とうとう こんな季節になってしまった
こつこつと生きてきて 行き着いた秋
天空をめざす望みを捨てたわけではないが
散り敷いた落葉を俯瞰すると
安堵と迷いが折り重なっている
この森に生を受け 遠方へ出かけることもなく
ひたすら天辺をめざした日々なのだが
星霜は 地上の煩悶を見下ろすのみ
それでもいいさ 天空の摂理は天空にある
一方ぼくは 地を這う風に何がなし励まされてきた
鵺が来て 一声ヒーヨと啼いた夜更けの森
鳥も獣も トラツグミの気配に耳をそばだてる
ときおり枝揺すりする コナラやクヌギたち
年を越す前に 枯葉を振り落とさなくては
安らかな眠りに就けないのだ
春夏秋冬 真っ先に見る月と星
流れる雲と 足元から湧き立つ霧
それらもいいが 誕生の日の記憶を語らせてくれ
そっと落葉を持ち上げて この世に顔を出した実生の歓び
しっとりとした褥に射し込んできた 朝の光の眩しさを
朽ちた楓葉に ミミズを住まわせ
蠢動をうながす 季節ごとの唄
ゆりかごは産声に満ち
そこはかとなく立ち昇る 胚乳の匂い
一閃ひた走る雷光に 森羅万象すべて沸き立つ
休息の午睡も つかの間の瞑想も
気まぐれ風が 吹きさらう午後
巻雲空を曳き 惑いの時は跡形もない
やがて含羞が去ると 光に透ける裸形の森
禁断の詩想には キツツキの一撃
* 鵺=ぬえ(日本の伝説に登場する空想上の怪物)
ポエム「裸形の森」拝見しております。
詩の意味は何となく分かるのですが・・・、
作者の気持ちを解説していただけるとありがたいのですが・・
人生も折り返しを過ぎた今
言葉のひとつひとつが深く沁みますね
こつこつと生きてきて 行き着いた秋は
まさに今の心境
人生そのものです
ささやかで平凡な日々の生活も
生きていればこそ
命のありがたさを感じ
明日への希望を見いだせるような気がします
昨日帰りが遅くなり、返信がおくれ申し訳ありませんでした。
さて、作品についてのお尋ねですが、作者本人の解説となるとなかなか難しいものですね。
それでも、思いつく限り申し上げます。
まず、<作者の気持ち>についてですが、森の背の高い木々が自らの来し方を見下ろす視点と重ね、幾十年を生き抜いてきた自分の感慨をまず述べさせていただきました。
トラツグミが夜の闇をいっそう深くするところでは、森に生を受けた樹木や小動物が、それぞれの知恵で夜明けを待つ姿を暗示しようと思いました。
一方、森に流れる時間は月や星と呼応し、生き物に対しては特別のかかわりを示そうとしません。
風雨、稲光、そうした自然現象を人生の苦難に引き寄せるとしたら安易に過ぎるかもしれませんが、作者の気持ちにはそれらも含まれています。
詩には、逐一散文的な叙述を拒むところがあり、どちらかといえば一語で対象を射抜くような言葉を使う習性があります。
腰の座らない流行語とか、政治や時事問題に起因する生な言葉など、本来ひとが避けるような使い方を敢えて試みたりもしています。
いずれにせよ、普段は見過ごしてしまう地点で立ち止まり、自分にしっかりと向き合う機会を作っていただいたこと大変ありがたく感謝しております。
「こつこつと生きてきて 行き着いた秋」のフレーズを取り上げていただき、森を描くつもりが何だか自分のため息を見られてしまったような恥ずかしさを感じました。
それでもめげずに森の営みや時間の流れを書いたことを喜び、森の命を支持していただいことに、心から感謝申し上げます。
カラマツを裂く落雷の激しさなど、森の様相には逆説が満ち満ちていることを付け加え、御礼にしたいと思います。
解ったようでそうでありません。森羅万象、宇宙のすべて、詩の世界って無限に創造していくのですね。
<75翁 野菜作りと写真が趣味>