それはまだ、東京の町々に井戸のある時分のことであつた。
これらの井戸は多摩川から上水を木樋でひいたもので、その理由から釣瓶で鮎を汲むなどと都会の俳人の詩的な表現も生れたのであるが、鮎はゐなかつたが小鯉や鮒や金魚なら、井戸替へのとき、底水を浚ひ上げる桶の中によく発見された。これらは井の底にわく虫を食べさすために、わざと入れて置くさかなであつた。「ばけつ持つてお出で」井戸替への職人の親方はさう云つて、ずらりと顔を並べてゐる子供達の中で、特にお涌をめざして、それ等のさかなの中の小さい幾つかを呉れた。お涌は誰の目にもつきやすく親しまれるたちの女の子であつた。
夏の日暮れ前である。子供達は井戸替へ連中の帰るのを見すまし、まだ泥土でねばねばしてゐる流し場を草履で踏み乍ら、井戸替への済んだばかりの井戸側のまはりに集つてなかを覗く。もう暗くてよく判らないが、吹き出る水が、ぴちよん、によん、によんといふやうに聞え、またその響きの勢ひによつて、全体の水が大きく廻りながら、少しづつ水嵩を増すその井戸の底に、何か一つの生々してゐてしかも落ちついた世界があるやうに、お涌には思はれた。
蝙蝠来い
簑着て来い
行燈の油に火を持つて来い
……………………
仲間の子供たちが声を揃へて喚き出したので、お涌も井戸端から離れた。
――岡本かの子「蝙蝠」