ところ変われば 2011年06月20日 | 日記・エッセイ・コラム 植物は土地の条件や管理の仕方で生育も変わると言うことは理解しているつもりだが、写真のようにこんなにも違う結果がでるとは、、。右は同じ株を兄に分けたものである 。背丈は2倍、写真ではよくで分からないが花の色彩も違うのである。今は廃れたルイセンコ学説を、、なんて。 そんな大げさなことではない。兄は毎年植え替えを、水を好むためは穴なし鉢(壷)を、肥料をまめに、、などの違いだけである。それにしても花の色は?
花菖蒲№1 2011年06月19日 | 日記・エッセイ・コラム 7,8年前だろうか菖蒲園に出かけた折求めた花菖蒲2株、その1つが咲いてくれた。名札が付いていたのだが紛失し名は判らない。 なんでもそうだろうが開花した当日が一番鮮やかである。奥のほうは3日前に咲いたのだが色彩が薄れ始めている。花菖蒲は極端である。 この株たち倭小化を試みたわけではなく植え替えを怠けたため小さくなってしまった。花が終わったら株分けし来年は大輪を咲かせようと思う。
イワタバコの花 2011年06月18日 | 日記・エッセイ・コラム あまり手のかからない多年草のイワタバコ、今年も綺麗に咲いてくれた。葉もみずみずしく山菜として食べられるという。 このイワタバコで思い出すことは小学生の頃、タバコの代用として大人は吸ったなどと言われたことがある。あれは噂だったのかなー。 戦中、戦後の統制経済の中、タバコも配給制度だったことを覚えている。大人に何本とか、あれは喫煙習慣のあるなしに関わらず配給されたと思う。なにもかも物不足の時代、そのためタバコの代用などと噂になったのかもしれないな。 イワタバコの花言葉は「涼しげ」という。
梅の収穫№2 2011年06月17日 | 日記・エッセイ・コラム ジャム用にと、梅の一部熟するのを待って収穫を伸ばしていた。ところが、路行く方や知人から「早く採らないと」の助言、然もありなん路に落下してごろごろしているようになったので今朝、雨の中収穫する。皆さん、よく観ているなあ、、。 写真は収穫の一部、梅は花を楽しみ実も楽しむことが出来る孝行木である。
地域の文化 2011年06月16日 | 日記・エッセイ・コラム 老人会で地域で音楽を楽しまれている方々を招聘し音楽会を催した。大成功裡に終わる。 バイオリン、アコーディオン、ウクレレ、マンドリン、ギターと多彩な楽器で、その特徴を活かし楽しまれている「小さな楽器」のアンサンブル演奏会である。会員共々楽しむことが出来た。感謝。 中には現職を勇退されて後、楽器を始められ楽しんでおられる方もおられるという。日々研鑽されている努力の様を鑑賞できた。 余暇を楽しむと言うことは人それぞれであるが人を楽しませる音楽などは貴重である。「小さな楽器」の皆さんの研鑽に祝福あれ。
不如帰に起こされて 2011年06月15日 | 日記・エッセイ・コラム 早暁、狭山丘陵を何時ものようにパトロール中の不如帰の鳴く音に目覚める。道路の掃除と庭の散策(狭い庭だが)が、このところの朝食前の日課である。 健気に咲く小さな花たちにも挨拶、無心になれるのがいい。さあ、今日は兄の庭の梅ノ木剪定してやろうか。
シライトソウ咲く 2011年06月14日 | 日記・エッセイ・コラム 知人に頂いたシライトソウ今年も咲き出した。鉢植えのため野山に咲くのと違って小振りだが、清楚な花である。友の日光の旅の写真では、大きく咲くのも早いようである。まあ、小さな鉢の中の世界で精一杯自然を表現してくれるのがいじらしいし愛おしい。
旬の味 2011年06月13日 | 日記・エッセイ・コラム 千葉の義弟から今年も筍送ってくれた。早速夕食の食卓に載り、美味しく頂く。孟宗竹とはまた一味違う美味である。香と共に温かい心遣いも味わう。有難う。
絆 2011年06月12日 | 日記・エッセイ・コラム 故郷の甥たちから餅が送られてきた。叔父たちを思う気持ちがありがたい。早速実家の有り難味を味わう 。 考えてみれば12歳のとき田舎を離れて60数年、実家は親から兄たちへ、そして甥たちと世代は変わるが、未だに太い絆で結ばれていること実感する。あり難いことである。感謝、感謝、感謝、感謝、。
惜敗!! 2011年06月11日 | 日記・エッセイ・コラム 昨夜来の雨の中、予定通り孫たちの試合があるということで出かける。試合は悪コンディションの中、まるで田んぼの代掻きをしているようである。パスが通らない。前半0対0、後半アクシデントが起こる。孫が激しいタックルに合い負傷し退場となる。残念!トーナメントの厳しさか。悔しさをバネに他のことにも、また頑張って欲しいものである。 それにしても、もう少し条件の良い所で試合をさせたかったな。