八郎潟への道のりは、風通しがよくてのどかでいいが、歩いてゆくにはちと遠いw
ようやく近づいてきたところ。
「軽食ンョップ湖水」は傾いているのお。観光客が来た時代があったのか?
・おにぎり
・サンドイッチ
・カ丶うどん →これは「カップうどん」らしい。
・カ丶フそば →これも「カップそば」らしい。カップ麺が売れてたのかなー。
・軽食
・各 ン”ュース →「各種ジュース」だろうな。
やっとだ。やっと卵の殻みたいに残った水路に到着。これを渡れば八郎潟の本土だ。
橋を渡る。例によって、歩いてゆく人をあまり考慮に入れていない。俺はいつもこうだ。
手前に写っている車をご覧ください。「あれっ歩行者じゃねーか!やだなー」とかなり
よけて走っているでしょw(゚益゚)w
橋の真ん中。つまり水路の真ん中で、向こう側には海への道が見えております。
ようやく上陸しました。「ようこそ大潟村へ」だってさ。よくまあ歩いてきたよ。
道が少し下がっているでしょう?ここは「埋め立てた」というより、「水を抜いて」
湖底を水田にしたのです。
うほー。広い。そりゃ広いだろ。縦27km、横26kmの湖を陸地にしたんだから。
あと5時間くらい歩けば開拓の村に出るらしいが、さすがにそこまで行ったら帰って
来られる気がしない。「大潟村ソーラースポーツラインまで、左の道を10km」と
書いてあったが、なんだかわからないものに向かって往復20kmも無理だろが。
というわけで、この景色を見たというだけで帰ることにする。
はるばる来た。見た。以上! これもひとり旅の基本だなー(^益^)w
イザベラ・バード、八郎潟を通る
バードも久保田から青森までの道のりで、八郎潟を通過しています。「縦17マイル、横16マイルのとても奇妙なラグーン(潟)で、狭い水路で海につながっており、シンザンとホンザンと呼ばれるふたつの高い丘(英国人らしく”mountain”よりも”hill”という言葉を使う)に守られている」と言っています。2人のオランダ人技師が八郎潟を調べており、北部日本海側に必要とされている港に出来ないか、と調べていました。そのオランダ人についての言及はそれだけなのですが、この時代にヨーロッパ列強諸国が日本を新たな市場として、もしくは植民地として利用できないかと物色していた様子がわかりますね。
このあとバードは体調も悪くなり、八郎潟ほとりにある虻川(あぶかわ)という「悲惨な」村に泊まることになります。梁も斜めになったオンボロの家の屋根裏は蚤だらけで、出されたご飯はあまりに汚くて食べられないほどでした。バードの部屋に1時間も座り込んだ女主人は、ひどい皮膚病でした。修羅場ですのう。
でもね、バードは体も強くないおばさんなのに、故郷スコットランドでのんびり暮らしていると気が滅入ってしまい、こういったサバイバル系の旅に出ていると生き生きしてくるタイプだったのです。