横浜市港北区小机町に京都知恩院末山の浄土真宗寺院「松亀山泉谷寺」はある。元享年間(1321-24)芝増上寺の末寺「本覚院」として創建。1523年(大永3年)に北条氏綱の家臣「二宮織部正」が現在地へ移す。寛永19年(1642)には江戸幕府より寺領15石の御朱印状を拝領、近隣に数多くの末寺を擁する中本寺格の寺院であった。明治期、横浜市域浄土宗寺院の中で最大級。本尊は聖観音。小机町は昔小机領でその範囲は小机近辺から神奈川宿辺り及んでいた歴史と文化の町。横浜線小机駅より横浜上麻生道路を西へ、小机辻から第三京浜を潜り「泉谷寺」交差点を菅田町へ向かって左折するとやがて右手に泉谷寺の「寺号標」(寺門)があり参道入口となる。「冠木門」から「山門」までの参道は杉木立に囲まれ鬱蒼としている。しかしアジサイ期になると華やかとなる。右側には当寺経営の「小机幼稚園」がある。3000坪の広大な寺域には「山門」を抜けると手水舎があり正面中央に「本堂」、「鐘楼」、慈覺大師作立像「観音堂」、「地蔵堂」がある。当寺が有名であるのは初代安藤広重が描いた「山桜図」が残っていることである。泉谷寺の名はこの辺りの地名から来ているが、かつては小田原北条氏の保護を受け、やがて江戸時代には葵の紋も許されたという由緒ある寺である。境内の堂宇は1781年(天明元年)に再建された「観音堂」以外すべて改築されたものである。境内の鎮守に「八幡社」がある。当寺は旧小机領三十三所子歳観音霊場初番札所である。(1804)
その2へ続く
その2へ続く
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます