★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

アンチ「独身礼賛」論

2021-08-16 23:45:13 | 文学


妻といふものこそ、男の持つまじきものなれ。「いつも独り住みにて」など聞くこそ、心にくけれ、「誰がしが婿に成りぬ」とも、また、「如何なる女を取り据ゑて、相住む」など聞きつれば、無下に心劣りせらるゝわざなり。殊なる事なき女をよしと思ひ定めてこそ添ひゐたらめと、苟しくも推し測られ、よき女ならば、らうたくしてぞ、あが仏と守りゐたらむ。たとへば、さばかりにこそと覚えぬべし。まして、家の内を行ひ治めたる女、いと口惜し。子など出で来て、かしづき愛したる、心憂し。男なくなりて後、尼になりて年寄りたるありさま、亡き跡まであさまし。いかなる女なりとも、明暮添ひ見んには、いと心づきなく、憎かりなん。女のためも、半空にこそならめ。よそながら時々通ひ住まんこそ、年月経ても絶えぬ仲らひともならめ。あからさまに来て、泊り居などせんは、珍らしかりぬべし。

現代でもよくある独身論である。とくに珍しくも何ともないようなきがするが、「殊なる事なき女をよしと思ひ定めてこそ添ひゐたらめと、苟しくも推し測られ、よき女ならば、らうたくしてぞ、あが仏と守りゐたらむ。たとへば、さばかりにこそと覚えぬべし」(なんてこともない女をいいねと思い込んで夫婦になったに違いないと推測されるし、よい女の場合は、かわいがって本尊のように大切にお世話差し上げているのであろう、たとえてみりゃそんな感じであろうとゼッタイ思われてくる)なんて、よくあるモテないやつの強迫的妄想である。なぜそんなことがわかるのかっ、わたくしがそんなことを思っていたからである。

兼好法師も、山之口貘のように

詩は僕を見ると
結婚々々と鳴きつゞけた
おもふにその頃の僕ときたら
はなはだしく結婚したくなつてゐた


みたいな時代があったに違いない。山之口は、

僕はとうとう結婚してしまつたが
詩はとんと鳴かなくなつた
いまでは詩とはちがつた物がゐて
時々僕の胸をかきむしつては
箪笥の陰にしやがんだりして
おかねが
おかねがと泣き出すんだ。


としめていて、詩とお金を主体的なモノと見る地点に踏みとどまり、決して女のせいにはしていないのだ。山之口は非常にハンサムな詩人であって自信があり、兼好法師にないのはそれであった。彼は、芸術の世界をついに女と男の世界に持ち込む勇気がなかった。つまり、煩悩の地獄に墜ちたままだったのである。

一事と空想

2021-08-15 23:45:13 | 文学


この法師のみにもあらず、世間の人、なべて、この事あり。若きほどは、諸事につけて、身を立て、大きなる道をも成じ、能をもつき、学問をもせんと、行く末久しくあらます事ども、心にはかけながら、世をのどかにおもひて、うち怠りつつ、まづ、さしあたりたる、目の前の事にのみまぎれて月日を送れば、事々成す事なくして、身は老いぬ。つひに、物の上手にもならず、おもひしやうに身をも持たず、悔ゆれども取り返さるる齢ならねば、走りて坂を下る輪のごとくに衰へ行く。されば、一生の中、むねとあらまほしからんことの中に、いづれか勝ると、よくおもひ比べて、第一の事を案じ定めて、その他はおもひすてて、一事を励むべし。

エリートの処世術としてはそんなもんかもしれないが、――世間の人が目標がいまいち定まらないのは、兼好法師が歯牙にもかけない目標、例えばうまいものを食べたいとか、美しい人となかよくなりたいとかいう目標に比べて、その一事的という優等生的=職業的な目標にいまいち乗れないからに他ならぬ。しかも、人生はもっといろいろな事が起こり、目標達成みたいなことよりもその事をどうにかすることが優先されるのである。これは当たり前のことである。

兼好法師みたいに、一事に身を捧げるという意識でやっていると、かならずうまくいかなくなったときに、別のものに浮気したり、「楽しめばいいさ」みたいなオタク化に陥ったりするものである。その危険性が見えない兼好法師はたぶん依存的な傾向を持つ人間だ。

