『同人雑誌の中の名作を読む』
同人雑誌「凱」
最近のサラ金事情は、いくらか改善されているのだろうか。
改正貸金業法の施行によって不法な高利は禁止されているし、過去の払い過ぎの利息に対しても現在返還している最中である。
このような状況を見れば、以前のような「追い込み」によって命を絶ったり夜逃げしたりするケースは少なくなっているものと思われる。
ただ、法改正に縛られない闇金融といったものが存在するのは事実だから、悲劇の数が減ったといっても無くなったわけではないだろう。
今回取り上げる小説は、いわゆる消費者金融が最も猛威をふるった時代、たぶん1980年代~2000年にかけて頻発した失踪の一つを題材にしている。
小説のタイトルは『その年の秋』、作者は長谷良子さんである。
発表の舞台は同人雑誌・第三次GAI「凱」35号、巻頭作品でページ数16頁の短編小説である。
「凱」は1971年(昭和46年)頃の創刊だから、実に40数年の歴史を持っている。
第一次「凱」の創立に携わった大森光章をはじめ、木川とし子、平丘耕一郎、佐加保夫、大野文吉、鴻みのるなど、才能ある作家がいずれも鬼籍に入っている。
それでも第二次・第三次と途切れることなく続いてきたのは、文学に対する熱い思いが脈々と受け継がれてきたからだと思う。
同人の入れ替わりは新陳代謝でもあり、現在は入江康範氏をリーダーとしてまったく新しいメンバーに引き継がれている。
そうした経緯の中で、長谷良子さんはいつも淡々とした作品を発表しつづけてきた。
物静かな身辺小説と評すべき作品が多かったが、今回の出来栄えはこれまでにない仕上がりになっている。
構成も描写も決して意図的ではないが、自然な運びの中に真実だけが持つ切迫感が読む者の胸に迫って来る。
テーマは大雑把にいえば、会社の経営に失敗し突然姿を消した夫と、置き去りにされた妻の話。
主な登場人物は、夫の田口武夫と妻の安子のほか、安子にとっては義姉にあたる武夫の姉、そして消息を絶った息子がいつでも帰ってこられるように実家を守り続けた父親など。
他に田口武夫とは大学時代の友人で、共に橋梁工学を学び会社勤めをしていた李燦という朝鮮籍の男が、武夫と同じように突然消息を絶つというサブ・ストーリーが背後にある。
武夫と安子は、ある年の初冬観光を兼ねて結婚したばかりの李と佐紀子の住む京都を訪れているが、それから一年後に李燦は消えたのだ。
失踪に動揺する佐紀子から連絡を受けた田口は、佐紀子のもとに駆け付け八方手を尽くして探したが、李燦の行方は警察への捜索願も空しく判明しなかった。
そうして何年か後、今度は安子が立場を換えて佐紀子に夫の行方不明を連絡することになったのだ。
安子の場合、消息を絶って間もなく夫から離婚届を郵送してきて、一日も早く役所に届を出し僕との縁を切るようにと指示してきたことから、失踪の理由だけはわかった。
執拗な貸金業者からの追及を免れるために、妻安子の身を安全な場所に移しておこうという田口武夫の配慮だった。
しかし、わずか二年の新婚生活で、容赦ない離婚という結末を目の当たりにした安子の胸中は如何ばかりだったろう。
取引き先の橋梁会社の課長や田口が経営していた設計会社の社員にも相談し、会社の廃業手続きをせざるを得なかった。
つまり、安子が会計士に依頼して会社廃業にこぎつけたのだ。
騒動があった二ヶ月後、安子は新聞の求人欄で見つけた簡単な事務職に就いた。
それまで夫の仕事をサポートする形でやってきたトレースの仕事は、もう探そうともしなかった。
安子は武夫と離婚した後も、いつか戻って来るかもしれない夫との生活を考えて、残業を言われれば喜んで引き受けた。
何気ない描写の中に、女心の一端が示されている。
安子が自分の実家にいたとき、一度無言電話がかかってきた。
父親から禁じられていたが、思わず受話器を取り「ハイ」と声を出してしまった。
しかし、あちら側の人物の声はなく、間もなく電話は切れた。
安子はもし武夫であったら自分の声とわかったはずだと思い、わかっていて切った武夫の心中を想った。
そして、再び電話がかかってこないかと一年ほど待ったが、ついに期待は空しく潰えた。
その後、安子は仕事の関係で知り合った隆之と再婚する。
結婚生活は坦々と歳月を重ね、ある年の新年を迎えたときの場面に切り替わる。
再婚相手の隆之は、正月の三が日が明けると「早めに退けると思うよ」と手を挙げて駅へ向かった。
共働きの安子は正月休みがもう一日あって、隆之の舅夫婦が帰った後の食卓などを片付け、やれやれといった気持ちで溜まった新聞に目を通しはじめる。
『亡き父を待ち軒下で衰弱死』・・・・主だった事件や国際情勢を拾い出すために三が日分の新聞の見出しをチェックしはじめた安子は、はっとしてその社会面の見出しに釘づけになる。
・・・・茨城県××町の田口武夫さん(56)が実家の軒下で凍死しているのを近所の人が見つけ、警察に届けた。
警察の調べでは、田口さんは昨年十二月二十九日ごろに帰郷、父親がすでに死去して空き家になっているのを知らず、かぎがかかっていたので軒下で寝て父親の帰りを待っていたらしい。
衣類などの宅急便を自分で受け取っていて、段ボールを敷き毛布にくるまっていたが、寒さなどで衰弱死したようだ・・・・。
