三角西港の港から山のほうへ登ってきました。
こちらは旧宇土郡役所庁舎。そういうふうに「散策マップ」に書いてあるので行って
みたら、ご覧の通り「海技学院」という看板がかかっています。
学校っぽいな、と思って中を見物しました。
そしたら現在は船員養成学校になっていて、奥の部屋をのぞいたら授業をやっていた!
船乗りになるために学校で、みなさん真剣に授業を受けていたのです。な~んか
プラプラと歩き回っている部外者としては恥ずかしくなったのでした。
しばらく歩くと、今度は旧三角簡易裁判所の建物があります。明治23年に開庁されて、
大正9年にこちらに移築。なんと平成4年まで裁判所として使用されていたんだって。
な~んかいかめしく造られていますよね。
手前が裁判長。左右に検事と弁護士。そして真ん中に被告が立たされるわけだ。
私は本物の裁判を傍聴したことがありますが、裁判長は上から目線で、被告に名前やら
なんやら言わせ、まさにさらしもの扱い。しまいにゃ嫌疑がかかっている犯罪とは関係ない
プライベートなことまでさらされ、説教までされるのです。たまらん世界ですぞ。
ひと通り見物すべきものは見てしまいました。時間はまだたっぷり。山の上に遊歩道が
あり、「展望所」があると地図に書いてあります。どれくらい遠いかわからずに、とにかく
行ってみることにした。
日差しはじりじりと暑い。山に登る。汗がボタボタ落ちてくる。ほとんど人が歩かない
山道を行くので、蜘蛛の巣がたくさんあり、何度も顔にかかる。蚊が多い。歩いていても
うようよと寄ってくる。いくつも刺される。こりゃまいったぞ。
あひー、ようやく着いたよ。汗がしたたり落ちる。
ま、景色はいいけど。
中学生ぐらいで好きな女の子と「ふたりの場所♪」なんて感じで来るならいいけどなー。
蜘蛛の巣が頭にかかって、いくつも蚊に刺され、汗がボタボタなおっさんがひとりっつー
のもなんだな、こりゃ。
三角西港は明治時代にオランダ人技師を招いて造られ、貿易港となりました。明治日本の
産業革命遺産として世界遺産に登録されています。
龍驤館(りゅうじょうかん)です。大正7年、明治天皇即位50年を記念して建てられた
そうです。
中には三角西港の歴史が展示されていました。上の画像で左の背の高い部屋では
ビデオが上映されていて、着物を着たお嬢さんたちが港で手を振っていました^^;
町おこしですね。しかし俺が歩いているときには、そんなカワユイお嬢さんたちは
ぜ~んぜんいなかったぞ。
外は灼熱なので、涼しい所でひと休みは嬉しい。
天草に渡る橋。最初に架かった橋は50年前のもの。老朽化しているそうで、新しい橋が
建設中。あと1年半かかるとか。
この石積埠頭、招かれたオランダ人技師と日本人石工の技術の協力によって出来た
当時最先端のものだそうです。港を通じて日本が世界に向けて開かれてゆく時代の
象徴ともいえるものなのです。
三角海運倉庫。明治20年に建てられた荷揚げ倉庫。
現在はオサレなレストランに改装されています。暑いところを歩けば、昼は当然ビール
といきたいわけですが、この数日は喘息の咳に悩まされており、夜中に特にひどく、
調子が悪いのなんのって。なので酒は自粛!この俺が旅先で酒を控えるなんて…。
旧高田回漕店。明治20年代に建てられた回船問屋です。
素晴らしい日本家屋。こういう家に住んだら、とにかく物を置けませんね。
欄間に注目。この互い違いにズレているところに味わいのある美学を感じます。
港が目の前に見える一等地。
さて天草へ渡ります。天草は熊本の西にある島ですが、もう50年も前に橋がかかって車で
行けるのです。なので熊本の交通センターからバスで一直線なのですが、まずは電車を
使います。私の旅のポリシーは、まず電車、しかたなくバス、根性で徒歩、あれば自転車
も使う、という優先順位ですから。
しかしなあ、電車だと終点の三角港まで。世界遺産に登録された建物や、そのあと天草に
渡るバス停があるのは三角西港。その間は歩いて1時間ほどか。ま、不便でものんびり
行くかー。例によって新幹線が出来たせいか、在来線のホームは0番線ときたもんだ。
この路線、なんか「A列車で行こう」とかいうオサレな企画車両が走っています。
特別料金を払い、ハイボールが飲めて若い客室乗務員が記念写真を撮ってくれるとか。
便利な時間帯に走っているわけだが、わざわざ避ける。風来坊ひとりじゃねwww
この普通列車で僻地まで行くのですが、それでも中国人観光客がちらほらいました。
席は向かい合わせの狭い4人掛け。となりのボックスに若い青年と母親の中国人親子が
やってきました。そしたら、母親のほうはこちらのボックス、俺の隣に座りました!
隣の青年は向かいの席に荷物を置き、ひとり悠々と座り、俺の隣の母親と話している。
ふつーそうするか?中国語で「サンスー」と言っていたので、ああ、三角まで行くのね、
とわかりがっくり^^;
三角駅はオサレな造りで十字架が立っており、まるで教会みたい?
港に面したとんがりコーンは、ぐるぐる歩いて上に登る展望台です。
時間はたっぷりあるので、上に登ってみました。ほとんど人はいませんが、それでも
中国人グループが観光をしていました。
ちなみに30度をゆうに超えています。日差しが痛いくらいです。西港まで1時間歩くのは
かなりきついな、と思ってバス停に行ってみると、10分後にあるではな~い~かっ!
