュタインなど、さらには政治家などの頭・顔部分の被り物なども
ありますね。

 30年ほど前に、ニューオリンズの街で求めたお面で今も飾っています。
        

 

 

 

アフリカではなくタイの動画ですが・・

チェンカーン Mask Festival 2022①

 

 

 

 

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山の音   ⁻

2025-04-24 | スポーツ、芸能、映画

 映画です。  川端康成の長編小説『山の音』が原作の、成瀬巳喜男監督による昭和
29年(1954年)公開の東宝映画です。 少し前のBS1の放送を録画していました。

 古都鎌倉の奥まったところ、閑静な住宅に住む 尾形家がその舞台です。  東京の
会社に勤める重役、信吾(山村聰)とその妻、父親と同じ会社に勤める息子、修一
(上原謙)とその嫁、菊子(原節子)の4人家族は、何不自由なく外見には平穏な上流
家庭を送っていますが、父親夫婦は、すでに夫婦感情は薄れ、淡々とした生活にあり、
息子は、結婚まだ浅いにもかかわらず外に女を作り好き放題な生活をおくるも、妻
菊子は健気に家庭を取り持っている・・そんなどこかぎくしゃくした陰鬱ともいえる
雰囲気の中で毎日を過ごしています。 そんな折に、修一の姉(長女)が、夫婦仲が
悪く2人の子どもを連れて我が家に戻ってきたり、精神的に休まることがない一層暗い
日々となっています。
 ただ、嫁の菊子は、明るく振舞って、特に義父(山村聰)には親切で何かにつけて
心配りをする、義父からしてもそんな菊子がかわいく思われ、自分の昔の恋人に思いを
重ね合わせたり、この二人の心だけは通じ合っているのです。

       (ameblo.jpより)

 映画はこのような状態のまま、物語が進むのですが、父親は息子のそんな状況を
知りつつも厳しく咎めたりすることも、女と別れさせることもせずひたすら陰鬱な
日々を送る中、菊子との間だけは華やぐ雰囲気が取り戻せているのです。

 そんな中で、やさしい菊子は決断するのです。息子修一と別れて実家に戻ることを
決心し、また、信吾夫婦も息子修一を残してふるさと信州に戻ることを決心するのです。
みんなバラバラになってしまう そんなエンディングでした。

         (gooブログより)

 この映画は、年老いた義父の想い出の中で、息子の嫁菊子と心を通わせるほのかな
恋心がさわやかに描かれているようで、タイトルの「山の音」とどのように関連する
かは分からずじまいでした。
 ネットの原作の解説によれば、義父が夢の中でふとしたことから山の音のような
響きを聞きそれに死期を感じる‥そのような出だしがあるのだそうです。 映画では、
「最近どうも疲れているのか、頭がすっきりとしない。頭だけ取り外して洗濯できたり
すればいい・・」などと嫁菊子との語らいの中での表現がそれに近いのかもしれない
と・・。

 さらに、川端康成の小説は、6年にわたり書き下しをまとめたものだとあり、小説の
背景は終戦後の、敗戦の傷跡が色濃く残る時代を息子の投げやりな行動に重ねたり、
愛人との生活ぶりの中にも戦後の影を映したりした、そのような時代背景の中での
複雑な人々の感情の流れが描かれていたのでしょうね。小説「山の音」は高評価され、
海外でも絶賛を浴びたとあります。

          (ナタリーより)

 上原謙と原節子が夫婦役で出演した映画は、先に観た成瀬監督の「めし」がそうで
したが、この時は、しっかりとした夫婦として描かれていました。原節子の映画では、
いつも同じ調子の丁寧な言葉遣いで明るく爽やかなイメージが映し出され、この
「山の音」でも、変わらぬいい味を出していました。上原謙は、この映画では初めて
の役柄なんでしょうね。二枚目俳優がとんでもないふしだらな役を演じています。そして、
父親役の山村聰より1つ年上なんですね。

 

 全体的にはやや不発のイメージが残りましが、モノクロの中の映像の素晴らしさと、
山村聰、原節子の微妙な心のコミュニケーションは印象深いものがありました。


 

 

 

なぜか、日本語のyoutube を探せませんでした・・

改编自川端康成同名小说,观感像极了小津的成濑电影 | 马克电影《山之音》

 

 

 

 

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穀雨    ⁻

2025-04-22 | 日々雑感、散策、旅行

 この20日から5月4日までは、二十四節気の「穀雨」なんですね。 ネットを見ます
と『初夏直前の豊かな春』とあります。 丁度ゴールデンウイークと呼ばれるこの時期、
一年の中でも最高のシーズンで大型連休があります。 郊外に出れば、あちらこちらに
鯉のぼりが明るい空に泳いでいることでしょう。

 都心の真ん中、日比谷公園の今頃は、一面チューリップの色とりどりが優しい春風に
揺らいでいますが、今年のyoutube画像では、一面のネモフィラとのコラボした晴れ
やかな海を演出しています。 

      今年の日比谷公園(4/15)
       (同youtubeより)

 

 60年ほど前のこの時期、入社してまだ学生気分が抜け切れていない、そんな若者に、
公園の花の鮮やかな姿は 沸き立つエネルギーを与えているようにすら感じたもの
です。 
 ネモフィラといえば、これも随分以前の話ですが、園芸友の会のバスツアーで
「国立ひたち海浜公園」を訪れた折、広い丘一面に植えられたネモフィラの素晴らしい
景観が想い出されます。今年の同公園の動画から拝借しました。

      ひたち海浜公園ネモフィラの丘(4/20のyoutube)
       (ANNニュースより)

 

「穀雨」は、「春雨が降って百穀(ひゃっこく)を潤す」と言われ、いろいろな穀物、
更には植物全般にとって潤いの雨に生育が促進される季節を表しているのですね。
穀雨の次の節気は「立夏」ですから、もうすぐ夏が近づいている‥そんな時期ですが、
昨今の春は短く、すでに「夏日」が顔を出してきています。

 花でいえば、藤の花が咲き始めています。 藤といえば、あしかがフラワーパークの
大藤が有名ですが、樹齢160年ともいわれ、600畳敷の藤棚一面に紫色の藤が垂れ下がる
姿はそれは見事ですね。いつだったか、訪れた時もそうでしたが、今年も多くの 人々を
呼んでいるようです。 私たちが行った時の帰りにシャクナゲの丘のようなところにも
寄りましたね。

        藤の花
        (ウエザーニュースより)

 

 この藤は、日本固有種だそうですから、日本を代表する花と言える・・とあります。
そして、春から夏へとふたつの季節にまたがって咲くので、「二季草(ふたきぐさ)」と
いう異名もあるそうです。

 このあたりの記事は、ウエザーニュースのページから拝借していますが、もう一つ
「お茶」が取り上げられています。
♬夏もち~かづく 八~十八夜・・  で、立春から数えて88日目は、5月1日なん
ですね。お茶の木の若葉がキラキラとお日様に輝く丘の緑は、生気に溢れるパノラマ
を呈しています。

 

        お茶の木
        (ウエザーニュースより)

 

 例年より長く楽しめた今年のさくらも、いよいよ若葉に取り替わり、緑の季節へと
舞台が変わる頃、このところ関東も良いお天気で、戸外で動いていると汗ばむ気温と
なっています。あの猛暑が来るまでの短い期間のお楽しみです。
 花たちは、このほかツツジ、ボタン、ヤマブキ、シバザクラ・・と盛りを迎えて
います。

 我が家(集合住宅)は、2/10から大規模種修繕工事期間で、来週あたりからよう
やく足場の解体が始まるようで、長く感じたジャングルのような薄暗いトンネンル
からもうすぐ抜け出せるようです。 植木たちも、しばらく我慢していました。
もうあと10日ほどで・・。

 

 

 

茶摘 懐かしい歌 唱歌

 

 

 

 

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戦友との飲み会 ‘25  -

2025-04-20 | 日々雑感、散策、旅行

 はや夏日の到来を受けて、気温変化に追随できぬまま一昨日(4/18)は、1年振りの
飲み会に行ってきました。戦友との・・ですが、もとより戦後生まれの人達(私を除い
て)の集まりですから、戦友とはこれ如何に・・ですが、35年ほど前の職場を共にした
皆さんの活動ぶりがまさしく戦場のような混とんとした中での営業活動に創意と技術を
結集した真剣勝負に挑んでいた頃の仲間なんですね。
   戦争のように、相手を攻撃するようなことはありませんが、ただ初めて経験する競争
社会の場に出て、百戦錬磨の先輩企業にもまれて営業活動を展開するそんな職場を、
やや大げさに表現したのです。

 この飲み会も随分続いていますが、皆さん高齢化してきたということで、幹事の計らい
で今回は、17時半の開始でした。未だ日中のように感じながら会場ののれんをくぐり
ました。

 途中に見える大型クレーンが活躍している場所は、当時会社のあったところで、
現在再開発中です。
          
             右のビルは、東京電力本社ビルです。

 

  会場(お店の)周辺はまだこれから・・みたいな様子でした。
  
    (銀座 コリドー街)         (その並びのお店で・・)

 

 しかし、今回の話題は、いわゆる当時の想い出話は殆ど出ませんで、たまに関連する
話題でちょこっと飛び移る程度で、もっぱら現状のトランプ関税についての大臣交渉の
ホットな話題などについて意見が広がっていました。
 当時に関連した話題としては、大規模受注後のシステム構築から維持管理まで、当該
お客様サイドの人脈がその後も脈々と続いていて、皆さん既にリタイヤされ新天地で
ご活躍・・など、その後のつながりの深さが披露されたりしました。これらの話題は、
当然当時もそれなりに脚光を浴びていた案件でもあり、懐かしさひとしおに感じるの
でした。

               

 当時、この分野にシステムインテグレーション(SI)なる用語が導入されていました
が、いわゆる、それぞれの企業が抱える、あるいは変革を目指した総合的な課題解決・
目標実現を目指した、情報通信システムの構築を図る‥ということなんですが、企業
それぞれの実態、課題の抽出は区々ですから、それらをどの様に取り上げて最適解を
求めるか・・そこにポイントがありました。もちろん経営的な面から捉えることになり
ますから、それらの資料や社内報に至るまで幅広い視点からこれらの問題解決を図る
必要がありました。

 

 このような職場は、ひな形がなく、常に新しい取り組みの連続でありましたが、一つの
方向性を見出し、それらを提案書にしたためプレゼンに至るプロセスが最大の苦心で
あり最大の喜びとなるのでした。そんな熱い思いを胸に秘めた今や高齢者の仲間入り
した面々の楽しい飲み会なんですね。

                

 今回は、都合がつかなかった人が多く、集まりは少人数で少し寂しい感じはありました
が、和歌山や札幌からの参加があり、ひと際盛り上がり途中写真を撮るのも忘れてしまい
ました。

      最後に、お店の出口手前で・・
        

 

 早い時刻に始めたので、終了してもまだ宵の口で、外に出ると若い人たちがいっぱい
たむろしています。 皆さんこれからという人たちであたりは混雑していました。
   この界隈を、今頃の時間帯に帰路に向かう‥なんてことは、当時は考えもつかないこと
でした。

 

 

 

東京の花売り娘 懐かしい歌 歌謡曲

 

 

 

 

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意見交換会

2025-04-18 | 日々雑感、散策、旅行

 会社OB /OGで構成するサークルがいくつかあります。 テニスやゴルフ、健康体操
サークル、さらに絵画、囲碁、音楽演奏、尺八、俳句、など他にもあります。
 私が所属しているのは、園芸友の会というサークルで園芸に興味がある、家庭菜園
などを楽しむ人たちもOKで園芸についての専門的な話題ばかりでなくそれにまつわる
いろんな話題を持ち寄りサロン風に大体2か月ごとに集まりをもって楽しんでいます。

 そんな、サークルの幹事たちと、総合的な運営事務局の皆さんとの意見交換会が
一昨日(4/15)品川にある事務局の会議室で行われました。

  事務局のあるビル         その反対側品川駅方面を望む
 

 議題は、①各サークルの状況や提案事項など ②運営事務局が提供する総合ホーム
ページのリニューアルについて の2件でした。 各サークルの状況では、共通した
悩みが浮き彫りされましたが、どのサークルも高齢化し、若い新規会員の入会が極端に
少なくなってきている・・ということで、わが園芸友の会サークルも事情は同じなん
ですね。 

 もっと若い現役の頃からサークル参加が出来るとそうでもないのでしょうが、この
会はOB/OGで構成されていますからどうしても会社を卒業してからの入会となるの
ですね。

 若い頃から趣味として、ある程度の経験も積んで来たので、会社を卒業した後は、
更に広い場で研鑽したい‥というような人たちならばよいのでしょうが、卒業して
初めて、これらのサークルに入会するとなると、どこか見えないハードルみたいな
レベルが障壁となって、卒業してからまた再び新人扱いとなるのもどうか・・などの
ためらいが入会を阻んでいると思われるのですね。

 これらのサークル活動は、定期的に発行される総合冊子『会報』にも掲載され、
広く読まれてもいるのですが、やはり会報記事ともなると、それなりに恰好を整え
ますから、このハードルはさらに高く持ち上げられた形になるのかもしれませんね。

 

 園芸友の会サークルは、従来実施していた教室での例会は、コロナ以降の実施は
控えていて、代わりにオンライン例会に切り替えて、年6回の例会のうち4回はオン
ラインによる「サイバー例会」と 2回のリアル例会(植物園などを見学)を原則と
して実施しています。 オンラインでは写真や資料などは、画面で共有できますし、
何といってもわざわざ教室に出かけなくても自宅から参加できる‥というのが最大の
メリットです。そして、この形式では、場所の制約がなく、遠隔地からも、あるいは
移動中でも参加でき、タイミングが合えばリアルの屋外例会への参加も可能です。

 

 今年3月の例会で北海道の会員から「世界らん展2025」模様の発表がありましたが、
これに関連して、事務局から嬉しい提案がありました。 洋ランについての楽しいお話
を、園芸友の会会員だけでなく、すべての卒業生を対象とした事務局が実施するセミ
ナー(オンライン)でも実施したいとの要請がありました。早速、講師に連絡を取っ
た次第です。

 

 2点目の、ホームページリニューアルについては、セキュリティを強化することと、
画面を見やすくする・・などの視点から、一部機能についてデモがあり一同了解した
ところです。

 席上、新しい機能として、OB/OGの「同期の集い」みたいなカテゴリーを新設して
はどうかと提案があり、事務局の検討事項となりました。 さらに、各サークルの報告
記事に対して、閲覧者が自由に当該サークルあて質問・コメントなどが返信できる機能
の付与についての提案がありましたが、当面、当該記事の末尾あたりにメールアドレス
の掲載により対処することとなりました。

             ベランダのハナミズキ(実生)
          

 園芸友の会サークルが発足してすでに半世紀が過ぎる経緯を辿って今日を迎えます
が、当初の活動を振り返ってみると、初期のやや専門的な活動中心の頃から、徐々に
文化や芸術、更には生活との関連などより広いかかわりの中の園芸、更には自然環境
などへの話題を取り混ぜたサロン風にそれぞれの意見交換、発表の場として存在して
きているように思えます。 これからも継続して行きたいと思っています。

 

 

 

Edelweiss. The Sound of Music. (Sonrisas y Lágrimas).