私は自分の作品の中で、私の生れた家を自慢しているように思われるかも知れませんが、かえって、まだ自分の家の事実の大きさよりも更に遠慮して、殆どそれは半分、いや、もっとはにかんで語っている程です。
 一事が万事、なにかいつも自分がそのために人から非難せられ、仇敵視されているような、そういう恐怖感がいつも自分につきまとって居ります。そのためにわざと、最下等の生活をしてみせたり、或いはどんな汚いことにでも平気になろうと心がけたけれども、しかしまさか私は縄の帯は締められない。


――太宰治「わが半生を語る」


これはまた違った意味での「一事」であって、太宰は自分が何か「一事」の中に閉じ込められていると知っていた。これは家制度の問題でもあったが、彼は自我というのは、家のような縄だと言いたいのである。特に彼が生きた時代は、おそろしく空想的なものが存在を許されていた。家のような縄もその一部だと思われた。彼が戦争に際して、それに熱狂する人間さえも排除できなかったのは、自分をその縄のように空想に紐帯するものと思っていたからである。

いまの70歳ぐらいの世代は戦後世代で、オリンピックに対する態度もある種独特である。実際高校生とか中学性であってテレビもあったけれどもオリンピックを見ていたのは本当に多かったのか疑問もある。「テレビはあったんだけど見てない、映画は見たんだけど」という人が結構いるはずである。つまり何が言いたいかというと、わたくしの父の世代にとって自分の国で行われる夏のオリンピックを初めて「みる」のが今回だったのである。札幌や長野の冬のやつは仕事で忙しくて見てないのかもしれない。――つまり前回のやつは、首相の言とは逆にほぼ空想の産物なのである。今回こそ「見ら」れるというわけだ。

今回も飛行機が五輪を描けてないとか描けてるとか議論があったわけだが、あんなのも実際見たやつは前回も少数であって、国民のほとんどにとってはほぼ空想だったわけだ。今回もある意味空想でよいわ。でも、この空想を抱かせることがメディア環境も変わったなかでとっても難しいのである。

そんななかで、縄をどこにつけてよいのかわからない人間達で溢れかえってしまっている。

細脛の話

2021-08-14 23:39:32 | 文学


さはいへど、上戸はをかしく、罪ゆるさるる者なり。酔ひ草臥れて朝寝したる所を、主の引き開けたるに、まどひて、ほれたる顔ながら、細き髻さし出し、物も着あへず抱き持ち、ひきしろひて逃ぐる、かいとり姿の後手、毛生ひたる細脛のほど、をかしく、つきづきし。

下品な酒飲みは地獄行きだとかこの前辺りでは書いてあったのに、こんなことを書いている兼好法師である。結局、これは右顧左眄の一種であり、こういうのが日本ではむかしから深い見解とされているのであった。それはいいかもしれないが、これとくらべておなじ酒宴でも「サチュリコン」のそれでは人間の把握の多様さと壮大さがまるで違う。「みんな違ってみんないい」と思っている俺はいい、というのが我々であり、違いをしつこく書き記し書き手が自分のことなど本質的に見失うのが「サチュリコン」の世界である。

そういえば、サチュリコンには、天井から土産物などが降ってくる場面があったように思うが、日本でも、「幸福なんて言うやつは 空から降っちゃこないのさ」(真実一路のマーチ)とかいっているもんだから、実際餅や何やらが降ってくると我を忘れてしまうわけである。ここで、はっきり餅と言わずに幸福とかいっているところが欺瞞的であって、勢い余って何だかモノの名前を「タンバリンタンバリン」と歌うだけである。われわれのえいじゃないか的な感性はモノへの欲望とかなり親和性が高い。

杖無しには一二町の道も骨が折れる風であつたが、自分等の眼には、一つは老衰も手傳つてゐるのだらうとも、思はれた。自分も時々鎌倉から出て來て、二三度も一緒に風呂に行つたことがあるが、父はいつもそれを非常に億劫がつた。「脚に力が無いので、身體が浮くやうで氣持がわるい」と、父は子供のやうに浴槽の縁に掴まりながら、頼りなげな表情をした。流し場を歩くのを危ぶながつて、私に腕を支へられながら、引きずられるやうにして、やうやくその萎びた細脛を運ぶことが出來た。

――葛西善蔵「蠢く者」


酔っ払いの細脛をわらうのではなく、もっと人間の姿を現す細脛が見出されるのは近代になってからのように思われる。酔っ払っていてもいなくても、普段から批判するほどの批判をせず、褒め殺すまでは褒めもせず、滑稽な細脛を笑うだけのような人間観察は、本当の悲惨さから逃げ出すような気がしてならない。

