世を思ひ葉の二またの竹に、きのふの日付にて書きおかれしは、「旅衣なみだに染むるふた心思ひ切るよの竹の葉隠れ」。 この老僧は何をか恥ぢたまへり。すぎにしや真雅僧正の事も、「思ひ出るときはの山の岩つつじ言はねばこそあれ恋しき物」 と、その竹を横笛二管に細工のえものにおこさせ、寒夜の友吹きすれば、天人も雲より睨き、無官の太夫もあらはれ、今の世の庄兵衛など、息の出所を感ずる。
魏の哀王の男色のエピソードなんかも出てきて、「女乱」、つまり女との交わりによる世の乱れとかが紹介されたり、女を嫌って山に籠もり寺子屋をつくったらそこに美少年二人の交わりが生じて老僧が憧れたりする。老僧は去るが、上のような和歌が詠まれてあった。真雅僧正(空海の弟)も菅原道真に歌を送った件も登場する。――この「この道にいろはにほへと」は、男色の挿話がマトリョーシカのように奧へ奧へ繋がっているだけだが、男色はかくも物語的でも何でもなく自然につづくものなのである、ということであろうか。なにしろこれは文化の道に近いものなのである。
先日も、大河ドラマで、実朝が暗殺されていたが、ドラマでは、実朝は北条泰時に惚れていることになっていた。しかし妻とも仲良くしてたし、ちゃんと妻にも和歌を残していた。今回のドラマはしきりに人殺しを「天命」のもとに合理化し続けているのだが、実朝は自分の性の苦悩で天命を受けいれることになれていた。だから暗殺も受けいれたみたいに描かれていた。
私は、ぎよつと致しました。
「誰が、いや、どなたがそのやうなけしからぬ事を、――」
「みんな言つてゐる。相州も言つてゐた。気が違つてゐるのだから、将軍家が何をおつしやつても、さからはずに、はいはいと言つてゐなさい、つて相州が私に教へた。祖母上だつて言つてゐる。あの子は生れつき、白痴だつたのです、と言つてゐた。」
「尼御台さままで。」
「さうだ。北条家の人たちには、そんな馬鹿なところがあるんだ。気違ひだの白痴だの、そんな事はめつたに言ふべき言葉ぢやないんだ。殊に、私をつかまへて言ふとは馬鹿だ。油断してはいけない。私は前将軍の、いや、まあ、そんな事はどうでもいいが、とにかく北条家の人たちは根つからの田舎者で、本気に将軍家の発狂やら白痴やらを信じてゐるんだから始末が悪い。あの人たちは、まさか、陰謀なんて事は考へてゐないだらうが、気違ひだの白痴だのと、思ひ込むと誰はばからずそれを平気で言ひ出すもんだから、妙な結果になつてしまふ事もある。みんな馬鹿だ。馬鹿ばつかりだ。あなただつて馬鹿だ。叔父上があなたを私のところへ寄こしたのは、淋しいだらうからお話相手、なんて、そんな生ぬるい目的ぢやないんだ。私の様子をさぐらうと、――」
「いいえ、ちがひます。将軍家はそんないやしい事をお考へになるお方ではございませぬ。」
――「右大臣実朝」
どうしようもないことというものはあるもので、太宰治はそういう事ばかりに眼がいっている。しかし彼は極端に受け身だったのである。がさつな人間に好かれたりして振り払う体力も気力もなかったりするときには孤独の余り、人間あんがい簡単に死を選びかねない。惚れられやすい優しい男というのも居て。彼がそうだったとは言えないように思うが、「走れメロス」を書くような男が、厭な男やもっと厭な女について想起していなかったとはとても考えられない。しかし、戦前も戦後も、恋愛の表現は欲望の発散の方向に走っていて、発散された壁のほうは人間扱いされていない。太宰はたぶんそれをなんとかしたかった。