 

 

 

 

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38ウエブ April ’25    -

2025-04-16 | 日々雑感、散策、旅行

 一昨日(4/14、月)の夜は、入社同期の月一の定例オンライン談話会がありました。
入社同期といっても、すでに退職してからかなり年月が経っていますから、皆さんそれ
ぞれによいお年頃になっています。
 先月は、どういうわけかこのオンライン接続がうまく行かずに参加できませんでした。
わずか1回抜けただけで、何やら久しぶりの感じがしました。  しかし、話題はその
時々の臨機応変? とでもいえばスマートですが、つまりは話題があちらこちらに飛ん
だり、何かのイベントがあればそれが話題の中心‥みたいな感じですから、久しぶり
でもどうってことは無いのです。
 おそらく、オンライン参加してパソコン画面に写された皆さんの老齢化した顔を
前にして何かを話す‥そのことですでに目的は達せられているのかもしれません。

        一昨日のメンバー
        

 

 話題は、やはりトランプ関税について、それぞれの受け止め方や感想が飛び交う中、
この戦術が本当に米国のためになるのかどうか? 株価の世界的な暴落と共に米国債の
下落等に対処?して、早々と90日間の関税引き上げ中止を発表するなど、動揺が見ら
れた。この後どの様に展開するか注目して行きたい。 米国債が売られたというが、
どこの国が売ったのか? ひそかに日本が売ったのでは? などの発言が出たりして、
話しは混乱してしまいました。  ただ、これを言った御仁の弁がユニークだった。
「そのうち、いずれ近いうちに南海トラフによる大地震が想定されているが、この被害
の大きさは、かの東日本大震災の何倍にもあたり、そのための防災・復旧費用として
貯蓄するため。」‥とまことしやかなストーリーが添えられたのでした。一同、驚きを
隠しきれない様子でしたが、混乱時にはともすればこのような話が出るものではある
のでしょう。

        米国債保有国(昨年12月)
       (豊トラスティ証券より)

 

 メンバーには、囲碁の達者な人が何人かいますが、近く、日中友好囲碁大会が実施
予定で、その時に必要な人を探しているという。必要な人というのは、大会で囲碁の
解説・ルールの説明が出来る人を探している。で、メンバーを名指しでその可否を尋ね
た。というよりも半ば強制的な感じでありましたが、まさしく当人を置いて他に適当な
人物がいるとも思えない状況でした。 本人は、日程などを確かめた上で、即承諾を
しました。
 この彼は、現役時代、中国で勤務され仕事をこなした経験を持ち、昔から囲碁に造詣が
深く現在も囲碁クラブで活躍している御仁なのです。

          (ネット画像より)

 詐欺電話の迷惑に閉口している御仁のお話で、このところやたらと、固定電話、携帯
電話、パソコンに迷惑、というか詐欺まがいの情報が寄せられ困っているが、皆さんの
ところではどうか? 自分だけが集中的に狙われているのではないか?の確認も含めた
発言でした。多くの他の人からも同じような迷惑を被っている・・との返答に一つは、
自分にだけではないとの安心感が得られたようですが、本質的な困惑は解決されない
ままとなりました。

 

 このような話題が次々と変わりながら進む中、時として話題の中に関連する同期の
名前が出たりすると、しばらくそちらの話に乗り移り、彼の現役時代の話に花が咲い
たり、寄り道も多いですが、それぞれが、その時々の体験談として思い起こされるの
でした。

              

 談話会では、特段の命題が与えられ議論するわけでもなく、何かの結論を得るため
でもなく、今回のような人選は特別なことでありましたが、それでも月一の談話会は、
高齢者にとってある種の刺激となって、また励みとなり、気の置けない井戸端となって
いるのでしょう。

 

 

 

Dalida - Le temps des fleurs (Official Lyric Video)

 

 

 

 

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ウエブサロン(33) 

2025-04-14 | 日々雑感、散策、旅行

 大阪・関西万博が開幕した昨日(4/13)、関東は少し小雨がぱらつき、再び寒さが
戻った感じの日曜日、午後2時少し前から、オンライン談話会「ウエブサロン」があり
ました。

 この会は、高校同級のかって、蓼科農園で汗した仲間、「蓼科浪漫倶楽部」のメンバー
で構成した月一のおしゃべり・情報交流会です。コロナ後に始まったこのオンライン
談話会も 33回を数え、各自のイベント報告や体調など近況話題を交換する「お元気
ですかコール」のような意味合いも含まれた集まりですが、今回メインとなった話題は、
来月予定されている「日本理化学協会設立100周年記念式典」が中心となりました。  
 なぜかといえば、この記念式典で、わが母校が感謝状をいただくことになったから
なんです。

       今回のメンバー(関東×4、関西×3)
       

 

 時は遡り、大正15年5月に、講道館柔道で有名な教育者 嘉納治五郎会長のもと、全国
から中等学校(現在の高等学校)教職員300余名が集まり、理化学教育振興に関する
文部省諮問事項に対する答申案が作成された第1回協議会(創立総会)がわが母校
(当時高等女学校)にて開催されたのです。これにより、我が国の理科教育のスタート
が切られたことに由来して、今回、100周年を記念して、母校に感謝状が授与される
こととなったのです。

         母校
         (母校HPより)

 これまで、このウエブサロンで、2021年より「母校をもっと魅力ある学校としたい」
のテーマでプロジェクト的に検討推進してきた中で取り上げていた事案の一つ「歴史を
再認識する」で詳細を検討してきた成果‥と認めながら、改めてみんなの活動の想い出
として話題が飛び交ったのでした。いずれにしても、光栄なことであり一同歓びあった
のでした。

 この事実は、私達が生まれる以前のことでありますが、大正末期における理科教育
環境の実態、そしてそれに対する当時の教育界の取り組みなどの歴史を知ることとなり、
そのスタートポイントにわが母校が関わっていたということなんです。来月の記念式典
で、日本理化学協会様から母校校長に感謝状が贈られ、同窓会からも出席することと
なったのです。

              

 他の話題として、もちろん大阪・関西万博についてのお話がありましたが、桜の時期
でもあり、大阪城や近隣の名所に訪れたお話があり、多くの人出で賑わっていた、外国
人も半分くらい見かけた・・そんなうららかな春陽の話題のほか、明日から信州高遠の
桜を見にゆく計画も出たり楽しみが続きそうです。

          高遠の桜
          (ウエザーニュースより)


 すい臓がんが消えた、奇跡の持ち主は、その後もいたって元気でいるようですが、
検査で肺に影が見られるようだとのことで、PETによる精密検査結果は異状なしでホッ
とした‥報告がありました。すい臓がんでは先輩にあたるメンバーから、彼も同じよう
に検査で肺が疑われたが、PETで異常なしとなったことが報告されました。どちらも
安全サイドに検査が行われているようだと思われたのですね。

 