老い2

2021-08-13 23:14:51 | 文学


老いぬる人は、精神おとろえ、淡く疎かにして、感じ動く所なし。心おのづから静かなれば、無益のわざをなさず、身を助けて愁なく、人の煩ひなからん事を思ふ。老いて智の若き時にまされる事、若くして、かたちの老いたるにまされるが如し。

なんかうまいことをいったように思える箇所だが、若い者の容姿が崩れるように、老人の智も崩れるのだ。ここまでいわないと逆説の意味がないとわたくしは思うものだ。

嘗て拵えてやると約束をしたプールの工事がもうその頃始まって、庭の芝生が掘り返されていた。
「拵えたって無駄だわよ、どうせ夏になればお爺ちゃんは日中に戸外へなんぞ出られやしないわ、無駄な費用だから止めた方がいゝわ」
と、颯子が云うと、浄吉が云った。
「約束通りプールの工事が始まっているのを、眺めるだけでも親父の頭にはいろいろな空想が浮ぶんだよ。子供達も楽しみにしているしね」


谷崎は「瘋癲老人日記」をこのように終えている。この作品の内容は忘れてしまったが、わたくしは兼好法師が、この「空想」をいかに無視し得たのかが興味深いことだと思う。わたくしは、様々な老人達の文章などをよむと、かれらが自分の言葉が誰に届いているのか気にしているうちに、空想をなくしてゆくような気がしてならない。判断を過たないのはそのせいもあるにちがいない。そのかわり、野蛮な生産性を失ってしまうのである。若い者と同じく、言葉がコミュニケーションの道具と化すときが一番危ないとわたくしは思う。

倫理

2021-08-12 23:05:05 | 文学


万の事、外に向きて求むべからず。たゞ、こゝもとを正しくすべし。清献公が言葉に、「好事を行じて、前程を問ふことなかれ」と言へり。世を保たん道も、かくや侍らん。内を慎まず、軽く、ほしきまゝにして、濫りなれば、遠き国必ず叛く時、初めて謀を求む。「風に当り、湿に臥して、病を神霊に訴ふるは、愚かなる人なり」と医書に言へるが如し。目の前なる人の愁を止め、恵みを施し、道を正しくせば、その化遠く流れん事を知らざるなり。禹の行きて三苗を征せしも、師を班して徳を敷くには及かざりき。


ほんとうは、なぜ身近の人の心配を取り除くような生き方が、勢い遠いところまで作用するのか、具体的に説明した方がよいのだ。経験則では確かにそうでも、いまや自分だけが逃げ切ろうとしている人間がかくも溢れている情況では、正しいことを行うとよいことがある証拠が必要なのである。――まあ、そう考えること自体が倫理的ではないのだが。

民主的な制度の場合は、自分の行いが政治に遠からず模倣される設計が少なくとも理念としてなされているはず、という教育が行われる。これを、多数決の効果として教えている教師が問題あることはたしかだが、そうはいっても、その模倣の過程にメディア的な変換装置が巨大に立ちはだかっているのが現代である。ここに神話的なものを見出すのが、二十世紀の革命家達であった。しかし、もはやメディアがガリ版によるビラである事を越えて機械的な自律機能を備え始めると、もはや事態はいまのようになってしまう。我々はつい、倫理を機構に備えることばかり考えるようになるのである。

しかし、この自律機能というのは、我々のなかにもあって、――たとえば、思春期がそうである。メディアに倫理を求めることは、思春期に倫理を求めることに近い。小学校の教育と中学校の教育を比べてみると、小学校の教育は倫理的なことを教え込む技術が発達しやすいが、中学校は非常に難しいことになっていて、制圧だけでせいいっぱい、小学校レベルの道徳観念をもう一度繰り返すことになりかねない。われわれの文化が遊戯会じみたものになっているのには中学校以降の倫理教育に失敗していることに関係がある。四書五経をやめてから代わりを発明できてないのだ。一応、近代文学にそれが期待されたこともあったが、失敗した、と捉えられた。しかし、考えてみたら、四書五経が成立するためにいったいどのくらい時間がかかったというのだ。近代文学が人間の倫理に達するのには、まだまだ時間がたりないのだ。そういえば、「エヴァンゲリオン」というアニメーションが30年近くもかかって思春期における家族問題を解こうとしていたのも、その困難の現れであった。それを手塚マンガみたいに作者の思想=道徳として語れなかったのは、そのアニメーション自体が社会的な持ち物と化したかのような幻想が行き渡っているからである。

