(おっ魂消た)
昔から人魂を見たという話は、けっこう伝えられている。
シゲルの記憶にいまでも残っているのは、詩人の竹内てるよが語った幽体離脱をともなう臨死体験の話である。
重い病気で布団に寝かされ、臨終を告げられたとき、体を抜け出した魂が自分を取り巻いて悲嘆に暮れる人々を部屋の上部から眺めていたというのだ。
当然、それまで魂が宿っていた自分の骸も見下ろしている。
特別の感慨もいだかずに、淡々とした気持ちで眺めているのだ。
やがて魂は、部屋上部の隙間から庇をくぐって外に漂い出たという。
生温かい空気にふわふわと浮かび、墓場の方向へ向かって飛んでいくと、人魂に出遭ったお婆さんが拝むしぐさをするのが見えた。
地表の比較的低い位置を浮遊していたが、途中で引き戻されるような力を感じ、墓地に行きつく前にUターンしたらしい。
ただ、そのあたりのことを竹内てるよがどう書いていたか、シゲルの記憶は不確かだ。
はっきりしているのは、病床の周囲にいた人々が必死に彼女の名を叫んでいて、その声に引きずられて自分の肉体に戻ったということだけ。
バリバリという感覚は、死にかけて生還した人に共通のものらしい。
体験した者にしか分からない、肉体に刻まれた記憶のようなものが、シゲルにも分かる気がするのだ。
臨死体験や幽体離脱については、これまでにも多くの事例が報告されている。
それについての霊能者の反応、あるいは科学者、ジャーナリストなどの見解も活字や映像になって残されている。
世界各地に伝わる伝承と比較しながら、人魂の考察を進める人もいる。
生理的・医学的見地から、臨死体験の分析を試みるレポートもある。
しかしシゲルは、それらの解説を聞くより、どちらかといえばポンと投げ出された体験談そのものが好きなのである。
見たままを提出して、受け取る側に判断をゆだねる潔さが最も信用できるのだ。
竹内てるよの体験談は、最も信頼できる話として脳のどこかに沈められていた。
いつもは忘れていたのに、突然思い出したことがある。
何がきっかけというわけでもなく、何十年も蓋をしていた記憶がむずむずと動き出したのだ。
それは、シゲル一家が東京を離れて地方に疎開する前のことだから、昭和二十年二月頃のことだった。
夜中に寝ていると、雨戸に何かがドーンとぶつかる音がした。
シゲルが目を覚ますと、灯火管制の闇の中で、父と母が息を殺している気配がした。
五歳だった彼は、怯えたように母親に縋りついた。
同時に、「シゲちゃん、シゲちゃん・・・・」と、誰かが自分の名を呼ぶのに気づいた。
目の前の母親でないことは確かだった。
抱きとめてくれている母親は、息を止めて声のする方を窺っていた。
シゲルを呼ぶ声は、仏壇の裏のあたりから聞こえた。
か細い女の声が二度、寒気を縫って届いた。
国鉄に勤める父が、父方の親戚を頼って茨城県の山奥に引越すことを決めたところだった。
すでに東京はしばしば空襲を受け、一家の住居地である北千住は線路の両側百メートルが強制疎開の対象になっていた。
焼夷弾による火災の延焼を食い止めるためとも、被災者の避難道路にするためともいわれたが、要は物資輸送のための鉄道を保全する目的だったろう。
前年の中島飛行機工場に続き、年明け一月二十七日の銀座・有楽町の空襲を目の当たりにして、躊躇していた父も疎開を決断せざるを得なかった。
ともかくギリギリで、三月十日の大空襲は避けることができた。
その疎開寸前の、春まだき深夜の出来事である。
「なんだろう・・・・」
「何かあったんでしょうか」
父と母が交わす不安げな会話が、シゲルの頭の上を行き来した。
一夜明けて、彼らのもとに叔母の死が伝えられた。
昨夜雨戸を揺るがしたのは、母の妹の人魂だったのだと皆が納得した。
シゲルに呼びかけた声も、後から思えば妹のものだったと母は認めていた。
乳飲み子を残して病死する無念を姉に伝え、無事に育ててくれるよう頼みに来たに違いないと母は涙を浮かべた。
叔母の息子マサヒロを、養子にしようかという話が一時持ち上がった。
しかし、マサヒロの父親が自分で育てることを主張して話は立ち消えになった。
尤もな話だし、茨城に引っ込む一家にとっても負担は軽い方がよかったから、気がかりを残しながらも疎開したのである。
茨城の生活には、空襲とは別の困難もあった。
疎開者と呼ばれ、遠縁などという関係はなんの支えにもならなかったからである。