 最後にここでも、トランプ大統領の話題が出ました。一人の男の発言に世界中が振り
回されている昨今、今後の世界経済がどのようになるか、少なくとも混乱の渦を巻き
散らすこととなることは必至で、関税戦争は誰も勝者になりえないわけで、この事態に
憂いを抱くばかりでした。

 

 熱の入った談話が16時過ぎまで続き、同期会の開催を来年秋ごろに実施するよう
計画してはどうか?の提案があり、そして 次回のウエブサロン日程を決めてお開きと
なりました。
 次回のサロンは、5月25日(日)14時から‥と約束し、お開きとなりました。

 お疲れさまでした。

 

 

 

 

Proud Mary - Grupo Talía

 

 

 

 

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信玄公祭り

2025-04-12 | 日々雑感、散策、旅行

 ♬ 甲斐の山々~陽に映えて~・・♬ よく知られる武田信玄は、4月12日(旧暦)が
命日だそうです。戦国時代の武将で、甲斐源氏の第19代当主、武田氏の第16代当主を
務め、軍略の天才とも呼ばれ、あの数次にわたる戦「川中島の戦い」はことに有名です
ね。

    武田信玄は、通称 太郎とよばれ、姓名は源晴信(みなもとのはるのぶ)といい、信玄は
出家後の法名とあります。 信玄はグレゴリオ歴でいえば、1521.12.1~1573.5.13で
わずか53歳で病死しているのですね。 死の間際に言った言葉が『困ったときには、越後の
謙信を頼るように』と言い残したと「甲陽軍鑑」に記されているそうです。

        (山梨観光公式ページより)

    で、掲題の「信玄公祭り」は、武田信玄の命日の前週の金曜日から日曜日まで開催
される武田二十四将を模した時代行列であり、「甲州軍団出陣」がその目玉と言われて
いるそうです。私は訪れたことはありませんので、もっぱらネット情報による理解です
が、文末のyoutube 映像にもありますが、信玄公にトップスターを充てるなど相当大掛か
りな行列のようです。

 このお祭りは1970年に観光誘致を目的にその第1回が開催されたそうです。 第25回
あたりから信玄公に俳優を登場させたり、大河ドラマ「風林火山」の頃からは山本勘助
にも俳優を充てるなど規模は次第に拡大されてきているように思われます。 しかし、
今年4月のこの時期に行われたのは 6年振りとあり、コロナ時期の中止はやむを得ない
ことですが、これまでは秋開催(9~10月)であったりしています。

       信玄公祭り
        (ANNnewsCHより)

 さらに、信玄公の命日(4/12)には、武田神社例祭に合わせた「武田二十四将騎馬
行列」がこれも盛大に行われています。この祭りは、ネットによれば『信玄公祭りの
イベントのひとつで、武田神社を出発して市内をパレードする行列です』とあり、こち
らは、甲府市のHPに紹介されています。別のネット記事によれば、そもそもの始まりは、
1947年に信玄公に因んだ騎馬行列が始まりのようで、それが1966年に「甲府信玄祭り」
となり、1970年に「信玄公祭り」に改称され第1回としているとのことだと・・。

 まあ、どうでもよいことですが、なにやら日程が接近していて、ともに武者行列で
市内を練り歩く同じようなイベントが重なっているような感じがします。
 「信玄公祭り」は、これまでも外国からの要人を招いているそうですが、最近ではインド
やベトナムからの参加も加わり、今や外交の一端を演じ、県特産品などの紹介にも余念が
ないそうです。

 武田信玄公は今や観光資源として大いに活躍しているのですね。

 

 

 

武者行列いざ出陣、甲府 信玄公祭り6年ぶり春開催

 

 

 

 

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高尾山へ下見に・・

2025-04-10 | 日々雑感、散策、旅行

 一昨日(4/8)の高尾山は、朝から良いお天気で風もなく、少し歩くと暑いくらいの
気持ちの良い春の日和でした。 急斜面を駆け上るケーブルカーの窓から、淡い新緑の
紅葉がまぶしいくらいで、その向こうにはヤマザクラがまだ盛りに咲いています。
時々、窓のすぐ近くを通り過ぎる、満開のミツバツツジが、その淡いピンク色を一面
に広げて歓迎してくれているようでした。 火曜日の10時過ぎでしたが、結構な人出は
ありました。

  高尾山薬王院有喜寺本堂       仁王門
 

 

 来月下旬に計画している、園芸友の会「屋外例会」の下見に行ってきました。会の
メンバーは高齢者が多く、これまでの屋外例会では、平地の植物園や公園を選定して
いましたが、今回初めて「山」を候補としましたが、もちろん山頂までは計画には
入れていないのです。
 目的は、久しぶりに「山気分」を味わうことと、ケーブルカー駅から5分くらいの
ところにある「野草園(サル園と併設)」で、山野草の数々を楽しみ、最大のエポック
として、今から1200年前に開山された高尾山薬王院有喜寺の本坊で精進料理を皆で
楽しむこととしています。 今回、その予約を済ませてきました。

    薬王院本坊         その横の有喜閣(奥) (サクラがキレイ)
  

 昨日の下見では、参道途中の路端で、小さく咲いているスミレやウラシマソウなど
を見つけました。これまでブロガーさんらの記事から「そうなんだ!」と思っていた
いくつかの実物を観察することが出来ました。

 ウラシマソウ           ヤマルリソウ、スミレたち
 

         

 また、薬王院付近からの眺望は、一面が霞んでいて、冬には肉眼で見えていた横浜
ランドマークタワーなどは何も見えませんでした。 そして、本堂から太鼓と共に
賑やかに聞こえる御護摩行の読経が聞こえ、さらには、境内でたまたま僧侶の皆さん
の「お練り」に出くわしたりしました。 緋色の大きな傘にかざされた貫主様らしい
お方は、紫の法衣に大きな袈裟をかけた大変体格の良い方でした。

      貫主様はじめご一行のお練り
        

 

 高尾山は、私は、これまでもう20回近く上っています。毎年、お正月に初詣を兼ね
て、1月4、5日あたりに、高校同期生何人かで薬王院にお参りし、頂上から霊峰富士を
臨み、さらにそこから一丁平方面に足を延ばして、「シモバシラ」を観察するのが
コースでした。 温暖化によって、お正月ころでもシモバシラの出来不出来があり、
不発に終わることもありました。 この行事も、コロナで途絶えてしまい、その後
みんなそれなりの年齢になり沙汰止みとなってしまいました。

 今回の下見で出くわした、スミレたちやウラシマソウなどは、お正月時期では体験
できなかった出会いでもありました。
 そんな想い出深い高尾山に来月、園芸友の会の例会が実現する計画、そして初めて
入る本坊での精進料理に今からワクワクしています。

 

 

 

《春の歌 - メンデルスゾーン》Mendelssohn - Song without words, Op. 62 No. 6 "Spring Song"
クラシックピアノ- CANACANA

 

 

 

 

 

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ルイ14世の食卓

2025-04-08 | 日々雑感、散策、旅行

 突然ですが、ルイ14世の食卓について、手元にある会報記事に惹かれ、なるほど‥
と感心したり、そんな風な意味合いを持っていたのか‥など、知らない世界の一部を
垣間見たような想像世界に入ってしまいました。十分にお伝えできるかわかりません
が、その一端をご紹介したいと思いました。 その前に・・

