いまは北方文化博物館の分館という名称になっておりますが、新潟の豪農、伊藤文吉が
建てた別邸を見たあとで、そのすぐ近くにあるものすごいお屋敷、旧斎藤家別邸を見物
することに。こちらも新潟を代表する大金持ち、財閥の別荘です。
どうやっておくつろぎになったのでしょうね、この広さ。
豪商・斎藤喜十郎さんは、明治から昭和初期にかけて、新潟の三大財閥のひとつに
数えられ、衆議院議員、貴族院議員を務めました。こちらは大正7年に建てた別荘
だそうです。
斎藤家は幕末に清酒問屋から事業を発展させ、明治に入ると北前船に携わる海運業に
取り組み、その利益をもとに土地を広げて金融で大財閥となったのです。私のひとり旅も、
小樽から函館、秋田、新潟を経て富山、そして西日本へと北前船の歴史の跡地を巡り
ましたね~。
見事な蔵がありました。これはもう、蔵というより巨大な金庫という感じです。
庭に出ます。大きな池があり、そこには石橋、中島、滝まである!回遊式庭園なのです。
斎藤さんは、新潟商業銀行、新潟興業貯蓄銀行を設立し、化学工業では新潟硫酸会社を
創業。日本の近代化に大きく貢献したわけです。で、議員にまでなったと。。。
戦時統制で銀行業は衰退、敗戦後には、このお屋敷は連合国軍に接収されて、あちらの
お偉いさんに使われるようになりました。こういうのも古くて立派なお屋敷を全国で
訪れて回り、何度も見てきましたね。
この一面のガラスを通して、素晴らしい庭を眺めるわけです。ガラス張りって、当時は
とっても「モダン」だったんですよね。
財閥・斎藤家は、戦後家業が衰退し、相続税などが払えなくなってきて、急速に消滅
してゆきました。別荘でこんな巨大なんですから、そりゃあ後世は維持するだけで大きな
負担ですよねェ。
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