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この事、宿に帰り、親に語れば、「されば、人間は、欲に 限りなし。この上の願ひ、何かあるべし。平に止めよ」と、 様々異見せしに、却って、親に嘘をなし、己が一子に、武助といひし、十四になるを、引き連れて、かの淵に行きて、 次第を語り聞かせ、「我がごとく、取りならへ」と、親子とも、入りしに、最前の竜に精ありて、武助をくはへて、振るとみ えしを、かなしく、藻屑の下に、身を沈め、二人ともに、息絶えて、二十四時を過ぎて、骸の上がりけるにぞ、見る人、 親の恥なりと憎み、哀れと云ふ者なし。
川の中に漆の山を発見しもうけていた息子が、脅しのために竜の人間を川に浮かべていた。こんなに分かりやすい物体を置いておいて何にもなかったのだから、相当前から竜は「精」をもっていたのではないかと思う。いまでも、方便のためにつくった制度が人を抑圧するのはいつも起こっている。竜はいまでも実在する。
ところで、作品とは「竜」なのであろうか。それ自体で力をどの程度持つのか。古典の世界は傑作群が数珠つなぎになっているように一見みえるが、――たとえば、源氏物語が中心だったのかもしれないしそうでないのかもしれないが、我々が想像もつかないほど多くの物語や歌が読まれ大量消費され記憶されていると考えないと、あれほどの歌の洗練があるわけないと、わたくしの「経験」は告げる。源氏物語以降もたぶん、源氏がやってないことをいかにやれるか広範囲に二次創作的なことが大量に行われていないと、「夜の目覚」みたいな内容は考えにくいような気がする。孝標の女だけが現実の力を受け止めて差異化したとは思えない。
しかし、紫式部日記や更級日記だと案外、物語が理解できて学があるのは自分だけ、みたいな自意識も見えなくはない。平安時代にもあれかな、口に出すのも恥ずかしいライトライトノベルみたいなものがあるのか。あるいは、文字に書かなくても、性悪源氏物語ものをみんなで脳内創作していたのか。。。
和歌の世界はまだまだ勉強不足で苦手なんだが、一時期はやった「声に出して読みたい日本語」とは基本別物だと思う。むしろ口をついて出てきてしまうもので、これが、言い方は難しいがかなり本当に社交そのものに似ていた可能性があり、歌う歌にも似ていたと思う。しかし、わたくしはどちらかというと踏歌とか歌垣とそこから発展してしまった和歌の世界は別種のものと考えてみたいと思う。和歌の贈答は躍動感を抑制しているようなところがあるような気がするからだ。和歌から藤村の詩ようなものがでてくるのはそのためのような気がする。そしてそういう抑制に対する反発もつねにあって、現在もある。それは文学の集団性への反逆に対する反発である。
不孝というのは、個に対する集団性の反発が当然絡んでいる。不孝を詰るのが親ではなく、世間であるのはそのせいである。しかしこれは我々の意識上の反発であるから、実際行っている個の行為と集団の行為は、つねに反発というだけでは様相を片付けられないめちゃくちゃなものである。そして、作品自体の集団のあり方もそうなのである。
文学の問題としては、――すごく雑な言い方すると、古典も近代にも文学には集団性があってこその隠れた黙読の次元があって、それこそが重要なわけである。言葉の意味に接近する注釈は絶対に必要だが、それでいささかもよくわかるようになるとは限らないというのがおもしろさでもある。しかしこれが集団性の中におかれると面白さではなくなってしまうのが常である。しかもだからといって集団性を切り捨てると、黙読の次元そのものを失うのである。