 あのルイ14世について一言振り返りますと、17世紀後半~18世紀初頭のブルボン朝
第3代、フランス絶対王政全盛期の国王ですが、1643年 僅か5歳で即位し、72年もの
長期にわたってその座にあったのですね。1682年にはヴェルサイユ宮殿を完成させ、
貴族たちを宮殿内またはその周辺に住まわせ、宮殿内には多い時には廷臣のほか官吏、
外国使節、請願者ら1万人もの人々がいたという。
 ルイ14世はこの宮廷での序列や礼儀作法を厳格に定めて貴族たちに従わせるととも
に、地方の領地から切り離すことによって、貴族達を強く統制することに成功したと
あります。

         ルイ14世
        (noteより)

 そのような中で、王権の確からしさを人々に認識させるために、食事という行為を
大いに利用したというのです。現在のフランスの高級料理の骨格を形作ったのだそう
です。
 手元の会報記事『ルイ14世の食卓 如何にして権力を表現するか』(橋本周子氏、
関西学院大学国際学部准教授)からその模様のいくつかをここに取り上げてみました。
この記事は、日本経済新聞2024年7月17日の記事にも掲載されているようです。

 

 食卓は、ある意味「舞台」としての意味合いを持ち、「フランス式サービス」と
呼ばれる形式で料理が運ばれてくるのです。一人ずつの分量が銘々に出されるのでは
なく、複数の料理が一度に食卓に出される給仕方法であった。会食者たちは、これら
を楽しんだら、料理は一度にすべて引き下げられ、また別の料理一式が運ばれてくる。
まさしく舞台の幕が上がったり下がたりするごとに、舞台上の様相はがらりと変わる
演劇風の展開のよう。普通3幕ほどあるようです。舞台には観客が付きものですが、
食事会に呼ばれたが食卓(席)につけない客が食卓の周りに大勢取り囲んでいるの
です。

      食事風景
      (youtubeより)

 会食者の人数によって料理の数は異なるものの現代の感覚からすれば多すぎる量が
食卓を埋め尽くし、大皿料理をメインとして左右対称に規則正しく並べられる。食卓を
取り囲む会食者たちが付く座席の配置も定められている。メインとなる料理に最も
多くアクセスできるところに最高位の者(主催者自身)が座りそれに近いほどより
優遇される者が座る。会食者の序列が一目瞭然にわかるのです。 つまりこのよう
な舞台構成により、主の中心性を強調するのです。

 これは、当時の階級社会にあって、その社会的ヒエラルキー(階層、身分)を可視化
するための方策の一つで、給仕方法に則った壮観な食事会が宮廷という公式の場に
おいて重要なイベントとなり、その中心をなす主の権威を周囲に認識させ、さらに
その強化を図るという効果が発揮されているのです。

 このような給仕方法では、暖かい料理もすっかり冷めてしまい、料理も味よりも
見た目を重視する傾向にあったそうです。余談ながら、ルイ14世は大食漢であった
そうです。

 

 施政者が食事を権力表現の機会とすること自体は多くの国で見られるところですが、
ルイ14世の頃のそれは、高度に儀礼化されていて、なかでも祭日や外国からの要人を
招いた場合などに開かれる『grand couvert (大膳式)』は宮廷生活においてその
役割は大きい。

        大膳式
         (youtubeより)

 会食者たちが舞台に上がりそれぞれがどの席についているかを互いに見ることで、
まさにその瞬間の宮廷のヒエラルキーが認識させられるのです。 そして、周りには
大勢の観客たちがそれらを見守っているのです。 大膳式は最早食事会というより
むしろ儀式なんですね。

 

 このような儀式(食事)は、食卓用具や燭台、テーブルクロスなど食事に必要な
ものが、各々を担当する家臣たちによって恭しく運ばれ、列をなして宮廷内を移動
して行くのですね。食事の場所は、当時、食堂のイメージはなく王や王妃への謁見の
ための待機場所である「控えの間」であったそうです。 ルイ14世は、この部屋で
王家のメンバーと共に日々、臣下や物見高い人々の視線のもとに食事をとる習慣で
あったのです。

 

 ネフ(nef)という船の形をした金銀細工で出来た食器の一種があるのですが、広く
ヨーロッパの宮廷の食事で見られるそうで、通常、スプーンやナイフそれに貴重だった
コショウやナツメグなどのスパイス入れですが、ネフは次第に王権を象徴するための
贅沢な装飾品へと変えていったそうです。 形式を重んじるヴェルサイユにおいて、
ルイ14世はネフに入れているのは、食器やスパイスではなく、湿らせた布「おしぼり」
だったのです。
 現在でも、ヴェルサイユ宮殿の「豊穣の間」の扉の上に飾られているそうです。

 昔、ヴェルサイユ宮殿を訪問した時には、鏡の間や煌びやかな数々に見とれて、
ネフ(おしぼり入れ)などにはトンと気が付かなかったですね。

        ヴェルサイユ宮殿
       (youtubeより)

 ルイ14世は、在位中ずっとヴェルサイユでのお大掛かりな公開の食事を好んでいた
わけではなかったようで、このような儀礼に縛られた宮廷生活からの息抜きの場と
してマルリーというもう一つの宮殿もあったようです。ここでは、食事もより親密な
間柄の者たちだけで、もちろんネフ抜きで過ごしたようです。王も、気の置けない
人たちと安心できる空間で楽しみたかったようです。

 

 

 

【衝撃】ヴェルサイユ宮殿の不思議な食事とは?

 

 

 

 

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醍醐寺桜会

2025-04-06 | 日々雑感、散策、旅行

 今頃は桜尽くしの京都市伏見区の醍醐寺は、3/15~4/15の期間、『清瀧権現桜会
(さくらえ)』として特別法要と様々な特別拝観が開催されているとあります。
そして、4 月の第2 日曜日は恒例の「豊太閤花見行列」が開催され境内は大変賑わって
いるようです。

      国宝五重塔とさくら
       (醍醐寺HPより)

 

 醍醐寺は、開創 1150 年(昨年)を迎える古刹で、平安時代より花の醍醐と言われ
た桜の名所です。京都市街の南東に広がる醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な
境内を擁する真言宗醍醐派の総本山とあります。
 醍醐寺の奥にある登山口の女人堂からさらに小1時間ほど険しい山道を登ると、
醍醐寺発祥の地である上醍醐に行きます。ここ上醍醐の准胝堂(じゅんていどう)は、
西国三十三所の第11番札所で、准胝観世音菩薩がお祀りされています。

 私は、かって1980年頃、勤務が大阪でしたので、もっぱら土日を利用して2年がかり
で西国三十三か所(番外を含めて36か所)巡りをした時、この上醍醐の登りが当時
でもかなりきつかった記憶があります。 この時は、桜の時期ではなかったので、
冒頭のような催しはありませんでしたが、何しろ広いのと、国宝、重文などの宝物が
たくさんあることで知られていました。また、上醍醐には、開創以来湧き続けると
いう「醍醐水」があり、冷たいこの水を飲んだ時の醍醐味は格別でした。

 醍醐寺には、国宝75,537点、重要文化財430点が国の指定を受けており1994年(平成
6年)に、「古都京都の文化財」として世界文化遺産に登録されたのですね。

         豊太閤花見行列
        (醍醐寺HPより)

 サクラの話題に戻りますと、1598年の春、豊臣秀吉はこの寺に花見に際して畿内
から700 本の桜を植えさせ、更に寺院と庭園を造って盛大な宴を開いたそうです。
息子・秀頼や正室・北政所、側室の淀、三の丸など女房衆 1300人余りが参加したと
いわれていて、この故事にならって、今も毎年4月第2日曜日に「豊太閤花見行列」
が開催されているのだそうです。