バス到着の直前に、若い中国の(台湾とか香港などの可能性もあるが)お嬢さんがキツイ
香水の臭いをプンプンさせて、無言で「三角西港」のパンフレットを見せる。母親は
後ろに立っていた。行きたいのであろうと察して、英語で「いまバスが来るところだよ」
と教えてやる。
すると「シークルーズ」とつぶやく。「観光船が出るところは知らないよ。駅のなかに
観光案内所があるから、そこで聞かないと。でもバスはいま来るところだぞ」と教えて
やったが、そのままバスに乗った。最後まで礼どころか言葉なし!
バスの中では、他に客がいないのに、お嬢ちゃんは俺の前に座りやがる。下品な化粧品の
臭い、香水の臭いは何より嫌いなんだが!しかしいったん座った席を変えると嫌がって
いるのがわかる気がするので、なーんか我慢するはめになりました。。。
というわけで、バスで楽して三角西港に到着。臭いねいちゃんにつきまとわれないように
さっさと歩き出す。こちらの建物は、復元されたものですが、元ホテルの「浦島屋」。
いかにも明治時代に建てられた洋館という感じですよね。
一階はカフェになっており、二階はいろいろ展示品が置いてありました。
おう、ラフカディオ・ハーンが来たのかー。彼はこの地を絶賛したらしいです。
おととしは彼が熊本で住んでいた家を訪ね、昨年は出雲、そしてギリシャでつながりが
ありました。そして今年になって青梅で「雪女」の舞台の話に遭遇。行く先々、あちこちで
ハーンと接点がある私なのです。
彼はアイルランド人の父とギリシャ人の母との間に生まれ、アイルランド、英国に
育ってアメリカで就職し、日本にやってきてこちらでお嫁さんをもらいました。
こういうコスモポリタンな人生、いいねえ。
なんと「洲さき」は予約で一杯。あそこの「一文字ぐるぐる」と「かわはぎ刺身」を
食べるつもりでいたのだけどなー。
というわけで、初めて行く「美食みやじ」で「黒からかぶ」を食べることにした。
「からかぶ」とは一般に「カサゴ」と呼ばれる魚で、希少な「黒」は美味だとか。
ここはその専門店。旨いかなー。
カウンターに座ると目の前に水槽。何匹も泳いでいますが、その命は風前の灯火。
まず好きな唐揚げを注文。原型をとどめないほどに変形しておりますな。別に旨ければ
いいのですが^^; う~ん、唐揚げにすると、普段食っている「赤」との違いが
わからん。
というわけで、滅多に食べられない刺身を注文。たしかに美味しい。
美味しい魚は、一見グロテスクなやつが多い気がする。成仏してくれな。
なんか敷居の高い高級店、という感じがしたのですが、意外と若者も多い。人気店らしく
わりとすぐに一杯になり、次々にやってくる客は断られる。しかし板前はひとりで、
カウンターの向こうでは休むことなく必死に頑張っている。ちょっと落ちつかん。
出雲の「のどぐろ」の店がそうだったな。旨い、安い、だけでなく、落ち着いた店の
雰囲気も大事だよな。
2軒目を考えながら、ひとり繁華街を彷徨う。
以前に悪くなかった店もいくつかあるのだが、ニャント咳がひどい。
せっかくの旅だというのに、体調が悪いのはなー!
というわけで、この俺が、こんなことがあるのか。
酒を中断してコーヒーを飲むことに。
もしこんなときに妖艶な美女が現れて「一緒に静かなバーで、カクテルでもいかがですか」
なんて言ってきたらどうするんだ。俺の人生では、いままでのところではそういうことは
なかったが。
これがなかなか落ち着いた古風な喫茶店。夜の繁華街なので、客は俺ひとり。
初老の女性オーナーは、カウンターに背を向けて座っていました。テレビでは懐メロの
歌番組をやっており、井上陽水の「少年時代」が流れたときは、まさかの気持ちよさそうな
歌が出ました。好きなんでしょうね^^; 客がいて歌うか? (^益^)
右の写真は「カサブランカ」だな?
男の美学? カッコつけて、しょいこむのが嫌だったんだろ?
地震で熊本城が大変なことになっているのは誰もがニュースで見たでしょう。
現在は改修中で、一部だけ見られます。入口のところがもうこうでした。
中身がどどっと出てしまった感じ。切腹してはらわたが飛び出したようなw
どこも角の一本が残るんですね。真ん中は土台がなくなっているので、下にたわんで
落ちそうになっています。
映像で見たとき、「あとひといき!」とか、「一本柱をだるま落としみたいにカーン!
とやったらガラッと落ちるかな?」なんて不謹慎なこと、考えてしまいませんでしたか?
私は思ってしまいました。スミマセンw
ここも立派に立っているようで、土台の真ん中は崩れて一本柱になっています。
一本柱がもたなくなると、向こう側の壁のようになってしまうのでしょう。
足場のカバーは透明性のあるものを使用し、少しでも景観を良くしようとしているそうです。
こんな状況でも中国人観光客が多かったです。せっかく海外から来たのにね。
城壁の石は、普段はぴったりくっついていて、見た目は壁にひび割れが入っているよう
です。しかし崩れてくると隙間が出来てきて、雷おこしを割るときのようになります。
地震で揺れたときは、ガラガラと石が崩れ落ちて壮絶な光景だったのでしょう。
それにしても外を歩くのは日差しが強かった。一気に日焼け。抹茶かき氷を注文したら
こんな尖がって出てきました。横から削ってゆくと、まるでお城の石垣が崩れたのを
連想してしまいますよ~。