作品は作者に属するに決まっており、それに気付く能力がある作者は自分の物語として作品を終了させられる。それに耐えられない凡人のかずかすは、自らを所有できないために、「私がない」状態――無常観もどきに心を飛ばす。これでは兼好法師に逆戻りだし、そもそもその心情に見合った「私がない」体制さえ欲望しかねないのである。

子張が先師にたずねていった。――
「どんな心がけであれば政治の任にあたることが出来ましょうか。」
 先師がこたえられた。――
「五つの美を尊んで四つの悪をしりぞけることが出来たら、政治の任にあたることが出来るであろう。」


――下村湖人「現代語論語」


単純なところから細かい倫理に行こうとするやりかたが案外われわれに合っているのかも知れないのは、我々の形式論理的たこつぼ的傾向からしてありうることだ。聖書のように、物語に頼ったやり方は我々には向いていないのかも知れない。やれ読解力だとかいって、劣った知性が威張り出すのが関の山だ。それよりは、まず規則のように意味不明な(読解不能な難解さにはみえない――)命題が降ってくる方がいいのかも知れないのである。

青き眼、誰もあるべきことなり?

2021-08-11 23:53:57 | 文学


さしたる事なくて人のがり行くは、よからぬ事なり。用ありて行きたりとも、その事果てなば、とく帰るべし。久しく居たる、いとむつかし。人のむかひたれば、詞多く、身も草臥れ、心も閑ならず、万の事障りて時を移す、互ひのため益なし。いとはしげに言はんもわろし。心づきなき事あらん折は、なかなかそのよしをも言ひてん。同じ心にむかはまほしく思はん人の、つれづれにて、「いましばし、今日は心閑に」など言はんは、この限りにはあらざるべし。阮籍が青き眼、誰もあるべきことなり。そのこととなきに人の来りて、のどかに物語りして帰りぬる、いとよし。又、文も、「久しく聞えさせねば」などばかり言ひおこせたる、いとうれし。

阮籍は、白眼と青眼をつかいわけることができたらしいのだ。厭なやつには白眼視、親友には青い目で出迎えたという。しかし、我々の人間関係というのは、そのどっちでもないことがほとんどであろうから、彼はそのとき一体どのような目をしていたのであろう。実際は、この人のエピソードは知識人達の願望であって、とくに嫌いなやつにむかっては、目を白黒させているのが現実だ。

あるいは、我々の目は、好きな人の目を青く感じることがあろうか。そういえば、そういう気がしないでもない。大概、我々はそういうときに大雨になんかには会っておらず、青空の下、目も少々お互いに青くなっているにちがいない。

我々はそのときに見ている風景が自然に文章に映ることがあるような気がする。このまえ、セリーヌの「虫けらどもをひねりつぶせ」というのを少し読み直したが、セリーヌの周りにどんな部屋の風景が広がっていたのかなんとなく分かる気がするのであった。彼の。。。。で中断されて連続して行く文章が、それが文章ではなく、セリーヌの視覚的ななにものかを示すようだ。わたくしは、二十世紀に深く根をはっていた文章に対する潜在的な強い反発を思わざるを得ない。

本当は、兼好法師もそうにちがいない。親友の言葉はもはや言葉ではなくなっている。解釈が必要なめんどうな言葉から逃げ、静かに寝ていたいのが兼好法師の老いの心であった。

「そして一週間足らずのうちに、私たちは誰もかも、その青い眼に出會ふ機會をもちました。
「私たちはみんな眩暈をもつたのでした。それに違ひはありません。が、私たちはみんなそれを見たのでした。それはすばやく通り過ぎました、廊下の暗い蔭へ、美しい空色の斑點をつくりながら。私たちはぞつとしました、が、誰一人それを尼さんたちに話さうとはしませんでした。
「私たちはそんな恐しい眼をしてゐるのは一體誰なのか知らうとして隨分頭を惱ませました。私たちのうちの誰だつたか覺えてゐませんが、或る一人のものが、それはきつと、まだ私たちの記憶の中にその泣きたくなるまでに抒情的な響が尾を曳いてゐる、あの數日前の角笛の亂吹の眞中になつて通り過ぎた獵人らの中の一人の眼にちがひないといふ意見を述べました。そしてそれにちがひないといふ事に一決いたしました。


――アポリネール「青い目」(堀辰雄訳)


青い目はこういうものもある。彼らは少したつとそれを見る能力を失う。そして、白い楕円のなかの黒丸の動きだけで生きるようになるのである。

石仏とAnnihilation

2021-08-10 23:21:43 | 文学


人間の営みあへるわざを見るに、春の日に雪仏を作りて、そのために金銀・珠玉の飾りを営み、堂を建てんとするに似たり。その構へを待ちて、よく安置してんや。人の命ありと見るほども、下より消ゆること、雪のごとくなるうちに、営み待つ事甚だ多し。

果たして雪だるまは地熱でとけるのであろうか。そうはみえず、下から溶けるというよりも全体的に溶けるようにみえる。知らないうちに死が迫っていることの比喩としてはあまりよくないのではなかろうか。兼好法師の時代はともかく我々の時代はだんだんと死が近づいてくることぐらい皆感じているわけであって、死は生とますます混ざり合ってきている。

こうなると、確かに我々は人生を半分死の領域として考える癖すらついている。わたくしなんかの小1の日記に、笹舟で遊んでいて、人間も笹舟と一緒ですぐ死んじゃうとか書いていたが、――わたくしには無論病気への意識があったのである。いまは、若者全体がそれほど病んでいない人でもいずれ来る死にながら生きる時代への意識があるらしく、なんとなくやる気が出なくなっているのではなかろうか。

先日、ナタリーポートマンがでていた「アナイアレイション(全滅領域)」という映画を見たが、この映画でももはや人間世界は生きるに値するのか懐疑的に見られていて、遺伝子を書き換えていってしまうエイリアンとの接触に関して、人間としての意志が示されない。エイリアンに侵略され別の生物になっても、人間として生き残ってもどちらにも幸福がなさそうなのだ。主人公は、辛うじて自分のエゴを貫いたようにも思えるがよくわからない。それ以前に自分に対して絶望しているからである。

文学でも「もっと絶望を」というかけ声は多くあったが、絶望は純粋経験みたいなもので、案外すぐさま絶望でない何者かに変形していってしまう。

魚のやうに空氣をもとめて、
よつぱらつて町をあるいてゐる私の足です、
東京市中の掘割から浮びあがるところの足です、
さびしき足、
さびしき足、
よろよろと道に倒れる人足の足、
それよりももつと甚だしくよごれた絶望の足、
あらゆるものをうしなひ、
あらゆる幸福のまぼろしをたづねて、
東京市中を徘徊するよひどれの足、
よごれはてたる病氣の足、
さびしい人格の足、
ひとりものの異性に飢ゑたる足、
よつぱらつて堀ばたをあるく足、
ああ、こころの中になにをもとめんとて、
かくもみづからをはづかしむる日なるか、
よろよろとしてもたるる電信柱、
はげしきすすりなきをこらへるこころ、
ああ、ながく道路に倒れむとする絶望の足です。


――萩原朔太郎「絶望の足」


これなんかは、その他のモノに変形しようとする絶望を足に閉じ込めているぶんだけ長時間持ったようなところがある。もっとも、朔太郎は自分が何に絶望しているか白状する勇気がなかった。

過剰さと無常観

2021-08-09 23:24:44 | 文学
正・住・異・滅の移り変はる、まことの大事は、猛き河のみなぎり流るるがごとし。しばしも滞らず、ただちに行ひゆくものなり。されば、真俗につけて、かならず果たし遂げんと思はんことは、機嫌を言ふべからず。とかくのもよひなく、足を踏みとどむまじきなり。春暮れて後に夏になり、夏果てて秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気もよほし、夏よりすでに秋は通ひ、秋はすなはち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり、梅もつぼみぬ。木の葉の落つるも、まづ落ちて芽ぐむにはあらず。下よりきざしつはるに堪へずして落つるなり。迎ふる気、下に設けたるゆゑに、待ち取るついで甚だ速し。生・老・病・死の移り来たること、またこれに過ぎたり。四季はなほ定まれるついであり。死期はついでを待たず。死は前よりしも来たらず、かねて後ろに迫れり。人皆死あることを知りて、待つこと、しかも急ならざるに、おぼえずして来たる。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるがごとし。

「木の葉の落つるも、まづ落ちて芽ぐむにはあらず。下よりきざしつはるに堪へずして落つるなり」――であるとすると、死は何かに押されて生じることになり、これを推し進めれば、もうフロイトの死の欲動みたいなところにはあと一歩のような気がするのであるが、兼好法師がそうならない方が注目すべきことである。やはり無常観みたいなものが邪魔しているのではないだろうか。内部の生に押し出されて現れてしまう死はまるでゲーテの植物みたいでもあるが、彼が想起しているのは、「潮が満つる」風景である。これは、干潟にもましてなんだか豊かでないような気がするのはわたくしだけではないであろう。我々の世界には、対象としてじっくり観察するにはモノが多すぎる。この過剰さはなんとなく無常観とつながっている。

庭の手入れをしてると、台風の後に植物や動物が動揺しながら秩序を回復しようとする動きが感じられるようになる。今日なんかもそうであった。むろん、わたくしも秩序回復に参画するのだ。いつもはいないアブラゼミも逃げていった。ああ人間の心はかくも周囲と密通して気持ち悪くできている。雨の後は雑草が抜いてくれと言っているので、ざっぽざっぽと抜いて差し上げる。地面にのされたひまわりが、花だけぐいっと上に向けだしてくる。――こんなときに思うのは、我々のまわりには実に様々な作用に満ちていて、その数が多すぎるのである。多神教以前にモノが多い。



カエルも葉とともに色づいている。日本にマニアが多いのは、モノを限ることによって自分の輪郭を創ろうとするからである。写真機の登場は本当に大きい出来事で、そのフレーム機能を万人に与えた。

いいと思います

2021-08-08 23:39:24 | 文学


或人の云はく、年五十になるまで上手に至らざらん芸をば捨つべきなり。励み習ふべき行末もなし。老人の事をば、人もえ笑はず。衆に交りたるも、あいなく、見ぐるし。大方、万のしわざは止めて、暇あるこそ、めやすく、あらまほしけれ。世俗の事に携はりて生涯を暮すは、下愚の人なり。ゆかしく覚えん事は、学び訊くとも、その趣を知りなば、おぼつかなからずして止むべし。もとより、望むことなくして止まんは、第一の事なり

「大方、万のしわざは止めて、暇あるこそ、めやすく、あらまほしけれ」――現代でもそれで、いいとおもいます。


老い

2021-08-07 23:53:57 | 文学


人の終焉の有様のいみじかりし事など、人の語るを聞くに、ただ、閑にして乱れずと言はば心にくかるべきを、愚かなる人は、あやしく異なる相を語りつけ、言ひし言葉も、ふるまひも、おのれが好むかたにほめなすこそ、その人の日来の本意にもあらずやと覚ゆれ。この大事は、権化の人も定むべからず。博学の士もはかるべからず。おのれたがふ所なくは、人の見聞くにはよるべからず。


芥川龍之介の「土」は、老人の生き様、というか生き恥を描いた傑作だと思う。芥川龍之介の功績は、彼が若くして老人みたいなところのあったひとであったせいか、老いを描くことにかけては漱石とか鷗外よりも真に迫ったものがある気がする。彼は如何に死ぬかみたいなのがずっとテーマの作家だったのである。これが、晩年の作品でむりやり青年ぽいことを書いて病んでしまったのではないかとわたくしは思う。老いに関しては、ひそかな終わりを想定することにによって、そのあとどうなるか分からない範囲を狭めることが出来る。芥川は、歴史的ななにかを――つまり物事の後を描きたい欲望が強く、人は比較的簡単に生を終える必要があるのだ。

これに比べると徒然草の御仁は、見苦しくない最期を、みたいな想定があって、――おそらく武士のそれを想定しているんだろうが、生の豊かさはもう埒外なのである。実際は、老いというのは、生の豊かさを狭めないどころか、若い頃の因果が激しく現れる豊かな時代なのである。

とはいっても、エネルギー自体は枯渇してくるので、どうしても言動そのものがシンプルになりやすい。心とは別にそうなってしまう。わたくしとしては、ひでえ世の中を馬鹿にせず迷いながら死んで行きたいと思っているが、――実際のところ、馬鹿にしていると見えるだけで心の方はさいごまで迷いで溢れている人がほとんどではないだろうか。

むしろ、わたくしに限らず、半端に勉強した人の方が危険だ。日本の近代の名だたる文芸評論家達はなぜか「もう勉強せずともお前のなかに真実はあったのだ」みたいなことを伝えてしまうことがあり、そのままぼやっとしながらじいちゃんばあちゃんになってしまう人がかなり多いわけで、まあそういう人に強制的に勉強させるだけでも文学部の意味はあったわけだが(――わたくしも、「お前は民衆の実態がわかっていない」、とか一度言うてみたいが、さすがにそんな欲望を絶つ訓練は少しはやっている)、案外その生ざとりの癖は抜けない人が多いと思うのだ。