 境内に、京都府で一番古いソメイヨシノ(樹齢 120 年以上)とされている木が
あるそうですが、2018 年の台風で、大きな枝は折れ、根こそぎ倒れてしまったそう
です。しかし、翌年には、数本の枝に花をつけ今は元のような大木に満開の花をつけ
る「ど根性さくら」があるそうです。

      ド根性桜(上:2019年、下:2025年)
        (醍醐寺HPより)

 醍醐寺のHPを見ていますと、お休み処のほかに、シャレたフレンチ・カフェ
「フレンチカフェ ル・クロ スゥ ル スリジェ ~桜の樹の下で~」があるのだそう
です。若い人たちやインバウンドの旅行者にも受けているのかもしれません。
 今はお寺も変わってきたのですね。

       花見しながら・・ ル・クロ スゥ ル スリジェ
        (醍醐寺HPより)

 

 

 

醍醐の花見 京都醍醐寺2025年4月

 

昨年のイベントです~

醍醐寺 Day 1: 桜を堪能 / Day 2 : 豊太閤花見行列 特別観覧席で見学

 

 

 

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清明    -

2025-04-04 | 健康、医療

 今日(4/4)は、二十四節気の「清明」です。 久しぶりに二十四節気をとりあげ
ましたが、「清明」は初めてです。 「清浄明潔(しょうじょうめいけつ)」の略語で、
「清明」。 清らかで明るく、活気に満ち溢れているさまを意味し、春の穏やかな
日差しを受けて、天地万物が清々しく、明るくある様が「清明」の時季です・・と
あります。

        (nippon.comより)

 本来はそのような季節到来なんですね。 しかし、今年の春は最悪です。ソメイ
ヨシノがようやく咲いたかと思うと連日冷たい雨ばかリで、うららかな陽射しは、
ついぞお目にかかれずじまいでおまけに真冬の寒さに震えている有様です。
 今日あたりからは少しずつ気温も上がる予報がされていますが、昨今の傾向から
すれば、短い春はあっという間に過ぎて、今度はいきなり猛暑日?なんていう日が
来るのかもしれません。

                

 二十四節気は、太陽の通る天球の道「黄道」と天の赤道との交点の一つを春分として、
黄道を24分割して定められています。 で、春分の時を黄経0度として、清明は春分の
次の節気ですから黄経15度、その次の「穀雨」は黄経30度・・以下、夏至は90度、
秋分は180度、冬至は270度、啓蟄が345度となります。

    (東京都立大学ページより)

 実際には、太陽暦の1年と地球の公転周期のズレがあり、二十四節気の分割方法に
よる誤差が原因で、この「清明」の日は、4月4日または5日となることがあるのです。
昨年、今年は4日ですが、これまでは圧倒的に5日が多かったですね。

 理屈っぽい話しでしたが、「清明」は、字の如く「春のうららかな日差しを受け
万物が明るく清らかであることを意味している」のですね。

 

 二十四節気をさらに3分割した「七十二候」では、この清明では、日本で、

初侯 玄鳥至(つばめ いたる) : 燕が南からやって来る

次侯 鴻雁北(こうがん きたす) :雁が北へ渡って行く

末侯 虹始見(にじ はじめて あらわる) : 雨の後に虹が出始める

とあり、なるほど本来はこのような季節なんですね。

        (そらくらより)

 物価高や関税や戦争、地震・・などと頭の周りで騒がしいこの地球では、このよう
な気分に身を置くことがなかなか難しくなってきているのですね。

                

 ネットを繰っていますと、次のような「」が出ていました。

・サザエ 春から初夏が旬の時期だそうです。「ササ」は小さいを表し、「エ」は
家を表しているそうで、小さい家という意味だとか。サザエの刺身はコリコリとして
好きでした。今はもう噛めないですね。つぼ焼きも良い香りと共に珍味ですね。

・みつば もともとは野草だったそうです。それが江戸時代あたりに栽培されるよう
になったとか。みつば・・といえば、お吸い物や、茶わん蒸しなどを想い出します。

・花では、アネモネとありました。この時期花は山ほどあるのになぜアネモネなのか
不明です。さくら、もも、藤、さらに タンポポ、チューリップ、ガーベラさらには
菜の花・・などたくさんあるのに・・。

・新じゃがいも も挙げられていました。皮が薄く、そのままふかして「じゃがバター」。

・行事では、十三参りがありました。数え年で13歳になる子どもたちが、虚空蔵菩薩を
参拝し、知恵や福徳を授かるのだそうです。子どもたちは好きな漢字を一字書いて
「お身代わり」として捧げるというのですが、残念ながら私は経験がありません。
とくに京都や奈良でおこなわれているとあります。七五三ほどは、普及していない
ようです。

                

 まあ、このようなことで、訪れる春を、全身で楽しみ心豊かな節気としてしみじみ
と味わい深い時季なんですね、本来は・・。

 

 

 

【少壮吟士愛吟集】「清明」(吟詠)安藤聖楓

 

二十四節気「清明」 草木が活き活きする頃

 

 

 

 

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寒い雨の4月入り

2025-04-02 | 日々雑感、散策、旅行

 昨日(4/1)の関東は、朝から(というか夜から)冷たい雨でした。それもしっかりと
降って木々など植物には恵みの雨のようでもありますが、気温が最高でも 6~7℃と
真冬並みでは、せっかく咲いたソメイヨシノも震えていることでしょう。 今日も冷た
い雨が降り続いています。

 そんな4月は、まだ物価高が続くという。 2000品目以上が高騰すると発表があり、
すでに麻痺してしまったのかあまり強いインパクトに感じなくなっていますが、生活は
その分苦しくなってきているのですね。のんきな言い回しで申し訳ありません。

        雨の千鳥ヶ淵ライブ映像(2025.4.2)
        
                   (youtubeウエザーニュースより)

 先日の「春の散策」で、東大赤門前に集合した時、大勢の東大卒業生がアカデミック
ガウンを着て家族とともに晴れやかな情景に出会いましたが、丁度卒業式の日だったの
ですね。
 この4月には、全国で大勢の、新入学生が胸を膨らませることでしょう。小学生から
大学まで、晴れやかに・・。 そして、新社会人たちの入社式も新しい門出に希望を
抱いていることでしょう。テレビでもユニークな入社式が報じられていました。若い
エネルギーに満ちた新しい舞台が廻ってきましたが、これらの舞台がさらに燃えるよう
な息吹となって大きく長く栄えて行くことを期待するばかりです。

 が、現実にはこれらの新しいエネルギーも時と共に冷め、エントロピーは増加の方向を
辿るのはやむを得ないことなのでしょう。しかし、そのような状況の中からもいくつか
の新しい息吹が芽生えてくることを期待しましょう。


 新年度予算がぎりぎりで年度内成立となりましたが、その過程はダッチロール風で、
最初 衆院通過を果たしたのは、日本維新の会の高校授業料無償化を、それほど議論も
せずに受け入れることと入れ替えに数を確保したのでした。 その後の審議も各党とも
今夏の参院選を控えた駆け引きに終始した感があり、とても首相が言う「熟議」には
ほど遠い事態であったのでは・・?

