相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

火伏の神様、火防の霊験「秋葉大権現」の石碑群!!

2022-03-20 07:30:22 | 石碑・顕彰碑
相模原市緑区橋本にある臨済宗寺院「香福寺」の西門の横(塀外)の道路脇、昔は「山王山」と呼ばれていた所に「秋葉大権現の石碑」と「石祠」、「徳本念仏塔」、柳川先生の碑、「常夜塔」、「出羽三山参詣供養塔」、「山王社」などの石碑が並んでいる。「秋葉権現」は秋葉山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神で「火伏せの神様」「火防の霊験」として信仰されている。秋葉三尺坊大権現の三大誓願は「第一我を信ずれば、失火と延焼と一切の火難を逃す」、「第二我を信ずれば、病苦と災難と一切の苦患を救う」、「第三我を信ずれば、生業と心願と一切の満足を与う」とされる。約170年前の「橋本の大火」時、橋本宿は大半を焼失したが、この石碑群の前で風向きが変わり一人の死者も出なかったことから今でも崇敬されている。(2203)
 
 
 
 
 
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梅宗寺横に「南山古梁禅師顕彰碑」と「舘盛静光氏像」建つ!!

2021-11-02 10:08:17 | 石碑・顕彰碑
橋本市上九沢の「梅宗寺」山門(門柱)右に「南山古梁禅師顕彰碑」と20年間相模原市長を務めた「舘盛静光氏」の胸像が建てられている。「南山禅師」は宝暦6年(1756)ここ上九沢村名主笹野政右衛門の次男として生まれ、9歳の時、長徳寺(上大島)で出家し、11歳の時に江戸「東禅寺」で修行する。38歳の時、仙台藩主「伊達重村」公より仙台「瑞鳳寺」14世の住職として迎えられる。54歳の時、京都「妙心寺」に入山し、朝廷より紫衣を賜る。帰藩後瑞鳳寺・覚範寺の両寺の住職、伊達公より顧問格として推重され、その学徳は多くの人々に尊敬されるに至った。「南山」は天保10年瑞鳳寺支院(雄心院)にて84歳で遷化した。この碑は南山禅師の遺徳を称えるため昭和37年に建碑されたものである。碑文「天下有山水 各擅一方美 衆美帰松州 天下無山水」(天下山水あり おのおの一方の美を擅にす 衆美松州に帰し 天下山水なし)と刻まれている。凡人には難解な五言絶句である。また右側に建てられているのは第5代市長の「舘盛静光市長」の胸像である。題字は書家「長嶋南龍」氏、撰文は第6代相模原市長の小川勇夫氏である。撰文には舘盛静光氏は1914年旧大沢村生まれ、大沢村役場に勤務の後、町村合併・市政施行を経て相模原市教育委員、教育長、助役を経て市長。1997年勲二等瑞宝章を受章と記されている。(2110)
 
 
 



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火伏の神様、火防の霊験「秋葉大権現」の石碑群!!

2021-02-25 09:35:42 | 石碑・顕彰碑
相模原市緑区橋本にある臨済宗寺院「香福寺」の西門の横(塀外)の道路脇、昔は「山王山」と呼ばれていた所に「秋葉大権現の石碑」と「石祠」、「徳本念仏塔」、柳川先生の碑、「常夜塔」、「出羽三山参詣供養塔」、「山王社」などの石碑が並んでいる。「秋葉権現」は秋葉山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神で「火伏せの神様」「火防の霊験」として信仰されている。秋葉三尺坊大権現の三大誓願は「第一我を信ずれば、失火と延焼と一切の火難を逃す」、「第二我を信ずれば、病苦と災難と一切の苦患を救う」、「第三我を信ずれば、生業と心願と一切の満足を与う」とされる。約170年前の「橋本の大火」時、橋本宿は大半を焼失したが、この石碑群の前で風向きが変わり死者が一人も出なかったことから今でも崇敬されている。(2102)
 
 
 
 
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「南山古梁禅師顕彰碑」と「館盛元市長胸像」

2020-05-16 13:54:44 | 石碑・顕彰碑
橋本市上九沢の「梅宗寺」の山門右側「大沢幼稚園」の隣に「南山古梁禅師顕彰碑」がある。「南山禅師」は江戸後期の禅僧・漢詩人。宝暦6年(1756)上九沢村名主「笹野政右衛門」の次男で9歳の時、長徳寺(上大島)で出家し、11歳の時に江戸「東禅寺」で修行する。38歳の時、仙台藩主伊達重村公より仙台瑞鳳寺14世の住職として迎えられる。54歳の折、京都妙心寺に入山し、朝廷より紫衣を賜る。帰藩後瑞鳳寺・覚範寺の両寺の住職、伊達公より顧問格として推重され、その学徳は多くの人々に尊敬されるに至る。「南山」は天保10年瑞鳳寺支院(雄心院)にて84歳で遷化した。この碑は南山禅師の遺徳を称えるため昭和37年に建碑された。碑文「天下有山水 各擅一方美 衆美帰松州 天下無山水」(天下山水あり おのおの一方の美を擅にす 衆美松州に帰し 天下山水なしれている)。凡人には難解な五言絶句である。また同じエリアには20年間相模原市長を務めた「舘盛静光」氏の胸像も建てられている。(2005)
 
 
 



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「相模原慰霊塔」は今、桜ベール包まれて・・・!!

2020-04-03 17:12:44 | 石碑・顕彰碑
国道16号線沿いの相模原警察署前の大沼に「相模原慰霊塔」がある。ここは昭和16年に始まった太平洋戦争に大沼からも多くの若者が出兵し尊い命が戦禍に散った。昭和18年(1943)戦争で亡くなった人たちの霊を慰めるため陸軍の手によって「忠霊塔」が建てられ、昭和27年(1952)より「相模原慰霊塔」として相模原市管理下におかれた。塔内には戦死した人々の遺品や名簿が収められている。毎年秋には慰霊と世界平和を願って「慰霊祭」が行われている。「参道」「慰霊塔」周辺は満開のとなった「桜のベール」で包み込まれ英霊たちに手向けられているかのようでもある。この美しい桜景色を眺めている英霊たちも今、戦のようなコロナの終息を願っているであろう!!(2003)
 
 
 
 

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