吉本★明の「情況への発言」みたいなのは、『情況』に誠実であれば勉強せずとも人を罵倒出来るみたいな勘違いを与えたところがあるし、小林秀雄の講演の「理屈にはあきた」みたいな発言をそのまま受け取った人も多い。彼らの主著よりもこういう自由な放言みたいなものに影響力があることは本質的なことで、かならずしも馬鹿にすべきでないとおもうが、アホが真似るとダメ問題は結構大きいのだ。

確かに小林秀雄や宮台真司が言うように我々に魂が感染することがあるが、我々の精神は愚かなので、体への感染のように似たような症状がでるっというわけではない。それでも感染は止まらないのが、人生――いや人間社会である。

恩愛の道ならでは

2021-08-05 23:36:51 | 文学


恩愛の道ならでは、かかる者の心に慈悲ありなんや。孝養の心なき者も、子持ちてこそ、親の志は思ひ知るなれ。世を捨てたる人の、万にするすみなるが、なべてほだし多かる人の、万にへつらひ、望み深きを見て、無下に思ひくたすは僻事なり。その人の心になりて思へば、誠に、かなしからん親のため、妻子のためには、恥をも忘れ、盗みもしつべき事なり。されば、盗人をいましめ、僻事をのみ罪せんよりは、世の人の饑ゑず、寒からぬやうに、世をば行はまほしきなり。

独身者が増えた理由についてはいろいろ思うところがあり、――ストレス耐性がなくなったのだとか、親が愛し合ってなかったからだとか、コミュニケーション能力が衰えたからだとか、金がないんだとか、性欲を発散する場所が増えたんだとか、そもそも一緒に暮らすに値する相手なんか日本にいるのか、そもそも自分自身が駄目すぎるし、とかいろいろあるのであろうが、――兼好法師のいうところからかんがえてみると、親になると、上のように盗みまでは行かないにしても、善悪の彼岸みたいなところにたつ必要が出てきて生き方が難しくなるということが、とくにちょっと勉強したようなタイプにおおいかもしれないのは、実感されるところなのだ。子供がトラブルに巻き込まれた場合、責任が親一人だけにのし掛かり、社会的なバックアップやなにやらが存在していない。「なべてほだし多かる人の、万にへつらひ」という状態は、まだある種の相互扶助が存在していることを示している。ちょっと頭が回る人間なら、親子の絆みたいな観念だけで事態がのりきれるわけがないことは分かっている。社会から自分を守るためにまず結婚は怖ろしくてできないみたいな事はありうる。教育に携わる人はだいたい分かっていると思うが、教育を十全に機能させるためには、処罰の機能が社会を成り立たせているような社会ではなく、野放図な人間(こどもね)が社会の中であるていど自由を許され、親や教師の裁量が広く設定されている方がよい。人間の多様性?の広さは、我々の想定を絶対に常に越えているからである。人間が育つということは、そういうことを認めるところからしか成り立たない。いまの大学生が子供みたいな感じなのは、教育よりも安全や安心、いってみればある種の、広い意味での安寧=正義みたいなものが優先されている結果なのである。兼好法師がいうように、独身者はそういう正義をつい振り回してしまうが間違っている。ただし、兼好法師の言い方だと、独身者は心が分からないみたいにきこえる。そうではなく、世の中の不正義はたいがい親子関係やなにやらの関係からくるものであって、正義がないところからくるのではない、と言う方がよいのではなかろうか。兼好法師の言い方だと、ますます正義の士を頑なにするだけである。この程度がわからないのが、兼好法師のルサンチマンに満ちたところであろう。

というか、親の情愛以前に、何もかもが苦手な人が多いわけで、どうなっちゃったんだろうね。。。

「私が、もし、宰相となつたならば、ですね、その責任の重大を思ひ、あらゆる恩愛のきづなを断ち切り、苦行者の如く簡易質素の生活を選び、役所のすぐ近くのアパートの五階あたりに極めて小さい一室を借り、そこには一脚のテーブルと粗末な鉄の寝台があるだけで、役所から帰ると深夜までそのテーブルに於いて残務の整理をし、睡魔の襲ふと共に、服も靴もぬがずに、そのままベツドにごろ寝をして、翌る朝、眼が覚めると直ちに立つて、立つたまま鶏卵とスープを喫し、鞄をかかへて役所へ行くといふ工合の生活をするに違ひない!」と情熱をこめて語つたのであるが、クレマンソオは一言も答へず、ただ、なんだか全く呆れはてたやうな軽蔑の眼つきで、この画壇の巨匠の顔を、しげしげと見ただけであつたといふ。