       年度内次年度予算成立
       (日テレニュースより)

 維新の地元、大阪の今年の府立高校の受験状況を見ますと、府立高校 142校のうち
79校が定員割れであったそうで、昨年より9校増えているという。この現象は、高校の
授業料無償化を私立高校をも対象としているため、私立の授業料ハードルが低くなり、
受験生は私立へ流れたと分析されていました。 余談ながら、今年の最多定員割れは、
定員200人のところ133人だったそうです(つまり、67人しか受験していない)。
この高校は、2009年に近隣校と合併していました。

 

 フジテレビの第三者委員会による調査報告書が、3/31日に公表されました。 まぁ、
この事件もうんざりものでフォローもしていませんでしたが、どうやら(報告書によれ
ば)人権意識の希薄さ、腐った企業体質による‥とされているようで、このような先端を
行く企業としてあるまじき旧体質が温存されていた・・あきれるばかりです。 他の企業
は大丈夫なのでしょうか?

 新しい年度のスタートだというのに、愚痴っぽい話題ばかりを取上げて申し訳ありま
せんが、南海トラフ地震関連報告書が3/31に公表されました。具体的被害想定が行われて
いて、最悪の場合 29万8千人の死者が想定され、被害額も 292兆円と今年度予算115兆円
(過去最大)の2倍の規模となると想定されています。耐震や津波対策、避難方法など
によりこれらの被害は縮小されるとありますが、それにしても現実となった場合には
国の機能は、一体どのようになり、我々の生活はどのようになるのでしょうか?
 不安ばかりが大きくのしかかってきます。この報告書を基に、国や地方自治体は方針
なり対策なりを示すのでしょうね。

 

 国外に目を向けると、相変わらず関税旋風が吹き荒れて株式市場も大揺れに動いて
いますが、こんなことをして一時的な自国経済の立て直しを図ろうとしても、すぐに
ぼろが出てしまいそうです。アメリカでは鳥インフルの蔓延により「たまご」が極端に
品薄で高騰し、他国からの輸入促進に走っているらしい。

       たまご(1回の清算では2パックまで・・)
       (BBC newsより)

 「ウクライナ戦争は24時間以内に終わらせる」と選挙前には豪語していたトランプは、
ここにきて、ロシアとの交渉に突き当たっているようで戦火は一向に収まりを見せて
いません。偉大な国の大統領は、このような無責任な発言やディール(取引)をしては
いけないのではないか? ま、偉大な国ばかりでなく、どの国も、真摯に向き合って
ことにあたるべきなんでしょうね。

 ミヤンマーで大地震が発生しました。この国は現在、軍が支配をしていて、災害その
ものの状況も詳らかではありませんが、なお、少数民族に対して空爆などにより迫害を
継続しているとの情報もあります。どの国も、つまりは我が身第一で、他のこと、先の
ことなどはお構いなしなんですね。

 

 新年度早々、ボヤキごとばかり並べてしまいました。真冬に逆戻った、超寒い、しっ
かりと降る雨に引きずられてしまったようです。

          (ネット画像より)

 

昨日のニュース映像です。

都内の花見の名所はいつまで楽しめる?冷たい雨でも楽しめる“雨のお花見”スポットも紹介【Nスタ解説】|TBS NEWS DIG

 

 

 

 

 

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不思議な日本語(59)

2025-03-31 | 日々雑感、散策、旅行

 寒暖の差が20℃近くもあるなんて、追随できず体調管理が大変なこの頃です。 
サクラも咲いたことだし、もういい加減に春に定着してはどうですか‥愚痴の一つも
出てきそうです。 国会は年度末大詰めの攻防を繰り広げていますが、何となく薄暗い
穴倉でやり合っている感じですね。(失礼!) それに反して、プロ野球が開幕して、
セ・パ両リーグそしてMLBも一気に明るい華やいだムードが立ち込めています。 
センバツは、19年振りに横浜が優勝しました。

 月末を迎え、59回目の不思議な日本語のコーナーとなりました。例によって、当意
即妙、浮かんだ言葉を順不同に並べていますので、いつもながらどのような言葉が出て
くるか・・、脈絡はありません。それでは早速・・

 

・星座 いきなり星座を選んでしまいましたが、これに関連する‥というか、派生した
言葉を拾ってみれば、かなりのボリュームとなりますので、ここでは、ぐっと端折って、
そのエキス部分だけに留めました。 いつの日か、機会があれば、星座についてもっと
深いところを記事として見てもいいか‥と思っています。

        オリオン座
             (honda.co.jpより)

 星座というのは、もともとは「ひときわ明るい星、そして、特別な場所にある星の
ことだそうです。『明るい』というのは夜空によく光っている、目立つ星のことを指し、
『特別な場所』というのは天の北極や太陽の通り道(黄道)にある星のことをさします。 

 「座」はイスや席、地位、位などを意味する言葉で、公的な場所や市場内における
特定の座席という意味に由来するそうですから、そのような場所にある星のことを言う
のですね。 現在のように、星と星をつなぎあわせて動物や道具、神話に出てくる英雄、
怪物などを表す「あるまとまった星たち」を星座という風になったのは、古代ギリシア
あるいは古代バビロニアの時代に起源を持つのだそうです。

 時代によって、また国によってそれらの星座の名称は変化したりしてきたようですが、
現在使われている星座は、約5000年前のメソポタミア地方(現イラク付近)の羊飼い
たちが、夜ごと星空を眺めながら明るく輝く星々を結んで、動物や英雄たちの姿を星空に
描いたのが始まりだとされているとあります。

 現在の「星座」は、名称、略号、星座の境界が、国際天文学連合(IAU)によって決め
られていて、その数は88あるそうです。

        星座の中を移動する太陽
       (AstroArtsより)

「星」の語源は、象形文字の「晶」と「生」に由来しているとあります。 「晶」は、
「澄みきった星の光」を表す象形文字で、下部の「生」は、「草・木が地上にはえた」
ことを表す象形文字だそうです。 で、この「晶」が略されて「日」となり、これと
「生」を組み合わせた「星」は形声文字(けいせいもじ)と言われるそうです。

 少し横道に入りますが、形声文字とは、意味を表す文字と音を表す文字を組み合わ
せてつくられた漢字で、漢字の80%以上が形声文字だそうです。たとえば、銅、胴、洞、
桐などですね。 「星」の場合は、縦に並んでいますが、日が意味を、生が声(音)を
表しているのですね。
 また、漢字と漢字を組み合わせて、異なった意味を表す文字を、会意文字というそう
です。たとえば、「休」は「人」と「木」を組み合わせたもので、人が木に寄りかかって
休むことから「やすむ」という意味をあらわすのですね。

                        

 電気など文明のまだない古代の人々が、夜空に瞬く星たちを眺め、いろいろな形や
文字、神話の世界と結び付けたり・・そんなロマンに満ちた「星座」のお話が、随分
理屈っぽくなりましたが、現在88の星座が国際で定義されています。 その中には、
よく知るアンドロメダ座、おうし座、オリオン座、カシオペア座、こいぬ座、さそり座、
はくちょう座・・などがあります。

 しぶんぎ座流星群は、真冬に多くの流星が観察される三大流星群の一つですが、しぶ
んぎ座という星座は、1930年頃に星座が88に定められた時、その中に入っておらず、
現在では存在しないのですね。星座そのものはありませんが、流星群としての名前だけ
は現在も残されているのです。

 

 長くなりますが、「座」という文字の意味は、漢字ペディアに次のようにありました。
 ①すわる。すわる場所。また、おさまる地位。くらい。「座席」「王座」 ②集まり。
つどいの席。「座談」「満座」 ③中世の商工業の同業組合。 ④江戸時代、貨幣などを
造った公設の機関。「金座」「銀座」 ⑤能楽・歌舞伎(カブキ)などの団体。また、舞台
や劇場。「高座」 ⑥星のやどり。「星座」 ⑦ものをすえる台。「台座」 ⑧神仏の像など
を数える語。 ⑨います。「いる」「ある」などの尊敬語。

