どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

(超短編シリーズ)108 『奇妙な夢』

2015-02-24 01:36:34 | 短編小説

  

 ぼくの部屋は四方の壁にモノが積み上げられていた。

 婆やと隣の部屋にいたのだが、誰かが忍びこんでゴソゴソやっている気配がする。

 覗きに行くと天井に近い収納棚の蓋が三分の一ぐらい開いていて、いましもそこへ人間がもぐりこもうとしている。

 ぼくはその瞬間を目にしたのだが、立ちくらみがした途端に今見た光景が本当のことかどうなのかわからなくなってしまった。

 そこで、何が起こっているのか確かめるために、ぼくはぼくの部屋に戻った。

 最初は、四方の壁に沿って積み上げられた段ボール箱を一個一個探してみる。

 その後、人間が潜りこんだと思うあたりを探すために、収納棚に梯子をかけて一段一段登ろうとしていた。

 梯子に乗ったぼくに、足下から婆やがあれこれ指図をしている。

 内容ははっきりしないものの、とにかく声がする。

 ぼくは収納棚に頭をつっこんで、手探りした。

 思いのほか暗いので、隅の方は手を伸ばして確かめるしかないのだ。

 そうやってしばらく探したが、何一つ指先に触れるものがない。

「思いっきりが悪くてねえ。手間のかかる子だよ」

 婆やの悪態にムッとしつつ、ムキになって探したがとうとう確認することができなかった。



 なんだか残念な気分のまま、夢は中断された。

 夢とわかったのは、ぼくが今いる場所が四畳半の居室ではなく、病院のベッドということに気がついたからだ。

 ぼくは仰向けに横たわったまま、じっと天井を見つめていた。

 天井といっても、ぼくの居室のような実在感がまったく感じられない。

 端的にいえば、手を伸ばして探ろうなどという意欲が少しも湧かないのだ。

 どうせ夢なんだからと、自分を納得させてしまったからだろうか。

 ただ、夢の感覚だけがありありと甦るのは、あまり気味のいいものではなかった。

 (やっぱり、ぼくの収納棚には何かが隠されている・・・・)

 早く確かめてみたいのだが、病院のベッドに寝ているのが現実なのだから、いらついてみてもどうにもならない。

 ぼくはカフカの『変身』を思い浮かべ、ザムザもこんな気持ちになったのだろうかと訝しんだ。

 尤もぼくは、カフカの作品を何一つ最後まで読み通したことがない。

 『変身』にしたって、人間が巨大な芋虫(カブトムシの幼虫だったか・・・・)に変身して、だんだん家族の中で孤立していくなんて話は救いがなさすぎる。

 ぼくが途中で放り出したのも無理ないじゃないか。

 だいたい、人が嫌がるようなことを言ったり書いたりするのはよくないよ。

 せっかく幸せになろうとしている人に、文学だの哲学だのがおせっかいを焼く必要はないのだ。

 ぼくの収納棚だって、長年見続けてきた夢の数々を仕舞う場所のはずだった。

 そこへ、意表をついて侵入者が潜り込んだ。

 いったい奴は何者なんだ。

 夢泥棒か。・・・・おっ、おっ、そう言えば昔から「花盗人」にはお咎めなしの風潮があったな。

 それじゃ、ぼくの部屋に忍び込んだ「夢盗人」にも罪を問えないのか。

 いやいや、「花ぬすっと」はともかく「夢ぬすっと」となると意味合いが違ってくる。

 花なら笑って済まされるが、夢となると重罪だよ。

 

 あ~あ、また看護婦が点滴の具合を見ている。

 輸液の中に麻酔薬が入れてある、と言っていたな。

 ぼくの体のどこかを切除したらしいのだが、それが胸だったか頭だったか思い出せないのだ。

 正確な記憶をいつ取り戻せるのかわかないが、集中治療室から出られるぐらいに回復すれば、体のどのパーツがなくなっているのか判明するに違いない。

 (そうだ、ぼくの収納棚には、夢の材料になる哲学を押し込んでおいた気がする)

