実際的には高確率で予想されるそのような大災害に対して、余り真剣な対応策が講じられているのかいないのか、このことに対して問題提起を投げかけたということにもなりました。それは政治的な意味合いばかりではなく、民間企業などの危機管理も問われていることで、東京への本社移転による関西経済の沈滞化に対する警鐘でもあります。今回の兵庫県知事の言葉のニュアンスには、そのような東京一極集中への怨嗟も含まれているように感じられました。
ちなみに僕の住む千里山は大正10年に新たに開発された田園都市の一つですが、直後に起こった関東大震災により大阪本社に転勤してきたエリート・サラリーマン達が多く居住し、東西の文化交流が盛んに行われたことが一つの街のアイデンティーとなっていると言われています。
『関東大震災の発生により、東京のビジネス拠点の多くが破壊され、大阪本社に東京から移転してきたサラリーマンが、お洒落で快適な郊外型住宅地として開発されたばかりの千里山に住居を構えることになり、当時の共同浴場では大阪弁と標準語のコミュニケーションが活発に行われたと言われています。現在も千里山の地域文化の中に、東京からのハイカラな生活文化の名残りが感じられる理由です。』【千里山.NET・街の歴史】