差塩と趣味の世界

故郷 福島差塩の想い出と徒然なる盆栽奮闘記

活動写真

2008年12月11日 | 映画

 今ではすっかり死語になってしまったが、活動写真もしくはカツドウというと子どもの頃は最高の楽しみであった。“カツドウに連れて行ってやるか”という誘いの言葉に浮き浮きしたものである。映画館では、笑いや悲しみなど喜怒哀楽を共有し、何ともいえない連帯感があり、より効果的に感情移入ができて観ることが出来たものである。

 昨日、会で映画会(寅さんの第一作)を開催した。カツドウを楽しんだ世代ばかりなので久しぶりに往時の体験を共有し楽しむことができ懐かしかった。テレビではそうはいかない。主催して良かった。


見習いたいこと

2008年12月10日 | 日記・エッセイ・コラム

  自治会行事恒例の新春作品展を準備することになり、それまで学校からお借りした展示用のパネルを今年度は作成しようと云うことになった。その作成は、器用なM氏に依頼することとなる。昨夜、大まかな構想を話し合うこととなりW氏にも参加して頂いた。何事も丼勘定を得意とする筆者だけでは心許ないからである。いろいろ話し合い作成依頼し散会となる。

 

 今朝、W氏より見事な設計図と概算見積書作成したものを頂く。迅速かつ丁寧なその仕事ぶりに敬服した。遅ればせながら見習いたいものである。

 

 


庭の千草

2008年12月09日 | インポート

No2  庭の千草は、小学唱歌の中で好きな曲の一つである。季節的には今頃を云うのであろう。あれほど賑やかに唱っていた虫たちの音もない。小学生の頃は、そうした中で孤高に咲く白菊を讃えいている歌と思っていた。

 しかし、原曲の詩は人の世の移ろいを説いている哀歌であることを後に知る。メロディーからしても、そのもの悲しさがあり頷ける。時に感傷的になることも大切であろう。、、、、

 話題が変わって、あらゆることに季節感がなくなった今日、花屋では早くも春を迎えている。追いかけるのに忙しい。写真をクリックしてみてください


年賀状

2008年12月05日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo  師走に入り、年賀状作成の時期になった。以前は、手書きで(本当は真心を込めて書くのだから、、)数が多く億劫になったものであるが、近頃はパソコンで宛名まで書いてくれるのでだいぶ助かる。その分、裏面の作成には真心を込めて作るようにしているが、果たして今年はどうなるかな。

 賀状貰って気になるのが、年長者や上司には“賀正”とか“迎春”などの2文字熟語は失礼になると教わったが、今では若い人たちからでも使われていることである。時代と共に変わっていくものなのかな。それとも知らないがためなのかな。

 今日もまた、賀状欠礼の挨拶がきた。その方々には、年賀状出しても失礼にならないと教わったが、どうしたことか多くの方はやってないようである。自分もそのひとりであるが。


初霜

2008年12月01日 | 田舎の思い出

 今朝の寒さは、体感的にこの冬1番の寒さであった。近くの駐車場の車には、一面に霜が降りていた。初霜かな。気象学的に云うと未だらしい。 

田舎で初霜を体感するのは、桑畑である。強い霜が降りた朝は、それまで青々としていた一面の桑畑が1夜にして様変わりし、暗い灰色の海となるからである。二、三日もすると明るい朝日を浴びる頃、一枚そして一枚と申し合わせたように「カサッ」「カサッ」散るのである。真夏に蚕の世話でまるで戦場のように桑摘みをさせられた喧噪さはない。そこには静寂があるのみである。Dsc00638no2

 そして間もなく、麦踏みにいそかしくなるのである。今では見られなくなった懐かしい風景がそこにはあった。