キバナコスモス
(城跡ほっつき歩記)より
あの村には命を蘇らせる水がある
傷んだ心を癒す花が咲く
噂を頼りにたどり着いた場所が
地霊の宿る里だった
あの村には潤んだ月と星がある
疲れた体をほぐす出湯がある
芯まで浸み入る温るま湯が
こんこんと眠りをもたらす秘薬となる
下卑た言い合いに眠れなくなったのは
ぼくが幾つの時だったろう
父と母の諍いに絶望したのは
小学四年の夏のことだった
あれ以来ピンクも白も消え
ぼくの画板は黄色に占領された
空色も茜も存在せず
真っ黄色の小花が画面を占めたのだ
裸電球ひとつの部屋に篭もりきり
やっと父親の死を迎えた
水と花との蘇えり伝説を聞いたのは
母がぼくを二幕目の芝居から下ろした時だった
あの村へ行けば澄んだ目の母ヤギに会える
免疫を取り戻す初乳の恵みにも
噂を信じて出立橋を越えたのが
こころ再生の日でもあった
源泉を活かした村営の宿に入り
四十度を下回る共同湯に長々と浸かった
苛立った神経はモヤシになり
休憩室では昼間からトドになった
高原の夏はあまりにも短い
それでも花豆やトウモロコシを戴き
下界へ降りる前のアキアカネに
一足お先にと別れを告げた
帰りのバスの窓から外界を視ると
停留所の脇にはキバナコスモス
群れ咲く黄色はまるで別物
ひかりに透けてまるでミラクル
いざというときそこへ行けば癒され本来の自分を思い出すことができる。
でも現代人にははじめから『あの村』を持っていない哀しい人も珍しくないようです。
だいぶ前五所平之助監督の『黄色いからす』という映画がありました。
戦後復員してきた父親となじめない男の子が、黄色いからすの絵を描く話です。
学校の女性教師が、黄色い絵ばかり描くのは心にどうにもならない鬱屈を抱えているからであると気づき・・・という話でとても印象に残っています。
当時私もゴッホの一面黄色いひまわり畑に黒いからすが舞う絵など、黄色い絵にひかれていたこともあって胸を突かれた映画です。
詩に黄色い絵の画板が描かれていて、あのころの自分の内面を少し思い出しました。
いい詩だなあ。
川島町に所在する中世城館跡を訪れた折のこと
夏バテなのか体調はやや不良気味
しかも天気は生憎の小雨模様
保育園の園児たちの散歩に遭遇
その元気な歓声に持ち直す体調
それにも増して鮮烈なオレンジ色
漢字で表せば黄花秋桜なのだとか
花期は梅雨入りから初秋と意外に長命
すこし手を伸ばせば秋の彼岸も近い
いつもご紹介いただきありがとうございます。
中断しておりました植物図鑑の更新再開いたしました。
『あの村』とは
tadaoxさまが幼い頃過ごされた
ふるさとでしようか?
黄色いコスモスは
おもいっきり元気をいただけそうですが
こちらではあまり目にしません
よく似た外来種はあるようですが
バスの窓から
停留所の脇のキバナコスモス
とても印象的で
tadaoxさまらしい表現です
風にゆらゆらと不思議な雰囲気が伝わります
素敵です
ありがとうございました
関東地方で大きな地震らしいですが
大丈夫だったでしょうか?
お伺い申し上げます
大雨の後地震で
日本列島はとても不気味ですね
五所平之助監督の映画に、そのような場面がありましたか。知りませんでした。
また、ゴッホの絵については、ヒマワリや糸杉など不安と焦燥をかきたてる画面につよく惹かれます。
多感な時期に、映画と絵画から刺激を受けた思い出を披露していただき、この詩に厚みを与えていただきました。
ありがとうございます。
こうして撮影場所をお知らせいただくと、その場の雰囲気を楽しむことができるようです。
まして中世の城館跡、キバナコスモスのオレンジ色に戦の緊迫を想像することもできそうです。
この花の鮮烈な色には、とても見過ごせない発信力があると思いました。
昼頃の緊急地震速報より一瞬早く食卓が揺れました。
立ち上げたばかりのパソコンの蓋を閉じに走り、そのまま机の下に身をひそめました。
30年以内に直下型が来るという予測もあり、不気味ではあります。
それでも最悪の事態に直面するまでは、自分は例外と楽観しているようです。(アホですね)
さて、「あの村」のことですが、誰もが心の中に抱く希望の住処のような気がします。
「あの村」では、萎れかけた花でも光の魔力で活力を取り戻すことができます。
観念の死に怯えることはないのではないかと思うようになりました。おやすみなさい。
75翁、勉強しております。
今年は残暑もないまま足早に秋がやってまいりました。
畑でもいろいろなことが進行していて、驚きがたくさんあるのではないでしょうか。
鳥や蝶や蜻蛉や蛙など、観察記録を楽しみにしております。
コメントありがとうございました。、