相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

相模原公園「せせらぎ園地区」100本の「桜の園」完成へ!!

2019-04-01 15:36:33 | 公園・庭園
かつてここは釣りが楽しめた「フィッシングパーク」跡地が相模原公園の一部となり「せせらぎの園地区」となった。当園には「ソメイヨシノ」をはじめ「神代曙」、「陽光」、「コマツオトメ」、「大島桜」、「紅しだれ」など約100本を超えるいろんな桜が植栽されいる。満開となった今、一本一本がそれぞれ美しさを競うように誇示しあって「桜の園」、「桜の錦絵」を完成させようとしている。ここ「せせらぎ園地区」は今、桜に彩られ雅で最も華やいだ瞬間を迎えている。(1903)






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「第15回 相模川芝ざくらまつり」今日からスタート!!

2019-04-01 15:08:59 | 芝ざくら
相模原南区新戸の相模川左岸に平成14年に伊勢原市の渋田川から苗を譲り受け植栽したのが始まりで幅6m、長さ1.4kmと日本最長を誇る「芝ざくらライン」がある。ここ数年どんどん知名度が上がり大勢の人が訪れるようになった。いよいよ今日4/1から「第15回記念 相模川芝ざくらまつり」がスタートを切った。この「まつり」は4/21までの日程で開催され、まつりの式典は最も咲き揃っている13日に行われる。期間中は多くの在日米軍音楽隊、マラソン、よさこい、阿波踊りなどのイベントが予定されている。7日前やっと咲き始めの段階であったが、ここ数日春の陽気に誘われて開花が加速、今日はもう5割方位まで「芝ざくらライン」完成へ一歩近づいていた。遊歩道の満開の桜、ところどころにピンクのハナモモ、スイセンとのコラボも今ならではのもっとも美しい光景である。ひと花、一花は可愛らしい小さな花、芝のように地表を覆い、桜のような花を咲かせることから「芝ざくら」と呼ばれ、広大な大地に群生した集合美は幻想的で美しい。(1904)










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「ホテルニューオータニ」の日本庭園で喧騒を忘れて!!

2019-04-01 09:45:11 | 公園・庭園
紀尾井町に日本を代表する「ホテルニューオータニ」はある。当ホテルには東京名園の一つに数えられ400年の歴史を持つ池泉回遊式の「日本庭園」がある。約4万㎡という広大な庭園内の池の廻りに約48000本の樹木、二つの茶屋、「大小の滝」、「枯山水」、十三重の塔、石灯籠(加藤清正の下屋敷)や赤玉石などが巧みに配置されている。その豊かな緑の空間を彩るように四季折々の花々が咲き誇り、季節の鳥が訪れ鳴き、心安らぐ空間を創り出してる。ゴーゴーと流れ落ちる滝、池の一角に満開となって庭園を彩っている「一本の桜」、数匹の鯉が放たれ池を眺めていると都心の喧噪さを忘れさせてくれる別空間である。(1903)










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目黒の念仏道場「明顕山祐天寺」 

2019-04-01 09:20:12 | 寺院
東京都目黒区中目黒に東横線の駅名となっている目黒区の古刹であり念仏道場の浄土宗寺院「明顕山祐天寺」はある。享保3年(1718)、増上寺36世住持の祐天上人が亡後、弟子の祐海が祐天の目黒の地に廟所をの遺命を受け善久院という小庵を購入し建立再興。享保8年(1723)現在の寺号「祐天寺」となる。本尊は祐天上人像(本堂安置)と阿弥陀如来坐像。祐天寺駅より駒沢通り祐天寺前信号を左折したところに重厚な「表門」が構えられ、その先に金剛力士と持国天・増長天像を安置した大きい「仁王門」がある。仁王門左手に「地蔵堂」、真正面に本尊を安置する入り母屋づくりの大「本堂」がある。本堂左横に「仏舎利殿」、前に「五社稲荷」、右に書院と寺務所の「祐光殿」がある。当寺は桜(ソメイヨシノ)の名所でもあり、既に満開となって広い境内をピンク色に染め上げている。境内には大正天皇の生母(柳原愛子)の墓、地蔵菩薩像、地蔵縁起碑、子まもり地蔵、かさね塚、海難供養碑がある。(1903)














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桜花に覆われた「相模原慰霊塔」

2019-04-01 08:41:17 | 石碑・顕彰碑
国道16号線沿いの相模原警察署前の大沼に「相模原慰霊塔」がある。ここは昭和16年に始まった太平洋戦争に大沼からも多くの若者が出兵し尊い命が戦禍に散った。昭和18年(1943)戦争で亡くなった人たちの霊を慰めるため陸軍の手によって「忠霊塔」が建てられ、昭和27年(1952)より「相模原慰霊塔」として相模原市管理下におかれた。塔内には戦死した人々の遺品や名簿が収められている。毎年秋には慰霊と世界平和を願って「慰霊祭」が行われている。「参道」と「慰霊塔」周辺は満開のとなった「桜のベール」で包み込まれ英霊たちに手向けられているかのようで厳粛な気持ちとなる。英霊たちもこの美しい桜景色をきっと見ているに違いない。安らかに!!(1903)










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