タイトルの『その年の秋』は、なかなか意味深で測りがたいところがあるが、武夫の父親が亡くなった一年前の秋のことを暗示しているような気がする。
連絡を絶っていた田口武夫は、父の死を知らずに実家のある場所に帰郷したため、新聞記事の伝えたように衰弱死するという運命に見舞われる。
即物的な題名と異なり、あくまでも象徴的な意味合いを持つ品格あるタイトルだと考えるのだが当たっているだろうか。
義姉の嘆きでもある武夫の遅すぎた帰還は、「追い込み」の恐怖に切り刻まれた一人の男の哀れさと共に、説明もなく失踪という喪失を味わされた家族、とりわけ妻の地獄でもある。
偶然というか、何かの力が及んだとでもいうのか、安子が元夫だった人の消息を知ったのは新聞の三面記事の中であった。
このあたりの仕掛けは見事というか、なまじの想像力では追いつかないものである。
もう一箇所、書き出しの部分に次のような描写がある。
<安子は・・・・おぼろげに覚えている田口家の墓地にむかった。墓は小高い丘の取っ付きにあったはずだ。そこに田口武夫が葬られている。二十数年前に彼の母の三回忌で詣でたところだ。たった一回田口武夫の妻としてだったが・・・・。>
さらに最終局面では、駅構内の自動販売機で買ってきた紅茶の缶を開け、紅茶茶碗にそれを入れて、持ってきたブランデーを垂らす場面がある。
<・・・・それを武夫の前に置き、残りの紅茶缶にも数滴注いだ。「飲みましょう、一緒に」安子はクッキーをかじった。そして、かすかに香りのする紅茶を一口飲むと缶底を上にして残りを墓石に注いだ。>
このような企まざる描写は、武夫の父親が亡き母のために墓域に植えた枝垂れ桜の風情のように慎ましい。
また、本流に寄り添うように流れてきた李燦の消息不明の顛末にも、作者は妻の佐紀子に次のように語らせている。
<「田口さんはご実家へ帰られたんですね。よかったですね。李の行方はとうとうわからずじまいよ。・・・・どこか他の国ででも生きているならと思うときもありますけど、理由がわからないから切ないですよ」>
四百字詰め原稿用紙で約50枚、時の流れや場面が何度も前後する展開はけっこう複雑だが、計算というより作者の息遣いのままに置かれたような淀みない文章になっている。
意識の流れが切断されていないから、不思議なほど沁み込むように読み手の胸に入って来る。
最後の数行を、作者は次のようなモノローグで締めくくる。
<すべては、おわったこと。あなたのことも。もう少し、この枝垂れ桜を眺めていたい。美しいんですもの。それに、ふたたび来ることはないでしょうから。それとも、桜だけを見に来ようかしら、花の散りぎわに。>
ぼくも創刊2号から同人として参加していた『凱』に、このような掬すべき作品が掲載されたことは歓びである。
同人雑誌とブログによる発表と舞台は違っても、一生付き合うことにした文章の世界では仲間である。
そこに森や林があるならば、言葉の森に吹く風でありたい。
『その年の秋』は、ぼくにとって風薫る五月の淑やかさを思い起こさせる作品であった。
(おわり)
* もし、第三次GAI『凱』35号をお読みになりたい方は、発行元までご注文ください。
〒178-0062 東京都練馬区大泉町6-19-8 田代気付
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『その年の秋』はいわゆる同人誌小説(カタチのいい文学作品を創ってやろうという意識が見え見え)の域を軽々と超えた地点から、巧まず産まれてしまった小説のように感じました。
意図的な構成の頚木から解き放された作者が内側からほとばしる力のままに筆を走らせた結果としてそこにある小説といっては言い過ぎでしょうか。
作者にとっても生涯に一度あるかないかかもしれないその奇跡のような小説を、これほど精緻に腑分けしてその本質を明らかにしてくれた窪庭さんの筆の力にも脱帽です。
仰るようにたしかに『その年の秋』は名作なのでしょうね。委細を尽くしたこのブログで、まだ見えていなかった部分について多くを教えられました。
この小説の存在を教えていただいたことと併せて感謝あるのみです。いい作品を読ませていただきました。
「奇跡のような小説」と賛同してくれた知恵熱おやじさんに感謝します。
フェイスブックでも取り上げていただき、ありがとうございます。
なお、『凱』の写真拝借してブログに挿入しましたので、よろしく。
なんだか懐かしいような気分になれました。
そのなかから精選されたであろう短編小説、素晴らしいですね。
質の高い同人を擁している、この同人誌を改めて見直しました。
ところで、この文芸同人誌、ご健在に発行を続行中でしようか?
幹部級の方々は、かなりご年配だと推察しますが、新芽も出だしていたら、すごいことですね。
なお、貴兄も同人を継続なさっているようでしたら、それまた、すごいことですね。
じっくり腰を落ち着けて書きつづけ、『文学界』などから巣立っていく作家もおります。
『新潮』新人賞の鴻みのる氏や、芥川賞候補作家だった大森光章氏(いずれも故人)も、『凱』の同人でしたし・・・・。
ぼくは『凱』の脱落者ですから論外ですが・・・・。