 山の数を数える時に「座」をつかいますが、山岳信仰から、上の⑧の意味からのよう
ですね。

 

 ・赤道  「星座」で時間をとり過ぎましたので、残る言葉は簡単に・・と思います。
 地球の重心を通り回転軸に垂直な平面で切った時の円周にあたる理論上の線が「赤道」
ですが、なぜ赤なのでしょうか? 古代中国の天文学において、太陽が真上を通ると
される地点を天球図で表現する際に、赤い線を用いたことが由来なのだそうです。
なんだか肩透かしにあったような、理由なんですね。

 地球の赤道の全周長は約40,075 kmで、ここが最長で緯度の基準の一つで緯度0度を
示します。赤道上は世界で唯一、太陽が天頂から天底までまっすぐに沈む場所であると
ウイキペディアにあります。

     (ウイキペディアより)      

 赤道は、英語で Equator(発音はエクエイターの感じ)と言いますが、“Ecuador is on
the equator.”(エクアドルは赤道上にある。) そうです、エクアドルは北緯0度0分
にあります。ほかに、0度0分にある国は、インドネシア、コロンビア、ブラジルなどが
あります。

 赤道の他、黄道や白道というのがあります。黄道は天球上の太陽の通り道で、天の
赤道は地球の赤道を天まで延長した時の赤道です。黄道と赤道は春分点と秋分点で交わ
ります。また、白道(びゃくどう)は、天球上の月の通り道で、地球から見た月の軌道
を天球に投影した大円のことを言います。 地球の「赤道」から、太陽は「黄」で、
月は「白」なんですね。しかし、太陽と月は、見かけ上のその通り道のことですね。

          (HugKumより)

 

 ・素人 その道で必要な技能や知識をもっていない人、あるいは、その事を職業・
専門としていない人を素人(しろうと)と言いますが、どうして「素」なのでしょうか? 
 ウイクショナリーに次のようにありました。『江戸期の歌舞伎俳優の演技や人気を
評した批評書「役者評判記」において、うまい役者に「吉」の文字を付したが、白抜き
文字の「白吉」と黒文字の「黒吉」があり、後者が上位とされ、より巧みな者を「くろ
ひと」、そうでない者を「しろひと」と言った事に由来する。また、なり立ての遊女を
「しろひと>しろうと」と言ったことから。』

 もともと、平安時代には「白人(しろひと)」と言い、白塗りをしただけで芸のない
遊芸人をさす言葉であったのが、室町時代には「しらうと」となり、江戸時代に「しろ
うと」と音変化したとあります。残念ながら「白人」が「素人」に転じた由来は未詳と
ありますが、「素」には「ありのまま」という意味の他に平凡さを軽蔑する意味も含ま
れているため、「素」の字が使われ「素人」になったのではないかとあります。

 また、玄人が 素人の対義語として生まれた言葉で、素人の語源「白人(しろひと)」
の対となる「黒人(くろひと)」が語源で、「玄」の字が使われた由来は、「黒」より
も奥深く容易ではない意味合いが強いことから、「玄」が当てられ「玄人」になった
ものとあります。

 ついでに、「ずぶの素人」は、始めたばかりの初心者や未熟者を意味する言葉ですが、
「ずぶ」には、次のような意味があるとあります。

  • 「まったく」「まるっきり」「全然」という意味の副詞で、現代では「ずぶの」
    の形で用いられることが多い。
  • 全身が水に濡れるさまや全体を水につけるさま、またその時の音を表す語。
  • 動詞の連用形から転化した名詞に付いて、「はなはだしく」「すっかり」などの
    意を添える接頭辞

 

 ・だらしない 何が無いのでしょうか?  Japan knowledgeによれば、この言葉は、
「だらし」が「ない」のではなく、「しだらない」の「音位転倒(転換)」だとあり
ます。「音位転倒(転換)」とは何か・・ですが、これは、ひとつの単語の中の隣接
する音が位置を交換させてしまう現象のことだそうで、たまたま言い間違いで起きる
ことも少なくないようですが、それが固定化して語形変化を起こしたものと考えられる
とあります。たとえば、幼児が「とうもろこし」のことを「とうもころし」と言ったり、
「エレベーター」のことを「エベレーター」と言ったりしていることがありますね。

 幼児だけじゃありません。わざわざ、「キセル(煙管)」を「セルキ」と言ったり、
「マネジャー→ジャーマネ」や「わたし→たわし」などとわざと転倒させていることも
あります。

 そうでなくても、「あらたし」→「あたらしい(新しい)」、「さんざか」→「さざ
んか(山茶花)」などがありますね。

 で、ここの「だらしない」は「しだらない」の転倒であり、「ない」は否定の「ない」
ではなく、「はしたない」「せわしない」などと同じ、その意味を強調する形容詞を
作る接尾語の「ない」ということで、「しだら」とは、秩序がなく乱れているという
意味の「しどろ」が変化したと見られていて、「しどろもどろ」として使われますが、
この「もどろ」も、入り乱れる、はっきりしないという意味で、言葉や行動に秩序が
なく乱れていることを言っています。

 「しだらない」は、「しまりがない。ぐうたらだ。乱れている」の意で、これが転倒
された言葉なんですね。

          (いらすとやより)

 ・苦手 語源由来辞典から引用します。 苦手とは、自分とは合わず扱いずらい相手
や好ましくない相手、あるいは、得意でないもの、不得手の意味ですね。 しかし、
江戸時代には、「不思議な力を持つ手」の意味で、その手で押さえると、腹痛が治り、
蛇なら動けなくなる‥という手で、爪には毒があり苦みのある手であるとあり「苦い味
のする手」であったそうです。

 そこから「苦」には、扱いずらく好ましくない、なかなか勝てない‥という意味が
生まれ、「手」も「相手」「担い手」のように「人」を表すようになります。「苦手」は、
扱いずらく好ましくない相手、「相性が悪い」から転じて「得意でない」などを表す
ようになったと・・。

 

 「苦い」という言葉が比喩的に不快なことを表すのは江戸時代で、現在のように不得手
の意味に使われるのは明治になってからとあります。 なので、もともと江戸時代に
使われていた「苦い手」(不思議な力を持つ手)から変化したのではなく、それとは
無関係に「苦い相手(不快な相手)」として、新しい言葉として生まれた可能性もある
・・とされています。

 また、味覚には甘味、辛味、酸味、苦み、旨味の5つの基本的な要素がありますが、
このうち「苦み」は、どことなく悪役(ヒール)を演じているようで「苦い」は、つらい、
苦しい、不愉快などの感覚や感情を表していますから、「苦い相手」「苦い対象」なん
でしょうね。

                 

 言葉というものは、意思や情報、情景などの表現・伝達手段として生まれ、変化して
あるいは突如として出現したりして、長い年月のうちにそれぞれに変化、転化などして
時代を流れて来たのですね。それらの言葉の、使われ方や頻度、状況によって角が取れ、
あるいは何かが付けたされたりしながら成長しているのですね。 言葉の不思議は、
すなわち時代、環境、生活様式などの変化とともに存在しているということなんですね。

 

 

 

 

フォレスタ  「冬の星座」(2016年)

 

 

 

 

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