さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

川村カ子ト アイヌ記念館

2021年04月06日 | 北海道シリーズ


この日はアイヌ記念館を訪れました。「川村カネト」さんと呼びます。
正面の建物の入り口に行ってみたら、「営業中」の札が出ているのにドアは閉まり
ノックしても返事がない。パンフの電話にかけてみたら、中で呼び鈴が鳴っているのが
聞こえるが、誰も出ない。ということは、中には人がいないということだろう。


しかたなく、敷地内に立っている建物を見物。おそらくは展示物のひとつだろう。


おお、おそらくはアイヌ民族の家なのでしょう。


窓は雪で埋まっている。こんな感じで暮らしていたのでしょうねェ。

というわけで、係員は用事ではずしているのかな?ちょっと待って灰皿があるので
煙草を一服。しかし1時間待っても来なかったらどーするのー。街の中心部から離れた
ところにあるので、来るのも大変だったのです。ここであきらめて明日、という気にも
ならんのです。

記念館に隣接した住宅に行ってみる。表札に「川村」とあるので、おそらくは所有者、
少なくとも関係者のお宅だと思ったので、思い切って呼び鈴を鳴らす。

アイヌといえば、なんだかおばーちゃんを想像していたら、なんと美少女ぉおおお!!!
ううむ、これはあまりにも予想外。記念館の見物をお願いしたいと伝えたら、出てきて
鍵を開けてくれました。ううむ、俺が若くてハンサムだったら、、、とか妄想するが、
それは年末ジャンボに20年連続で1等が当たるよりも可能性は低いのか、なんて考える。
だって可能性は「低い」じゃなくて、絶対0度なんだからぁ~~。


入ってすぐの展示品を見ると、んん?先日行った俺の酒場フランチャイズ、飯田線の
駒ケ根、天竜峡???伊那はないのか。いやこれはどういうことだ?


川村カネトさんは明治26年から戦後の昭和52年まで生きたアイヌ人。明治に入ってからは
和人が北海道に押し寄せ、アイヌはそれまで住んでいた土地を取り上げられました。
アイヌの宗教、言語、生活習慣、そして狩猟や漁は禁止され、居住するように命じられた
土地は農業に適さなかったので、カネトは旭川第七師団に入隊しました。生き延びるため
とはいえ、辛かったことでしょう。

その後は山の中を移動する能力を使い、測量技師となりました。そして中央線の開通の
ために長野県に招かれたのです。天竜峡は、岩盤がもろく、断崖絶壁で誰も測量ができない
ような秘境だったのです。そこで大活躍し、国鉄飯田線の全線開通を実現させたのでした。
(アイヌの下では働けないと、和人の労働者に殺されかけたこともあったとか。しかしこの
記念館ではそういう人種差別を受けたことや、アイヌが虐待された歴史は展示してあり
ませんでした)


カネトはその後、樺太や朝鮮半島(すなわち植民地)でも測量技師として大日本帝国の
開拓(侵略)に尽力しました。


引退したあとは、この記念館を設立したというわけです。


アイヌ人の刑罰は厳しいぞ。。。


さまざまな道具類も展示してありました。


むかし初めて北海道に来たとき、こういう彫り物を見て「重いし買わないよなあー」
なんて思いましたが、職を奪われてこういう工芸品を細々と売っていたわけですよね。


中国がウィグル民族を虐待しているというニュースを見たりしますが、日本人として
アイヌ民族や琉球民族にしてきたことを忘れてはならないと思いますね。。。


熊の彫り物なんかよりは、こっちのほうが好きだな~^^


こんなのを部屋に置いたら、深夜に話出しそうだよ(^益^)w