百日紅どの枝先もほころび花の重さにしなって来たので再びアップしてみた。
今日は、世界で初めて原子爆弾が広島に投下された日である。当時国民学校三年生であったが、新型爆弾で百年は草木は一本も生えないという噂や仁科博士が原子爆弾である認めたことなど大人から知らされことを鮮明に覚えている。
戦後、そのときの悲惨な光景や被爆者の体験を見聞することになり、改めてその恐ろしさを知ることとなる。あれから77年経つが、しっかりと語り継がなければ成らないことをこの日を迎えて改めて想うのである。
老人会で戦前・戦後の苦難の時代を生き抜いてきた体験を記録に残そうと「湖畔の轍」出版に当たり協力してくれたT先輩、今春旅立った。Tさんは旧制広島一中生だった当時たまたま怪我で学校に登校していなかったため難(同級生は全員なくなった)を免れたのである。その後の悲惨な光景を目の当たりにした体験を投稿してくれた方である。
今日の日を迎え、改めて戦争の惨禍を知る人が、ひとりまたひとりと旅立って行く中で、勇ましい声だけが大きくなることを危惧するのである。