下鶴間の「ふるさと館」(旧小島家住宅)の前に古代から明治時代初期にかけて行われた法令(一般法、基本法)を板面に記して往来などに掲示して民衆に周知させた「高札場」(跡)がある。「高札場」は幕府や領主が決めた「法度」や「掟書」など記載した「木の板札」である。情報伝達手段の一つで今風に言えば掲示板であろあか。高札場の形・大きさは、高さが約3mから4m、間口は約3mから5m、風雨を防止に屋根が設けられていた。神奈川県の東海道では9つの宿場に各1ヶ所ずつ「高札場」があり、いずれも江戸から京都に向って各街道の右側に設置され、幕府の権威を示すように石垣や土盛の上に建てられ柵をめぐらせられた。東海道ではないがここ「矢倉沢往還」は、江戸から三島へ至る街道で「大山街道」、「富士道」と呼ばれ、ここ鶴間は交通の要で「宿場」が置かれた場所でもある。そこに建てられたのが「下鶴間宿 高札場」である。3つの板面には右から慶応4年太政官高札「徒党、強訴、逃散の禁止」、中が慶応4年太政官高札「キリシタン禁止」、左が明治3年の太政官高札「犯罪者通報」を公示したものである。こうして今でも多くの「高札」が残っているが幕府は当時「高札場」の管理を藩に厳命した。その為「高札」一つ捨てるのも大変だったため多く残っているようである。「高札場」は各宿村間の里程測定の拠点ともされ距離を表示する時の原点となっており集落の単位にもなっていた。(2101)
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