城山公園の展望台からずっと歩いて降りてきて、街中に戻ってきたので昼飯です。
「くろいわ」のラーメンです。「こむらさき」は横浜で食べたので、まだ食べたことの
ないほうを選んだのでした。
南九州にくると、酒は焼酎、ラーメンはとんこつばっかりだなぁ~。
先日荻窪の有名店「春木屋」でラーメンを食べました。東京だと有名店は並ぶことが
多くてなぁ。こちらはガラガラでしたよ。
とんこつラーメンを食べたので、食後のコーヒーを飲みたくなって喫茶店を探しましたが
見つけるのに苦労しました。鹿児島には喫茶店が少ないのかー。あ、ちなみによくある
米国資本のチェーン店は嫌いなので最終手段です。スターバックスは他になくても
入りません。俺が探すのは古き良き時代の、落ち着けて新聞雑誌などが置いてある
ところで、やたらに狭くて客の回転を早くしようと計算しているところじゃありません。
最近は東京では絶滅危惧種で、地方でもめっきり減って、ヴァーサンがロウソクを灯す
ようにやっていて、常連のズィーサンがちらほらいるようなところです^^
そこからちょっと歩くと「ザビエル公園」があります。ここも観光地なので、「まち巡り
バス」の停車場があり、そこから次の目的地「仙巌園」に行く予定なのです。
スペイン北部、バスク地方出身のフランシスコ・ザビエルちゃん、長い旅をして
天文18年、西暦1549年に鹿児島へやってきました。500年近く前だよ!
こやつ地方貴族の生まれで、いまも残っている「ザビエル城」に住んでいました。
19歳でパリ大学に留学し、哲学を学んでいたのですが、同じバスク地方出身の
イグナチオ・デ・ロヨラと意気投合、モンマルトルの聖堂で神様に生涯を捧げるという
誓いを立てて「イエズス会」が創立されました。そしてローマに行って、カトリック教会
の精鋭部隊となるのである。
このイエズス会というのが強烈で、創設者のロヨラが騎士だったことから軍隊的な
特徴があり、厳しい戒律、上には絶対服従、恐ろしく詰込み型の教育を受けた
エリートたちがヨーロッパ中に神学校を建て、世界中のどこにでも行って布教活動を
するという精力的な拡大志向を持っていた。
んでザビエル君、ポルトガルから出発してアフリカ沿岸をぐるりと回り、インドに渡って
そこを拠点にし、マレーシア、インドネシアに行って一旦インドに戻り、それからまた
中国を経て、ついに1549年に鹿児島にやってきたのです。
真ん中がザビエル、左右の二人は弟子となった日本人。
ザビエルの書簡から、日本の印象記を抜粋します(=゜益゜):;*.’:;
日本人は、我々が知った限りの異教徒のなかで最も優れた国民であり、これほど
の人々は他にいないでしょう。親しみやすく善良で、驚くほど名誉心が強い。大部分の
人々は貧しくてもそれを不名誉とは思っていません。盗人は少なく、知識欲は旺盛
です。彼らは道理にかなったことを聞くのを喜びます。
うむう。彼らは自分たちが最も優れた文明を持ち、特にキリスト教信者は自分たちが
唯一正しいと信じて疑わないので、アフリカ、インド、中国、東南アジアを巡って
西洋以外の様々な文化が世界には存在することを知り、のちに東の一番はずれに、
また違った日本の高度な文化や価値観を見てかなり驚いたことでしょう。
しかし日本に宣教師が来たら、「迫害を覚悟しなければいけない」と言っています。
え!と思いましたが、それはとにかく質問攻めにあい、お祈りをしたり眠ったりする
時間も全くなくなってしまうほどだったからだ、というのです。日本は島国で遠い外国の
ことは何も知らないし、こちらの文化が成熟していただけに、外界に対する好奇心や
知識欲も高かったのだろうと思います。それにしても「迫害」はちと言い過ぎじゃ^^;
さてまたバスに乗って仙巌園に向かいます。観光地を巡るバスなので、またさっきの
城山に登って展望台を通過してゆくのです。途中せごどんが最後に過ごしたという
洞窟を通りました。西南戦争で総攻撃を受け、もうダメだと追い詰められた場所です。
たしか右がその洞窟で、左は太平洋戦争のときの防空壕だったような。
歴史散歩をするにしても、ちょっと時代をまたがりすぎて消化不良になってしまい
ますよねえ(^益^;
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