夢の世なれば驚きて。夢の世なれば驚きて。捨つるや現なるらん
これは武蔵の国の住人。熊谷の次郎直実出家し。蓮生と申す法師にて候。さても敦盛を手に掛け申しゝ事。
余りに御傷はしく候程に。かやうの姿となりて候。又これより一の谷に下り。敦盛の御菩提を弔ひ申さばやと思ひ候
九重の。雲居を出でゝ行く月の。雲居を出でゝ行く月の。南に廻る小車の、淀山崎をうち過ぎて。昆陽の池水生田川、波こゝもとや須磨の浦、一の谷にも,着きにけり 一の谷にも着きにけり
急ぎ候程に。津の国一の谷に着きて候。実に昔の有様今のやうに思ひ出でられて候。又あの上野に当つて笛の音の聞え候。
たぶん取り返しのつかぬことをした人間というのは、いつも世を捨てればなんとかなるとおもって世を捨てるのだが、世は捨てられないという自明の理に突き当たり、そこから現実でも夢でもない心の世界が始まるのである。そこでは笛だけでなく、いろいろなものが響いているに違いない。この坊主のように笛にゆきあたるのは僥倖だ。