相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

令和6年= 2024年「相模太夫の旅録」総括

2024-12-31 21:39:03 | ブログ アクセス
今年で75回のNHKの紅白歌合戦も中盤、今年、令和6年=2024年もあと2時間30分で幕を閉じようとしている。今年は元旦未明「能登半島地震」で波乱のスタートとなったが、未だその傷跡は深く酷く復興には程遠い。その中にあって明るい話題では「パリ五輪」で日本の金メダルラッシュ、MLB大谷選手の大活躍である。片や暗いニュースとしては腐敗した政局、金権政治、裏金、自公政権過半数割れ崩壊、国民民主党大躍進と思ったら代表のスキャンダル。金メダル、金字塔。今年、衆院選て自公過半数割れ、これは裏金まみれ議員続出が理由、物価上昇に翻弄、などこの1文字が1年を象徴する今年の漢字は世相を反映し「金」である。一昨年5月、5類に移行した「コロナ」、皆が過去のことと忘れている感じでニュースでは発表しないが今年も3万人超えの方が亡くなっている。安全とは言い切れない今年もすっかり出不精となってしまったが、3月には4年目振りに九州へ旅をした以外は主として地元、隣市の町田、座間、海老名、都内、鎌倉、藤沢、平塚の寺社、公園の四季の花、イベント・祭り等の今日の今見ている旅地の表情を撮り続け、投稿しましたが、この一年間50万件のアクセスを頂いた20万人の方々本当に有難うございました。大晦日の今日、近くの神社へお礼参り後、公園の「スイセン」「チューリップ」を撮影し今年の旅録が終了した。来年は巳年、蛇は古代より変化、再生、永遠の象徴とアクセス頂いた方々が佳き年をお迎えになられますことお祈り申し上げます。(2412)
 
 
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栃木の古峰神社より勧請の「相武台神社」

2024-12-31 17:54:21 | 神社
座間市相武台、「相武台」の地名は昭和天皇によって命名された由緒ある土地。その前には「行幸道路」(51号線)が走っている。その1丁目に座間市では最小で相武台唯一の未法人の氏子神社「相武台神社」は鎮座している。祭神は日本武尊。鳥居脇に59年2月建立の石碑の由緒によると「栃木県古峯原古峯神社尊の御神徳を讃え臣下藤原隼人が鎮祭せしもの(千数百年前) 昭和8年部落の親睦と発展を願ふて時の有志氏神と鎮座祭神致す事と計り同年10月22日発起者本宮に代参御神霊を奉受し相武台公民館前に鎮座せしものなり 当時氏子拾戸内外なりしが現在五百戸にも及び氏子敬神の年愈々厚く各々願望成就し町内益々発展途上にあることは是一重に神明の加護御徳のたまものと信ず 昭和37年町より消防車配により此の地に車庫の新設やむなく現在地に遷宮せしものなり昭和39年氏子の賛同を得て神社を改築し9月落慶玉垣も改築記念として有志により奉納されたり 昭和42年に明治維新より実に百周年に当り其の偉業を讃えて明治百年事業といたし氏子の協力を得て鳥居を再建奉納せしものなり 町内の発展を祈念し相武台神社五十有余年の歩みを是所に記すものなり」と刻まれている。今年も今日で終わり、明日から新年、初詣用のしめ飾り、紅白の幕、テントも張られ準備も万端のようである。(2412)
 
 
 
 
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座間「かにが沢公園」では「ツバキ」が開花した!?

2024-12-31 08:58:33 | 公園・庭園
座間市緑ヶ丘、四季の花々で彩られ「座間八景」にも選ばれている「かにが沢公園」はある。かつて深い谷を流れる沢に「さわ蟹」が多く群れていたことかに園の名前となった。当園は4つに分けられた中央広場、芝生広場、多目的広場、子供広場があり市のイベント会場にもよく使われる。当園は冬は「梅」や「サザンカ」と「椿」、春は桜、芝桜、「コブシ」、ロドレイワ、タイサンボク、秋には「彼岸花」と「紅葉」で美しく彩られる。沢であったという立地でその谷とでもいうべき左側の広場の生垣として「ツバキ」が数十本植栽されている。まだ蕾生成中でふっくらと膨らみだしている中で数輪真っ赤な花びらをフライイング咲きさせている。ツバキとサザンカはどちらもツバキ科ツバキ属の花で酷似している。開花時期も椿は11月~2月、山茶花は10月~12月、ちょうど今頃である。年明けには開花速度をアップさせた「ツバキ」が咲き揃うかもしれない。(2412)
 
 
 
 
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「弘法様の井戸」がある「金龍山常泉院」

2024-12-31 07:31:30 | 寺院
海老名上今泉の豊かな美しい樹木に囲まれた一画に愛甲郡玉川村七沢広沢寺の末寺、曹洞宗寺院「金龍山常泉院」は鎮座している。創建は不詳だが天文19年(1550)中興の伝えがある。以前は「今泉山福泉寺」と称していた。本尊は室町時代初期の木造虚空菩薩坐像である。小田急線「座間駅」と「海老名駅」中ほど「秋葉山古墳群」の近くに「山門」が構えられている。山門手前に「えびなむかしばなし」の中にも記されている「常泉院の三日月井戸」がある。「常泉院」の寺号はこの泉に因んでいる。この井戸は「弘法大師」が相模国巡錫の旅の途中この地を訪れた際、水不足・水飢饉に苦しむ村人を救うため持っていた杖で地面を叩くとそこから泉が湧き出たことに由来し「弘法様の井戸」と呼ばれている。昔、この付近の民家には井戸がないところが多く、太平洋戦争前ぐらいまではこの泉の水を使っていたと伝わる。「山門」を抜けると境内正面に大きな入り母屋づくりの「本堂」、右に「庫裏」がある。本堂前には立派な「宝篋印塔」が建ち、横には「白衣聖観音像」が祀られている。江戸時代、相模原市の上溝と下溝、海老名市今泉も所領していた「青山忠俊」に由来している伝えがある。道路脇の敷地に大山不動の道標と双体道祖神が祀られている。(2412)
 
 
 
 
 
 
 
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相模原市南台の鎮守「二宮神社」新年初詣準備万端!!

2024-12-30 14:51:22 | 神社

相模原市南区南台(小田急相模原駅前)に南台の鎮守として崇められている「二宮神社」は鎮座している。当社(由緒)は明治13年に開拓者の八家族が移住し村作りを開始。終戦後、心の拠所として神社の設立に着手し、昭和22年に完成と同時に開拓者の2世が小田原城内鎮守の「報徳二宮神社」の分霊を勧請した。御祭神は二宮尊徳翁。正月に詣でた時以来の参拝であるが、今日は早も数名が正月用のお札を求めていた。今年もあと二日、境内には「初詣用」の幕やテントが張られていた。神域には「鳥居」「社号標」が構えられ、そのそばには建てられた「二宮尊徳像」から参道が続く。手水舎で手を清め、「電信神社」取り壊し時に社殿の土台に使われていた石再利用した参道を進んだ正面に「社殿」(昭和44年11月再建)と「社務所」、その横に「神楽殿」、「櫛真智社」がある。(2410)            

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