シゲルにも、さまざまの苦しみが待っていたが、同時に多くの喜びももたらされた。
子供の世界は、瞬時に移り変わる万華鏡のようなものだ。
泣いた後には笑うことができた。
そうした変化に富んだ日常を送っていたせいか、彼は「シゲちゃん」と呼ばれたときの怖さをすっかり忘れていた。
いつの間にか土地に馴染み、東京での出来事はしだいに記憶から遠退いていったのである。
何十年ぶりかに思い出してみて、あのとき叔母はふわふわと漂う人魂でなく、自分の死を伝えるため超特急でやってきたのだろうかと感慨に沈んだ。
同じ中学校に通い、現在は曹洞宗の住職になっている同級生は、最近会った時シゲルの疑問にあっさり答えてくれた。
「寺では、めずらしいことでもないよ」
「やっぱり、人魂がくるのか」
「夜分、本堂の戸にドンとぶつかる音がするからね」
「えっ、やっぱり?」
「あ、お客さんがきた・・・・と、二人で顔を見合わせるんだ」
シゲルは、顔馴染みでもあるダイコクさんの様子を思い浮かべた。
柔和で垢抜けた住職の妻が、なんとなく目元に漂わせる笑みを想像してしまう。
「音がすると、たいがい一両日中に沙汰がくる」
住職が語るところでは、カチッという音の場合もあり、音の大きさで緊急の度合いが測れるものでもないらしい。
鈍行の人魂と、超特急の人魂・・・・。
(おれの考えることは、どうも下品でいかん)
シゲルは苦笑しながら、もう一度近いうちにこの寺の住職を訪れそうな気がした。
シゲルがクモ膜下出血で倒れたのは、それから一ヵ月後のことだった。
意識はなく、近くの病院(といっても設備の整った総合病院は三十キロ先)まで、一時間かけて運ばれた。
集中治療室で手を尽くしたが、そこに運ばれるまでの条件が悪すぎた。
家族が見守る中、シゲルは臨終を迎えた。
「シゲちゃん、シゲちゃん・・・・」
誰かの呼びかけを聞いた気がする。
声と共にスティービー・ワンダーの歌が流れてきた。
人魂となって身体を抜け出す感覚はなかった。
ベッドを取り巻く家族を見た覚えもない。
昼間の出来事だったので、幽体離脱したとしても誰かが鬼火を見ることはなかったろう。
そのころ、チーンと音がして、寺の鉦が鳴った。
本堂を掃き清めていたダイコクさんは、音のした方を見やった。
この時刻、住職は檀家の法事に出かけていて無人のはずだった。
怠け者の三毛猫が祭壇の間を通り抜け、法具でも倒したのではないかと邪推したが、そのような気配はなかった。
広く暗い空間では、何が起こっても不思議はない。
長年の寺暮らしに慣れたダイコクさんは、理屈から外れたことでも大概のことは容認する。
皮膚感覚というのか、普通の人よりは多様な現象に慣れているのだ。
無人の本堂で、人為なしに鉦が鳴ったからといって、目くじら立てることもない。
住職が戻ったら、茶の間の話題に持ち出すかもしれないが、そのまま忘れてしまうかもしれない。
ダイコクさんは、陽に干した客用の座布団を納戸に仕舞った後、茶の間に入って一息入れることにした。
買い換えたばかりの湯沸しポットから、急須に湯を注いだ。
茶を自分用の湯飲み茶碗に注ぎ分けると、いい色に出ていた。
(煎茶はケチしちゃ駄目よね)
満足げに手を伸ばした瞬間、使い込んだ絵志野がパチッと割れた。
無人の鉦に続く稀なる現象に、ダイコクさんは異変を感じ取った。
何が起こっているのかは分からないが、これは今までの知らせとは少し違う気がした。
その夜、住職のもとにシゲルの訃報が伝えられた。
並んで伝令の報告を受けたダイコクさんは、「へえ、おっ魂消た」と目を見開いた。
(おわり)
十時間余の手術のあと、実際に彼の歌声を聴いた覚えがあるので、使ってみました。
ICUで何本も管につながれている状態ですから、体内放送を聴いていたのでしょう。
リアルさの一助になればという気持ちです。
「おっ魂消る」なんて言葉は絶えて久しく聞いていなかったし、何が始まるのか、話の成り行きに惹きつけられたものです。
ひとだまのことは古くから語り継がれてきましたが、本当のことだと教えられたような気もしました。
"窪庭節"の語りが板についているからでしょう。
恐ろしさも漂わせながら、どこか可笑しみのあるような。
終わりに突如、スティービー・ワンダーが出てきてクスリと笑わせたかと思うと、昔、聞き覚えのあったダイコクさんが登場したりして。
夢か現実の世界をさまよわせていただき、ありがとうさんでした。