時の流れ 2011年12月11日 | 日記・エッセイ・コラム 今年も忘年会シーズンがやってきた。私どもは時の流れに節を付け、それに合わせて生活に潤いを求めているが忘年会もその1つである。昨夕50年も続けてきた寮生仲間の忘年会、淋しいことだが今年は伴侶を送った友が二人もいて、、。新年に希望を託そうと話し明るく散会した。 時の流れを大きな心で受け止めていくことこれも人生である。 今年もカトレア咲いてくれた何事もなかったように、、、。
期待はずれ 2011年12月10日 | 日記・エッセイ・コラム 春に孵化させた金魚たち順調に成長するものは(小さな池なので)例年のように数パーセントだが、写真のように大きくなった。しかし、平凡な模様で親のような色彩が出ない。どうしてかな?来春になったら新たに親金魚を求めて挑戦してみよう。
寒いなあ 2011年12月09日 | 日記・エッセイ・コラム 5時半雨戸を開けてびっくり、霙が降っている寒いわけだ。植物の中には戸外で越冬できないものが多い。写真のアメリカンブルー温かい室内に取り込んでからまた咲き出した。挿し木したカランコエもピンクの花をつけてくれた。寒風にさらされていたシクラメンも次から次へと咲き出した。これからは室内で楽しくむこととなる。
巨木? 2011年12月08日 | 日記・エッセイ・コラム 狭い庭の一木一草、自分で植栽したので何がしかの思い出とともに愛おしさを感じる。枯死でもされると淋しいものである。そんな中で、故郷の山から採取したモミジ35年ほど経って風格が出てきた。鉢植えで愉しんでいたのだが地面に降ろしてから根張りが巨木のようになってきた。紅葉ばかりでなくこんなところでもたのしもうっと。
同じ木なのだが 2011年12月07日 | 日記・エッセイ・コラム 娘の七五三の記念樹、寒椿今年は花つきがバラバラである。疎らなところもあれば小枠のように咲き誇っているところもある。剪定の時期が適正でなかったかも知れない。つい繁茂すると時期を構わず剪定する気短な性格が、、。反省しよう。
球根植え 2011年12月06日 | 日記・エッセイ・コラム 園芸店では様々の球根が店頭に並べられ、今まで見たこともない種類の品が売られている。こうした珍しい新種の球根もいいが、自分で種子から育てるのも楽しみの一つである。種子を蒔いて三年目の山百合掘り起こし新しい用土に植えて見た。大小様々だが皆同級生である。ネットで調べると開花まで4年とか5年かかると書いてあったが、来年は無理かもしれないな。
多摩湖三景 2011年12月05日 | 日記・エッセイ・コラム 昨日は久しぶりに写真を撮りながら1時間半ほどかかって多摩湖を半周した。風が強かったので眺望がよく日本一の富士山をはじめ世界一のタワー、スカイツリーもよく見えた。これからは写真を楽しむ者にとってはいい季節である。
2011-12-04 08:55:20 2011年12月04日 | インポート 雨戸を開けると日本晴れ、久しぶりの太陽という感じである。早暁からの風も強まり枝垂桜の葉もすっかり吹き飛ばされ庭が急に明るくなった。枝を見ると花芽の準備をしている様を見て嬉しくなる。暫くぶりの快晴、多摩湖一周でもするか。
氷雨か 2011年12月03日 | 日記・エッセイ・コラム 師走には入った途端の雨模様、今日も週末と言うのに朝から氷雨である。止むを得ず室内からパチリ、、ドウダンツツジ・モミジ・三つ葉ツツジなどの紅葉も雨に打たれて散り掛かっている。まもなく金魚たちの寝床になるだろう。 さて、今から自治会の会則改定について過去数年の役員の方々への2回目の説明会、前回同様穏便に済ませたいものである。
柿の散髪? 2011年12月02日 | 日記・エッセイ・コラム 来る年もたくさん実るように柿の剪定を過日した。今日の寒さの中で心なしか散髪後の姿みたいでスースーしているようである。桐一葉ならぬ実一ついまだ生っている。そこでパロディの一句 「一葉落ちて天下の秋を知る」ならぬ「一実残し天下の秋を知る」といくか。農家の屋敷の柿はいまだに収穫しそうにもない。もったいない!!