地:げに名を得たる松が枝の、げに名を得たる松が枝の、老木の昔あらはして、その名を名乗りたまへや
シテ、ツレ:いまは何をか包むべき、これは高砂住の江の、相生の松の精、夫婦と現じ来たりたり
地:不思議やさては名所の、松の奇特を現はして
シテ、ツレ:草木 心なけれども
地:かしこき代とて
シテ、ツレ:土も木も
地:わが大君の国なれば、いつまでも君が代に、住吉にまづ行きて、あれにて待ち申さんと、夕波の汀なる、海士の小舟にうち乗りて、追ひ風にまかせつつ、沖の方に出でにけりや、沖の方に出でにけり
「わが大君の国なれば、いつまでも君が代に、住吉にまづ行きて、あれにて待ち申さんと」とさらっと言ってくれるが、――天皇とはかようにいい加減にでてくるものであってだから観念なのだ。選挙でえらんだわけでも、常に権力の源泉であったわけでも、どういう誰がなるという論理が完璧に整えられていたわけでもなく、フィクションによって合理化されていたわけでもない。古事記にしても、自ら「強引にやりましたし、もう忘れているところもあるわけです」と言っているようなもんだし、「源氏物語」なんか、天皇の世界はこんなひどい世界なんですと暴露しているようなもん、「枕草子」だってそうだ。
平安朝まではよくわからんが、天皇制を権力の問題としてまじめに考えていた人たちが多かったのかも知れない、しらんけど。。しかし、戦国時代なんかをやってみて、さすがに矛盾のあらわれに対して知恵を付けてくると、天皇家の持続をずっとやっている我々の心はどういうものであるか、考える人たちがでてきたにちがいない、能の上の場面なんか、そんなことに気付いている人間が書いたせりふに違いないと思うのである。
それは、観念に過ぎないから持続しているのである。「源氏物語」のいじめや、「枕草子」の嫌みなリリシズムや、「徒然草」のような枯れたリアリズムばかり学校教育でやっておるから、天皇制を本当に王政だと思い込む人々が多くなってる訳だがそれではわれわれの行動と心を説明できない。
大君の国だから精が離れがたいのだ、という理屈だけでは持たない(とはいえ、そのそぶりは見せない)が、住吉と高砂に離れていた精が会うという、夫婦の離れがたさにそのまま流してゆく。理屈というより連想が証拠となるようなものだ。別に、これは人の心の動きとして普通にあり得ることであって、――というより、よくある動きそのものだ。
離れがたい空気は、舞台の雰囲気から流れて聴衆と舞台との関係ともなってしまう。かくしてとにかく全てが離れがたい感じになってしまうのであった。こんな連想を崩すのは他者だけだが、島国だから、そんなことは少ない。そのうちに、他者がやってきても連想が崩れなくなる。
電線にとまった、おしゃべりのすずめは、柱がみょうなものをかぶって、困っているのを見てチュウチュウ笑っていました。
ある晩、月は、この不幸な電信柱をなぐさめ顔に、
「もうすこしの我慢ですよ。」といいました。
ある日のこと、空に、するどい羽音がしました。電信柱はもう秋になったから、いろいろの鳥が頭の上を渡るけれど、こんなに力強く、羽を刻む鳥は、なんの鳥であろうと考えていました。
それは、わしでありました。光る目で下界を見おろしながら飛んでゆくうちに、わしは電信柱のかぶっている帽子を見つけて、つーうと降りると、それをさらっていってしまったのです。電信柱には、まったく、思いがけないことでした。はじめて夜が明けたような気がしました。
その後、三郎も、犬も、工夫も、そして、電信柱も、この帽子の行方について知ることができなかった。ただひとり、月だけは、世界じゅうを旅しますので、それを知りました。帽子は山の林のわしの巣に持ってゆかれて、その中に、三羽のわしの子がはいって、あたたかそうに巣から頭を出していました。
――小川未明「頭からはなれた帽子」
天皇家は我々の帽子ではない。今日辞めると言ってた首相みたいにどっかに飛んでいってしまうわけにもいかないだろうが、――考えてみたら、色好みの伝統からして、それをインターナショナルに展開すればよろしいのではないだろうか?宮中=世界だった世界をホントの世界として考えればよいのである。どうせ相生の松の精なんかもどこかの砂漠を進撃中なのではないだろうか。