後より。熊谷の次郎直実。遁さじと。追つ駆けたり
敦盛も。馬引き返し。波の打物抜いて。二打三打は打つぞと見えしが 馬の上にて。引つ組んで。波打際に。落ち重なつて。終に。討たれて失せし身の。因果はめぐり逢ひたり
敵はこれぞと討たんとするに。仇をば恩にて。法事の念仏して弔はるれば。終には共に。生まるべき、同じ蓮の蓮生法師。敵にてはなかりけり、跡弔ひて,賜び給へ、跡とむらひて賜び給へ
「仇をば恩にて。法事の念仏して弔はるれば。終には共に。生まるべき、同じ蓮の蓮生法師」とは、理屈としてはビックリするほど飛躍しているようにみえるが、法事の念仏というものはとにかくそういうものである。こういうフィクションに対する信仰はそれ自体が狂気になることもあるが、とりあえず、現世の理屈ではどうしようもなく苦痛であり逃れがたい復讐感情などを強制的に納得させるのがフィクションである。
だから、殊更、敦盛殺害の場面と、上の理屈を隣り合わせるのである。
さて引続き申上げておりまする離魂病のお話で……因果だの応報だのと申すと何だか天保度のおはなしめいて、当今のお客様に誠に向きが悪いようでげすが、今日だって因果の輪回しないという理由はないんで、なんかんと申しますると丸で御法談でも致すようで、チーン……南無阿弥陀仏といい度なり、お話がめいって参ります。と云ってこのお話を開化ぶりに申上げようと思っても中々左様はお喋りが出来ません。全体が因果という仏くさいことから組立られて世の中に出たんでげすからね。何も私が好このんで斯様なことを申すんではありません。段々とまア御辛抱遊ばして聴いて御覧じろ、成程と御合点なさるは屹度お請合申しまする。エーお若伊之助の二人は悪縁のつきぬところでござりましょうか、再び腐れ縁が結ばりますると人目を隠れては互に逢引をいたす。
――三遊亭圓朝「根岸お行の松 因果塚の由来」
科学の因果関係ではない因果を保持するところから近代文学も出発したのであろうか?