寒暖の差が20℃近くもあるなんて、追随できず体調管理が大変なこの頃です。
サクラも咲いたことだし、もういい加減に春に定着してはどうですか‥愚痴の一つも
出てきそうです。 国会は年度末大詰めの攻防を繰り広げていますが、何となく薄暗い
穴倉でやり合っている感じですね。(失礼!) それに反して、プロ野球が開幕して、
セ・パ両リーグそしてMLBも一気に明るい華やいだムードが立ち込めています。
センバツは、19年振りに横浜が優勝しました。
月末を迎え、59回目の不思議な日本語のコーナーとなりました。例によって、当意
即妙、浮かんだ言葉を順不同に並べていますので、いつもながらどのような言葉が出て
くるか・・、脈絡はありません。それでは早速・・
・星座 いきなり星座を選んでしまいましたが、これに関連する‥というか、派生した
言葉を拾ってみれば、かなりのボリュームとなりますので、ここでは、ぐっと端折って、
そのエキス部分だけに留めました。 いつの日か、機会があれば、星座についてもっと
深いところを記事として見てもいいか‥と思っています。
オリオン座
(honda.co.jpより)
星座というのは、もともとは「ひときわ明るい星、そして、特別な場所にある星の
ことだそうです。『明るい』というのは夜空によく光っている、目立つ星のことを指し、
『特別な場所』というのは天の北極や太陽の通り道(黄道)にある星のことをさします。
「座」はイスや席、地位、位などを意味する言葉で、公的な場所や市場内における
特定の座席という意味に由来するそうですから、そのような場所にある星のことを言う
のですね。 現在のように、星と星をつなぎあわせて動物や道具、神話に出てくる英雄、
怪物などを表す「あるまとまった星たち」を星座という風になったのは、古代ギリシア
あるいは古代バビロニアの時代に起源を持つのだそうです。
時代によって、また国によってそれらの星座の名称は変化したりしてきたようですが、
現在使われている星座は、約5000年前のメソポタミア地方(現イラク付近)の羊飼い
たちが、夜ごと星空を眺めながら明るく輝く星々を結んで、動物や英雄たちの姿を星空に
描いたのが始まりだとされているとあります。
現在の「星座」は、名称、略号、星座の境界が、国際天文学連合(IAU)によって決め
られていて、その数は88あるそうです。
星座の中を移動する太陽
(AstroArtsより)
「星」の語源は、象形文字の「晶」と「生」に由来しているとあります。 「晶」は、
「澄みきった星の光」を表す象形文字で、下部の「生」は、「草・木が地上にはえた」
ことを表す象形文字だそうです。 で、この「晶」が略されて「日」となり、これと
「生」を組み合わせた「星」は形声文字(けいせいもじ)と言われるそうです。
少し横道に入りますが、形声文字とは、意味を表す文字と音を表す文字を組み合わ
せてつくられた漢字で、漢字の80%以上が形声文字だそうです。たとえば、銅、胴、洞、
桐などですね。 「星」の場合は、縦に並んでいますが、日が意味を、生が声(音)を
表しているのですね。
また、漢字と漢字を組み合わせて、異なった意味を表す文字を、会意文字というそう
です。たとえば、「休」は「人」と「木」を組み合わせたもので、人が木に寄りかかって
休むことから「やすむ」という意味をあらわすのですね。
電気など文明のまだない古代の人々が、夜空に瞬く星たちを眺め、いろいろな形や
文字、神話の世界と結び付けたり・・そんなロマンに満ちた「星座」のお話が、随分
理屈っぽくなりましたが、現在88の星座が国際で定義されています。 その中には、
よく知るアンドロメダ座、おうし座、オリオン座、カシオペア座、こいぬ座、さそり座、
はくちょう座・・などがあります。
しぶんぎ座流星群は、真冬に多くの流星が観察される三大流星群の一つですが、しぶ
