ジリジリと身を焼く八月の正午
防空壕から呼び出された村人が庭に跪く
耐え難きを耐え忍びがたきを忍び
厳かな抑揚に導かれて百の思いが花々を震わす
「終わった・・・・」誰かが呟く
あたりの空気がハレーションを起こす
涙もなく見上げた夏空の突き抜ける青さに
呆然と在るのは日輪ばかり
B29はどこへ消えた
東京を赤く染めた夜はもう来ないのか
都会と田舎を半分づつ生きる僕の
感情はなお蒸発したまま
玉音放送とやらは誰の命名
比喩の上手さは昨日のまま
庭のヒマワリは今日も咲いたまま
青空をバックに両手を挙げたまま
何かが変わった予感はするが
目の前の光景は何も変わっていない
敗戦は徐々にやってきて
現実の悲惨を徐々に捲るのだが・・・・
終戦記念日も最高のレトリック
身に備わった言い換えは負けても健在
積極的平和主義の下地も
われら皆の真皮に沈着している
碧空に映えるヒマワリに問う
われらが行く末は安泰なりや
君らのように陽光を追うだけで良いのか
豊穣のタネを吐き出す国の人々は信頼に足るや
百の思いは往ったり来たり
千の風は今も戦地の丘を渡っていく
ルソンもグアムもミンダナオも
詭弁のジャングルで覆われたまま
せめてヒマワリよ
非戦の意思を爆発させよ
無数のタネが大地に散り
崇拝の花として子供らに認知されるまで
(『ヒマワリに問う』2014/08/19 より再掲)
最近は、何も語らなかった戦争経験者も、自分の経験を語り継ぐ最後の機会だと思い始めたのでしょう。
今年の夏は、戦争の実態を語る人々のTVドキュメンタリー番組が多かったみたいです。
日本人は一億総ざんげ的な幕引きを図りたがりますが、日本はどこでどう間違えたのか、冷静に反省するよい機会だと思います。
生き残った方のギリギリの告発は、胸に迫ります。
証言が一つでも多く残されることは、戦争の真実を知る手掛かりになるでしょう。