コロナはクルナ。
そういわれているような気がして、北軽井沢行きを半年以上遠慮していた。
嬬恋村近辺の山里からは、ほとんど新型コロナの感染報告を聞かず、やはり用心の結果だろうと推察できた。
それだけに、十年来の交流があるとはいえ、本音では都会からの来訪者を敬遠しているはずと判断していた。
しかし、今年も農産物の直売所は開いているというし、長雨で収穫に遅れがあったうえ客も少ないとのことで、常識的な配慮さえすればむしろ歓迎だろうとの情報を得た。
それで、山小屋の手入れがてら出かけたのだが、昨年まで営業していた「絹糸の湯」が今年は閉鎖したままと聞いて、楽しみにしていた温泉をどこにするかで頭を悩ませた。
草津の無料立ち寄り湯は、来る者拒まずが売りだが、脱衣場がちょっと心配かな?
応徳温泉は、午後から向かうには遠すぎる。
結局、あくる日、新しく『長英の隠れ湯』が出来たらしいという噂を頼りに、行きなれた六合村の赤岩地区へとクルマを走らせた。
案内所で訊けばすぐわかるだろうと思ったら、この日はあいにく閉まっていた。
ただ案内の掲示板があったから、それを頼りに探し始めた。
ぼくらのほかにも、重要伝統的建造物群保存地区の街並みを散策する男女がいたのは心強かった。
二組が前後しながら、格調ある建物や神社、火の見櫓などを見て回った。
この村は蚕の生産も盛んだったようで、世界遺産『富岡製糸場』に関連していたと思われる繭の集積場も残っている。
あれこれ見たいところはたくさんあったが、抜けるような青空の下まずは念願の温泉探しに没頭した。
「あった、あった」・・・・草に覆われた細い道の奥に乗り入れ、突き当りを左に入ったところに空き地があり、その先に温泉場があった。
まぎれもなく『長英の隠れ湯』と看板のかかった湯小屋があった。
まだ新しい感じで、別の場所にあり何年か前に閉鎖された施設とは名前が一緒だが全くの別物であった。
湯船は、入るとき以外は長尺の杉板で覆われている。
ぼくの前に先客の村人がいたので、以前の隠れ湯の常連であることを告げて、いろいろのことを教えていただいた。
一番驚いたのは、新しい『長英の隠れ湯』が温泉だったということ。
「えッ、では昔からここに源泉があったのですか」
「そうだよ」村人はあっさりうなずいた。
ぼくの頭の中にはいろいろな疑問が渦巻いた。
数年前まで利用していた「長英の隠れ湯」は、広々とした場所にあって気持ちのいい畳敷きの休憩室が人気だったが、難点は「沸かし湯」だったことだ。
だが、別の場所に源泉があることは誰も教えてくれなかった。
そうか、江戸の追っ手を逃れてこの村にかくまわれた高野長英は、もしかしたらここの源泉で体力の回復を図ったのではないか。
謎は解明されないまま、圧倒的なヤマユリの群舞に見送られて帰るために方向転換した。
ふと見ると、お地蔵さんがこちらを見ている。
つまり、源泉のある場所を見守っている様子なのだ。
気になって、敷地の外側に回ってみると、明らかに湯小屋の方を見ている。
外部には背を向けているのだ。
そういえば、長英は湯本家にかくまわれていたわけだから、源泉=湯本という図式が成り立つかもしれない。
もちろん、村人の総意がなければ、幕府が放った捕吏の目をごまかすことはできない。
江戸時代に脱獄した蘭学者の高野長英をかくまい、東北まで逃したように、つい最近まで源泉を隠し続け、目くらましの「長英の隠れ湯」(沸かし湯)を提供していたのではないか。
決して邪推ではなく、十数年かよってきて六合村の美しさ、高潔さにつながる誇りのようなものを感じるのだ。
この村の俗化しない遺伝子が、あらためて各所に見られた気がした。
(おわり)
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