 哲学は、しまっておけばいつか夢に変わるはずだからだ。

 カントにデカルト、アリストテレス、ヘーゲル、キェルケゴール、ショーペンハウアー、ハイデッガー・・・・。

 いろんな哲学者の、いろんな主張を数えているうちに、ぼくは疲れてまたも眠りに落ちたようだ。

 眠りの底で微かに音楽が鳴っている。

 (ソッ、ソッ、ソクラテスかプラトンか、ニン、ニン、ニーチェか、サルトルか、みんな悩んで大きくなったあ・・・・)

 あのコマーシャルソングが、麻酔薬のように身体を回っている。

 いや、麻酔薬が歌を唄っているのだ。

 野坂昭如は偉大だな。哲学を夢に変えたんだからなあ。

 たくさんの夢を囲い込もうとするぼくの魂胆を見抜いて、手抜きの熟成を進めてくれたのだ。

 洋酒のように12年ぐらいは寝かせるつもりでいたぼくに、音楽という触媒を使えば夢に変わることを教えてくれた。

 そうか、そうか、ぼくの収納棚に盗みに入った奴は、そうしたいきさつを知らずに面食らっただろう。

 盗めたとしても、それはまだ夢になっていない生の哲学で、触媒がなければ熟成しないのだ。

 しかも、ろくに整理してなかったから、大学ノートに羅列した哲学者の無秩序な考えに混乱したはずだ。

 今ごろ血眼になって理屈の方眼紙を精査し、盗んだものの重さに呻き声を上げていると思われる。

 ざまあみやがれ・・・・。

 ぼくなんて、苦労なしに(いや、苦労してたのかな・・・・)体内音楽を手にしたのだ。

 意識することなく取り込んだリズムとメロディーが、血液の中をテンポよく流れている。

 (シェッ、シェッ、シェイクスピアか西鶴か、ギョッ、ギョッ、ギョエテかシグレルか・・・・)

 みんな悩んで大きくなったのに、麻薬のおかげで・・・・いや、もとい、麻酔のおかげで気分良く眠っていられるのだ。

 しかし、ぼくはこのままぼくの状態を放置しておいていいのだろうか。

 自分が受けた手術の概要も突き止めずに、太平楽に夢を見ていていいのだろうか。

  

 集中治療室で過ごした3日目の夕方、ぼくは執刀医と婦長の交わす会話を何気なく聞いた。

「感情回路を一部切り取って、代わりにゼリー状の緩衝材を埋め込んでおいたんだが、対人反応はゆるやかになったかな」

「はい、大分穏やかになりました。・・・・厭世とか絶望とか大げさな言葉を口にしていたのに、いまはもう嬉しそうな表情を浮かべて眠っていますから」

「ほほう、それはいい傾向だ。欝の袋を摘出して、躁の袋だけ残すことで、人間はみな幸せになれるんだ。欝を取った痕には自然にゼリーが入り込んで修復するんだよ」

「先生の新しい理論が、このまま浸透していけばいいですね」

「ありがとう、引き続きペイシェントの状態を報告してくれたまえ」

 医師がつかう言葉は、ぼくにとってはまるで隠語だ。

 患者本人が了解したわけではないのに、なぜか身体の一部が切り取られ、感情回路とかいうものをコントロールされているらしいのだ。

 それにしても、ぼくの入院を手配し手術を依頼したのは誰なのか。

 しばらく思い当たらなかったが、数秒後にハタと手を打った。

 すべては、あいつの仕業なのだ。

 (そう、婆やだ!)

