今ではすっかり死語になってしまったが、活動写真もしくはカツドウというと子どもの頃は最高の楽しみであった。“カツドウに連れて行ってやるか”という誘いの言葉に浮き浮きしたものである。映画館では、笑いや悲しみなど喜怒哀楽を共有し、何ともいえない連帯感があり、より効果的に感情移入ができて観ることが出来たものである。
昨日、会で映画会(寅さんの第一作)を開催した。カツドウを楽しんだ世代ばかりなので久しぶりに往時の体験を共有し楽しむことができ懐かしかった。テレビではそうはいかない。主催して良かった。
今ではすっかり死語になってしまったが、活動写真もしくはカツドウというと子どもの頃は最高の楽しみであった。“カツドウに連れて行ってやるか”という誘いの言葉に浮き浮きしたものである。映画館では、笑いや悲しみなど喜怒哀楽を共有し、何ともいえない連帯感があり、より効果的に感情移入ができて観ることが出来たものである。
昨日、会で映画会(寅さんの第一作)を開催した。カツドウを楽しんだ世代ばかりなので久しぶりに往時の体験を共有し楽しむことができ懐かしかった。テレビではそうはいかない。主催して良かった。
自治会行事恒例の新春作品展を準備することになり、それまで学校からお借りした展示用のパネルを今年度は作成しようと云うことになった。その作成は、器用なM氏に依頼することとなる。昨夜、大まかな構想を話し合うこととなりW氏にも参加して頂いた。何事も丼勘定を得意とする筆者だけでは心許ないからである。いろいろ話し合い作成依頼し散会となる。
今朝、W氏より見事な設計図と概算見積書作成したものを頂く。迅速かつ丁寧なその仕事ぶりに敬服した。遅ればせながら見習いたいものである。
師走に入り、年賀状作成の時期になった。以前は、手書きで(本当は真心を込めて書くのだから、、)数が多く億劫になったものであるが、近頃はパソコンで宛名まで書いてくれるのでだいぶ助かる。その分、裏面の作成には真心を込めて作るようにしているが、果たして今年はどうなるかな。
賀状貰って気になるのが、年長者や上司には“賀正”とか“迎春”などの2文字熟語は失礼になると教わったが、今では若い人たちからでも使われていることである。時代と共に変わっていくものなのかな。それとも知らないがためなのかな。
今日もまた、賀状欠礼の挨拶がきた。その方々には、年賀状出しても失礼にならないと教わったが、どうしたことか多くの方はやってないようである。自分もそのひとりであるが。