先日、町内のH氏から1冊の本を頂く。先の戦争で苦難の戦を体験された大正世代の方からである。
故人となられた小柴典居氏が自らの体験を克明に記した天宝山(中国湖北省)での戦記である。読後多くのことを学ばせていただいた。 誤りを反省することなく隠蔽し突き進むことの恐ろしさ、戦の無情さを知る方が少なくなっている現在貴重な本である。
その1節を紹介しよう。
相対峙する中国軍には、侵略された自国領土の回復という大義名分がある。しかし、局部的に見ると、双方の軍の任務は防衛線の確保だけである。にもかかわらず、なぜこのような無益な殺し合いをしなくてはならないのか。「やななければやられる」原理はそれだけで、いったん戦闘が始まると、個人的に何の恨みもないのに、敵も味方も死に物狂いで殺しあうことになるのである。