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新潮名作選<百年の文学>より『家霊』(岡本かの子)
平成八年に刊行された雑誌特集号を、近頃ボチボチ読み始めた。
新刊で買ったまま12年間も放っておいたのは、ひとえに不精ゆえで言い訳のしようもない。
とりあえず短編小説35編を頭から読んでみて、コツンとぶち当たったものを取り上げてみる。
名の知れた作家ばかりで、なんのかんのというのは気が引けるが、まあ当方の好みで押し通す。
とはいえ、日頃馴染みの薄い作家・作品を含め、こうして勢揃いするのはななか壮観である。
せめてラインアップだけでも記しておきたい。とりあえず、前半の18篇を順に記す。
「身上話」森鴎外、「和解」徳田秋声、「伸び支度」島崎藤村、「口入宿」正宗白鳥、「ADIEU(わかれ)」永井荷風、「好人物の夫婦」志賀直哉、「京羽二重」谷崎潤一郎、「青い顔」葛西善蔵、「豆衛門の独言」里見惇(弓ヘン)、「家霊」岡本かの子、「他生の縁」内田百、「一塊の土」芥川龍之介、「西瓜喰ふ人」牧野信一、「七月二十二日の夜」嘉村磯多、「ジョセフと女子大学生」井伏鱒二、「マルクスの審判」横光利一、「掌の小説三篇」川端康成、「こほろぎ」尾崎一雄・・・・。
このうち最も面白いと思った作品は、岡本かの子の「家霊」だ。昭和14年1月号掲載というから、ほぼ70年前に書かれたものだ。
岡本かの子といえば、漫画家・エッセイスト岡本一平の奥さんで、<芸術は爆発だ>の岡本太郎の母親である。
もともと歌人として出発し、小説を発表したのは昭和10年代の限られた期間だけ。
晩年の数年間に、「鶴は病みき」「母子叙情」「老妓抄」「生々流転」など優れた作品を残し、「家霊」が発表された年に人気絶頂のうちに急逝したと記されている。
私の生まれる前のことではあるが、岡本一平との波瀾に満ちた結婚生活は当時大変なスキャンダルだったようだ。
仏道に救いを求め、ヨーロッパに逃避行を試み、ぎりぎりのところで何かを超えた気配が感じられる。
命を懸けて情念と向き合う女性の凄さを、創作の成果からも窺うことができる。こうした特性は、男にはないものだ。
頭で書くから、人間の根源になかなか迫ることができない。
私の好きな内田百をもってしても、今回は岡本かの子を凌ぐことができなかった。
隔靴掻痒になってはいけないので、「家霊」について若干触れておく。
「いのち」と白く染め出した古い暖簾を懸けたどぜう屋に、いったんは家業を嫌って外に出ていた娘のくめ子が戻ってくる。母親が病気になって、やむなく帰ったもので7,8ヶ月が経過した頃の話である。
暮れも近い寒い日の夜9時前、徳永という老人からご飯つきどぜう汁一人前の注文が入る。母親の代から言いなりに貸しているのだから、今日もまあ持って行っておやりよというくめ子に対して、帳場の小女や出前持ちは、百円以上もカケをこしらえて払っていないのだから、この辺で清算しない限り持って行ってはいけないと言い張る。
くめ子も年長の出前持ちの意向を無視できず、そのまま注文を届けないでいると、10時の閉店のあと賄いの夜食を摂ろうとしているとき、草履の音をぴたぴたとさせて徳永がやってくる。
店の者に知らん振りをされて、心配そうな、狡そうな声を出す老人の描写から、彫金の技の深さ大変さを手振りを交えて説明する話の運びは冴え渡っている。
拒絶の意思を跳ね除けて、帳場の者をも引き込んでしまう片切彫の迫真のワザもさることながら、身体の芯をつかう仕事にはどうしてもどぜうが必要だと掻き口説くくだり、どぜうを頭から骨ごと前歯でぽきりぽきりと噛み潰していくときの老人の心情吐露に息を呑む。
まだ若かったおかみさんが、徳永に、どぜうが欲しかったらいくらでもあげますよ、と言った真相はこれ以上説明しない。
徳永もまた蔑まれてもどぜう屋に通う理由がある。現代風の色恋話には及びもつかない男女の心の機微が、この小説を際立たせている。
ほんとうに好い小説にめぐり合ったものだ。
人間を好きになれる作品だから、まだ読んでない方はぜひ捜して読んでほしい。
このブログで「家霊」という小説の存在を教えられ、すぐに読みました。
確かに「いのち丸ごと」というような小説で唸らされました。
婿はいずれも放蕩者で、おばあちゃんの代から家付き娘が帳場に根を生やしているどじょう汁の店。
主人公の母親もそうして生きてきたのだが、その生きる力は貧しい一人の彫金師の客から命を刻み込んだような最高の作品が出来たときはそれをもらうことで支えられてきたらしい。
老彫金師への想いが母親の生きる力だった。
そのためならどじょう汁などいくらでもツケで・・。
最後のほうで主人公であるその娘が店に来る学生たちと外を群れ歩きながら、その中の誰が、将来の自分の放蕩な夫になる人で誰が生きる力になるのか、蟻のすさびを巡らすシーンは怖いですね。
暖簾の『いのち』という文字をを見た青年の
「疲れた。ひとついのちでも喰うかな」
「逆に喰われるなよ」
という軽口めかした台詞が、前のほうに何気ないように置かれていて、このラストと見事に響き合っています。
何か人間の底知れなさのようなものを秘めた凄みを覚えさせられました。
素晴らしい小説を紹介していただき有難うございました。
これからもいい小説があったらお教えください。
知恵熱おやじ
(知恵熱おやじ)様、早速「家霊」を読んでいただいての的確な解説、ありがとうございます。
親の代からの家付き娘と放蕩者の婿の関係、「家霊」のメインテーマが見事に浮き上がりました。
冒頭の軽口とラスト部分の響き合いも、言われてみれば、この作品の醍醐味ですね。
雑誌の後半にも、こんな作品があれば嬉しいのですが・・・・。