んぎ座という星座は、1930年頃に星座が88に定められた時、その中に入っておらず、
現在では存在しないのですね。星座そのものはありませんが、流星群としての名前だけ
は現在も残されているのです。
長くなりますが、「座」という文字の意味は、漢字ペディアに次のようにありました。
①すわる。すわる場所。また、おさまる地位。くらい。「座席」「王座」 ②集まり。
つどいの席。「座談」「満座」 ③中世の商工業の同業組合。 ④江戸時代、貨幣などを
造った公設の機関。「金座」「銀座」 ⑤能楽・歌舞伎(カブキ)などの団体。また、舞台
や劇場。「高座」 ⑥星のやどり。「星座」 ⑦ものをすえる台。「台座」 ⑧神仏の像など
を数える語。 ⑨います。「いる」「ある」などの尊敬語。
山の数を数える時に「座」をつかいますが、山岳信仰から、上の⑧の意味からのよう
ですね。
・赤道 「星座」で時間をとり過ぎましたので、残る言葉は簡単に・・と思います。
地球の重心を通り回転軸に垂直な平面で切った時の円周にあたる理論上の線が「赤道」
ですが、なぜ赤なのでしょうか? 古代中国の天文学において、太陽が真上を通ると
される地点を天球図で表現する際に、赤い線を用いたことが由来なのだそうです。
なんだか肩透かしにあったような、理由なんですね。
地球の赤道の全周長は約40,075 kmで、ここが最長で緯度の基準の一つで緯度0度を
示します。赤道上は世界で唯一、太陽が天頂から天底までまっすぐに沈む場所であると
ウイキペディアにあります。
(ウイキペディアより)
赤道は、英語で Equator(発音はエクエイターの感じ)と言いますが、“Ecuador is on
the equator.”(エクアドルは赤道上にある。) そうです、エクアドルは北緯0度0分
にあります。ほかに、0度0分にある国は、インドネシア、コロンビア、ブラジルなどが
あります。
赤道の他、黄道や白道というのがあります。黄道は天球上の太陽の通り道で、天の
赤道は地球の赤道を天まで延長した時の赤道です。黄道と赤道は春分点と秋分点で交わ
ります。また、白道(びゃくどう)は、天球上の月の通り道で、地球から見た月の軌道
を天球に投影した大円のことを言います。 地球の「赤道」から、太陽は「黄」で、
月は「白」なんですね。しかし、太陽と月は、見かけ上のその通り道のことですね。
(HugKumより)
・素人 その道で必要な技能や知識をもっていない人、あるいは、その事を職業・
専門としていない人を素人(しろうと)と言いますが、どうして「素」なのでしょうか?
ウイクショナリーに次のようにありました。『江戸期の歌舞伎俳優の演技や人気を
評した批評書「役者評判記」において、うまい役者に「吉」の文字を付したが、白抜き
文字の「白吉」と黒文字の「黒吉」があり、後者が上位とされ、より巧みな者を「くろ
ひと」、そうでない者を「しろひと」と言った事に由来する。また、なり立ての遊女を
「しろひと>しろうと」と言ったことから。』
もともと、平安時代には「白人(しろひと)」と言い、白塗りをしただけで芸のない
遊芸人をさす言葉であったのが、室町時代には「しらうと」となり、江戸時代に「しろ
うと」と音変化したとあります。残念ながら「白人」が「素人」に転じた由来は未詳と
ありますが、「素」には「ありのまま」という意味の他に平凡さを軽蔑する意味も含ま
れているため、「素」の字が使われ「素人」になったのではないかとあります。
また、玄人が 素人の対義語として生まれた言葉で、素人の語源「白人(しろひと)」
の対となる「黒人(くろひと)」が語源で、「玄」の字が使われた由来は、「黒」より
も奥深く容易ではない意味合いが強いことから、「玄」が当てられ「玄人」になった
ものとあります。
ついでに、「ずぶの素人」は、始めたばかりの初心者や未熟者を意味する言葉ですが、
「ずぶ」には、次のような意味があるとあります。
