
地 「我もまた。いざ言問はん都鳥。我が思子は東路に。有りやなしやと。問へども問へども答へぬはうたて都鳥。鄙の鳥とやいひてまし。実にや舟ぎほふ。堀江の川のみなぎはに。来居つゝ鳴くは都鳥。それは難波江これは又隅田川の東まで。思へば限なく。遠くも来ぬるものかな。さりとては渡守。舟こぞりて狭くとも。乗せさせ給へ渡守さりとては乗せてたび給へ。
ワキ「かゝるやさしき狂女こそ候はね。急いで舟に乗り候へ。この渡は大事の渡にて候。かまひて静かに召され候へ。
これより前の所で、伊勢物語をふまえたやりとりを行うなど全然狂女とはいえない女である。これが狂っているのならば、文学作品をあーだこーだと自分の慰めにつかっている文学研究者の多くは狂っている。前回も指摘した如く、この女は母親というものの姿である。
と、おもったのだが、――やはり、長距離を歩いてしまうところがやはり常軌を逸している。研究者でも、地の果てまで行きたがる人がいるが、たぶん狂っているのであろう。
いや、それほどでもない、まだあとがあるんだ。ここまでは、ほんの序の口。……それはそうとあの都鳥を、お前、なんと見た」
「ですから、日本で織っているという証拠……」
「それは、今更いうまでもない。……日本も日本、あの呉絽を織ってるのは江戸の内なんだぜ」
「えッ」
「……都鳥に縁のあるところといえば、どこだ」
「……都鳥といえば、隅田川にきまったもんで」
「都鳥は、どういう類の鳥だ」
「……ひと口に、千鳥の類……」
「隅田川の近くで千鳥に縁のある地名といえば」
ひょろ松は考えていたが、すぐ、
「……千鳥ガ淵……」
顎十郎は、手を拍って、
「いや、ご名答。……俺のかんがえるところじゃ、隅田べり、千鳥ガ淵の近くで女どもが押しこめられ、髪の毛と馬の尻尾でひどい目に逢いながら呉絽を織らされている。……その中で、智慧のある女が、なんとかして救い出してもらいたいと、自分たちが押しこめられているところを教えるために、あんなものを帯の端に織出した」
――久生十蘭「顎十郎捕物帳 都鳥」
近代は言語の裏に事実を見出そうとする運動だったが、最近は、事実を言語で片付けようとする。たしかにそれは、能の時代に逆戻りかも知れない。