――太宰治「津軽」


これがアイロニーであった時代はまだましだった。

意外性の権威主義

2021-08-04 23:22:46 | 文学


悲田院の尭蓮上人は、俗姓は三浦の某とかや、さうなき武者なり。故郷の人の来りて物語すとて、「吾妻こそ、言ひつる事は頼まるれ、都の人は、ことうけのみよくて、実なし」と言ひしを、聖、「それはさこそおぼすらめども、おのれは都に久しく住みて、馴れて見侍るに、人の心劣れりとは思ひ侍らず。なべて心やはらかに、情あるゆゑに、人の言ふほどの事、けやけく否びがたくて、万え言ひ放たず、心弱くことうけしつ。偽りせんとは思はねど、乏しくかなはぬ人のみあれば、おのづから本意とほらぬ事多かるべし。吾妻人は我がかたなれど、げには心の色なく、情おくれ、ひとへにすくよかなるものなれば、始めより否と言ひてやみぬ。にぎはひ豊かなれば、人には頼まるるぞかし」とことわられ侍りしこそ、この聖、声うちゆがみ、あらあらしくて、聖教のこまやかなることわり、いとわきまへずもやと思ひしに、この一言の後、心にくくなりて、多かるなかに寺をも住持せらるるは、かくやはらぎたる所ありて、その益もあるにこそと覚え侍りし。

むかしから、これだから関東は、とか、京都の野郎はこれだから、みたいなことで盛りあがっていたことがわかるが、――さすが(かどうか分からないが)兼好法師は、京都人を擁護し東国人を批判した東国出身の僧を気に入ったようであった。そして、荒っぽい口調のひとだったが感心した、病人や孤児を世話する悲田院を任されているのはそういうことか、と感心する法師である。この段にみえるのは、AかとおもったらBだった=いいね、みたいな発想であり、そして本当は、京都や悲田院といった価値(いいね)が先取られているためになんの発見にもなっていないのである。

現代でも、やたら自分の不見識を反省してみせる割には、権威主義的であったりするひとがいるが、こういうことである。

今日は、前田利鎌の「宗教的人間」の昭和14年版が本棚の奥底から発見されたので少し読んだが、――内容はともかく、当時の教養主義の魂の実質的なあり方はわたくしの研究テーマのひとつである。教養主義は大学の権威や漱石と結びつけられたりして批判されてきたし、三島由紀夫もたしか学生にむかって教養主義をたたき壊した学生運動はいいね、とか言っていたが――、わたくしは教養主義の魂についての批判にはなっていないと思うのである。

日本のことをしらない西洋派知識人?が大変に愚かな人々であるのは、昔から今まで自明のことであろう。が、デカンショ、いやドゥデリーコーのかわりに古文漢文が代入されてるだけのひともいる。これが果たして教養主義といってよいかというと違うと思うのである。

祖父がめんぱ屋にならずに国鉄に勤めたり、父が国鉄を蹴って大学に行って教師になったりといった果てに私がいるのであるが、――要するに、学徒たることは職業選択の自由の結果みたいなものではないのだ。職業選択の自由的な意識で学徒になったような知識人というのは、なにか教科や題材を選ぶような感覚があるにちがいない。兼好法師のもちいる二項対立の意外性みたいなロジックは、こういう知識人のよく用いるやつである。この人達は対象や認識を生き方と同様、えらべるものだと思っている。

わたくしは一葉の「にごりえ」じゃないが、そういう意味で、三代の恨みを背負っているような人間しか信用していないのである。これは案外、大学人というより庶民によくある認識に違いない。

渡るにや怕し渡らねばと自分の謳ひし聲を其まゝ何處ともなく響いて來るに、仕方がない矢張り私も丸木橋をば渡らずばなるまい、父さんも踏かへして落てお仕舞なされ、祖父さんも同じ事であつたといふ、何うで幾代もの恨みを背負て出た私なれば爲る丈の事はしなければ死んでも死なれぬのであらう、情ないとても誰れも哀れと思ふてくれる人はあるまじく、悲しいと言へば商賣がらを嫌ふかと一ト口に言はれて仕舞、ゑゝ何うなりとも勝手になれ、勝手になれ、私には以上考へたとて私の身の行き方は分らぬなれば、分らぬなりに菊の井のお力を通してゆかう

よく言われていることだと思うが、この部分で急激な変調は「菊の井のお力を通してゆかう」のところで、論理的にはこんなことは出てくるはずはないのだが、吉本隆明風にいえば「関係の絶対性」による情況というものはこんな変調をもたらす。わたくしは、職業教育の危険性にはこういうところにもあると思っている。