- 「まったく」「まるっきり」「全然」という意味の副詞で、現代では「ずぶの」
の形で用いられることが多い。
- 全身が水に濡れるさまや全体を水につけるさま、またその時の音を表す語。
- 動詞の連用形から転化した名詞に付いて、「はなはだしく」「すっかり」などの
意を添える接頭辞
・だらしない 何が無いのでしょうか? Japan knowledgeによれば、この言葉は、
「だらし」が「ない」のではなく、「しだらない」の「音位転倒(転換)」だとあり
ます。「音位転倒(転換)」とは何か・・ですが、これは、ひとつの単語の中の隣接
する音が位置を交換させてしまう現象のことだそうで、たまたま言い間違いで起きる
ことも少なくないようですが、それが固定化して語形変化を起こしたものと考えられる
とあります。たとえば、幼児が「とうもろこし」のことを「とうもころし」と言ったり、
「エレベーター」のことを「エベレーター」と言ったりしていることがありますね。
幼児だけじゃありません。わざわざ、「キセル(煙管)」を「セルキ」と言ったり、
「マネジャー→ジャーマネ」や「わたし→たわし」などとわざと転倒させていることも
あります。
そうでなくても、「あらたし」→「あたらしい(新しい)」、「さんざか」→「さざ
んか(山茶花)」などがありますね。
で、ここの「だらしない」は「しだらない」の転倒であり、「ない」は否定の「ない」
ではなく、「はしたない」「せわしない」などと同じ、その意味を強調する形容詞を
作る接尾語の「ない」ということで、「しだら」とは、秩序がなく乱れているという
意味の「しどろ」が変化したと見られていて、「しどろもどろ」として使われますが、
この「もどろ」も、入り乱れる、はっきりしないという意味で、言葉や行動に秩序が
なく乱れていることを言っています。
「しだらない」は、「しまりがない。ぐうたらだ。乱れている」の意で、これが転倒
された言葉なんですね。
(いらすとやより)
・苦手 語源由来辞典から引用します。 苦手とは、自分とは合わず扱いずらい相手
や好ましくない相手、あるいは、得意でないもの、不得手の意味ですね。 しかし、
江戸時代には、「不思議な力を持つ手」の意味で、その手で押さえると、腹痛が治り、
蛇なら動けなくなる‥という手で、爪には毒があり苦みのある手であるとあり「苦い味
のする手」であったそうです。
そこから「苦」には、扱いずらく好ましくない、なかなか勝てない‥という意味が
生まれ、「手」も「相手」「担い手」のように「人」を表すようになります。「苦手」は、
扱いずらく好ましくない相手、「相性が悪い」から転じて「得意でない」などを表す
ようになったと・・。
「苦い」という言葉が比喩的に不快なことを表すのは江戸時代で、現在のように不得手
の意味に使われるのは明治になってからとあります。 なので、もともと江戸時代に
使われていた「苦い手」(不思議な力を持つ手)から変化したのではなく、それとは
無関係に「苦い相手(不快な相手)」として、新しい言葉として生まれた可能性もある
・・とされています。
また、味覚には甘味、辛味、酸味、苦み、旨味の5つの基本的な要素がありますが、
このうち「苦み」は、どことなく悪役(ヒール)を演じているようで「苦い」は、つらい、
苦しい、不愉快などの感覚や感情を表していますから、「苦い相手」「苦い対象」なん
でしょうね。


言葉というものは、意思や情報、情景などの表現・伝達手段として生まれ、変化して
あるいは突如として出現したりして、長い年月のうちにそれぞれに変化、転化などして
時代を流れて来たのですね。それらの言葉の、使われ方や頻度、状況によって角が取れ、
あるいは何かが付けたされたりしながら成長しているのですね。 言葉の不思議は、
すなわち時代、環境、生活様式などの変化とともに存在しているということなんですね。
フォレスタ 「冬の星座」(2016年)