 ぼくには家族などいないと信じてきたが、どうやら婆やが家族の役割を担っているのではないか。

 例えば父と母を失くしたぼくを育ててきたものの、「夢」に固執して引き籠もりになってしまったぼくを持て余し、特殊な病院に送り込んだのではないか。

 そのことに気づくと、ぼくの置かれた状況がいっぺんに見えてきた。

 ぼくの城ともいうべき四畳半の部屋に何者かを忍び込ませたのは、婆やの差金ではないか。

 もしかしたら、ぼくが拠り所にしている哲学書を盗み取らせたのかもしれない。

 そう考えると、一連の出来事の辻褄が合ってくる。

 (思い切りが悪くて、手間のかかる子・・・・)

 婆やが呟いた悪態には、いらだちと陰謀が含まれていたのだ。

 ぼくが夢と思っていたのは現実で、その現実がぼくを集中治療室に運び込んだのだ。

 そうか、そうか。

 婆やは、ぼくが望んだ「夢」が希望であることに気づかなかったようだ。

 もしかしたら、フロイトやユングの扱う夢と勘違いして、彼らの主張を重点的に盗ませようとしたのかもしれない。

 ぼくの身の回りを世話するだけの女性と思っていた年寄り婆さんが、実は血のつながった祖母だったりして・・・・。

 東女あたりを卒業したインテリだったりして・・・・。

「先生、医学の進歩のために、この子を役立ててください」

 婆やが同意書にサインして、ぼくの入院が決まったに違いない。

 欝袋を切除するといったオペレーションは、婆やの関知するところではないのかもしれないが、結果としては目論見通りに進んでいるはずだ。

 

 ぼくは今ベッドの上にいる。

 たぶん、ザムザと同じような立場に置かれているのだ。

 ザムザと違うのは、点滴の輸液が奏でるコマーシャルソングを聞きながら、すばらしくハッピーな気分で横たわっていることだ。

 麻酔薬の量が少ないと、多少の疑問が頭をよぎることもあるが、家族に疎まれているのかといった不安はほとんどない。

 (ギョ、ギョ、ギョエテとはゲーテのことだろうが、シグレルって誰だ?)

 ぼくにとっては、婆やや執刀医よりも、直接的に運命を左右するのが看護婦であるという事実の方が大事なのだ。

 未知の人物・・・・シグレルの素性を知りたいなあ。

 (ほんとに野坂はジグレルと言っているのか)

 まあ、いいか。

 血流に乗った野坂のメロディーが、とくとくとリズムを刻みながら、ぼくの「夢」を、いっとき夢見させてくれるんだから。

 

     (おわり)

 


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ポエム78 『アメリカフウロ... | トップ | ポエム79 『ホテイアオイの... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
妄想の罠に (知恵熱おやじ)
2015-02-24 06:12:31
何が妄想で、何が現なのか

文字を追っていくうちにぐにゃぐにゃの混沌にからめとられ、わからなくなっていく怖さ

いつの間にか鬱の袋を取られてゼリーで埋め代えられちゃたまらないよねー
精神の一部を盗まれちゃな

うつだって自分の身のうちだってーの

しかし頭の手術じゃなく腹腔内の臓器の一部を取られるのだって本当は似たようなものなんだよなあー
でも、脳以外の手術じゃ誰もありがたがって・・・麻酔が効いている間に盗られても平気だもんな。かえって有難がったりしてさ

怖い詩だね。ブルルル・・・
返信する
妄想は果てしなく (tadaox)
2015-02-25 00:38:09
(知恵熱おやじ)様、妄想も現実も同じフィールド上の出来事・・・・主人公が陥っている窮地は、手を伸ばせば届く位置にある気がします。

医療の場に精通する方にとって、鬱の袋を切除してゼリー状のもので埋めるという行為は、妄想でしょうか現実でしょうか。
ザムザのような古典的変身と、最新の医療が試みる変身との間には、明白に処置方法の違いがあると思われます。

「うつだって自分の身のうちだってーの」・・・・確かに。
コマーシャルソングを聞いて元気になれる場合もあるのですから。
妄想が現実か、現実が妄想か。・・・・パラドックスは今も健在。
人間って、面白いねえ。
返信する

コメントを投稿

短編小説」カテゴリの最新記事