★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

2021-08-02 23:49:33 | 文学


身死して財残る事は、智者のせざるところなり。よからぬ物たくはへ置きたるもつたなく、よき物は、心をとめけんと、はかなし。こちたく多かる、まして口をし。「我こそ得め」などいふ者どもありて、あとに争ひたる、さまあし。後は誰にとこころざす物あらば、生けらんうちにぞゆづるべき。朝夕なくてかなはざらん物こそあらめ、その外は何も持たでぞあらまほしき。

それはそうだと思うが、我々の存在は、一人で完結出来ないところがある。たしかに遺産相続でもめるのは醜悪の極みであるが、金持ちの場合、その金は天下国家のために使うときが来る場合がある。金もないのは清貧の生き方ができるけれども、金を使った天下国家の助けみたいなことができなくなるわけだ。天下国家でなくともほっておけばテロリズムにしかならない運動をたすけるばあいだってあるのである。

わたくしの小学校の時の先生が、「夜明け前」について、森林国有化問題の裏で運動の資金繰りをしていたやつがいて、彼らが重要なんだと言っていた。よくわからんが、近代の旧家の役割というのは、そういうものから、藤村や太宰の学費を工面するみたいな単純なところまで及んでいるのである。

人口が増加すれば、生活の困難が増し、生活難がはげしくなれば、貧富の懸隔に対する不平の念が増進する。また列国と対立してゆくには教育を盛んにしなければならぬが、教育が進めば、不平を感ずる力もだんだん鋭敏になる。書物が読めて飯が食えぬ人が一人でも多く増せば、それだけ現代に対する不満の声の高くなるのは、どこの国でも同一轍である。されば今日のままの制度では、いかにしても現代に対する不平不満の念をのぞくことができぬのみならず、そのますます増加するのを傍観していなければならぬ。人間はこれを防ぐために倫理、教育、宗教等の各方面から世俗を改善しようとつとめるであろうが、上述のごとき原因が存する以上はその効力は勢い一定の範囲内に限られて、とうてい充分の効を奏することはできぬ。世は澆季なりとは昔より今までつねに人の言うことであるが、世のつねに澆季なるは、あたかも黴菌が自己の繁殖のために生じた酸類のために苦しむごとくに、自己の発達に伴うて生じた固有の制度のために苦しんでいるのにあたるゆえ、まずまぬがれがたい運命とでも思うてあきらめるのほかはなかろう。

――丘浅次郎「動物の私有財産」


「世は澆季なり」とか言いいはじめたらまさに世は末である。最近は、絶望の余り、財産を私有財産としてしか考えぬ人々が良心の塊のような顔をしている。

祭と自然

2021-08-01 23:16:40 | 文学


何となく葵かけ渡して なまめかしきに、明けはなれぬほど、忍びて寄する車どものゆかしきを、其か、彼かなどおもひよすれば、牛飼下部などの見知れるもあり。をかしくも、きらきらしくも、さまざまに行きかふ、見るもつれづれならず。暮るゝ程には、立て竝べつる車ども、所なく竝みゐつる人も、いづかたへか行きつらん、程なく稀になりて、車どものらうがはしさも濟みぬれば、簾・疊も取り拂ひ、目の前に寂しげになり行くこそ、世のためしも思ひ知られて、哀れなれ。大路見たるこそ、祭見たるにてはあれ。

確かに、祭りの前と後の方があはれな感じはするであろうが、――決定的なのは、兼好法師が祭りの見物人だということであって、その点、下品に騒ぎ立てる人々と大した違いはないのである。祭りのために下準備するひとたちの知恵に比べたら、こういう感想はなんということもないのではなかろうか。

わたくしも祭りの運営側にまわったことはない。ただし、御神輿は担いだことがある。子どもの神輿であるが……。しかも、背が届かずぶら下がっていたわけであるが。。。

鎮守の祭の共同が始まつたのは、大祭を大きく、又出来るだけ花やかなものにしようが為であつたと思はれる。通例は秋の節供、即ち旧暦九月半ばの頃を祭日としたものが多い。秋は農家の最も心楽しい季節である。凶作でも無い限りは、早くから用意をして、家々では鯖の鮓をしこみ、甘酒の香が到る処にたゞよひ、子供は飽きるほど物を食べて、静かに大織の秋風にはためく音を聴いた。当日になると各から屋台が出る。又だんじりといふ車を曳いて出る小村もあつた。神の御幸とも御出とも謂つて、神輿が里中を巡つて行かれる時刻には、老人でも家の中にゐる者は無かつた。小さい者などは一日中、太鼓の音に附いてまはつてゐた。
 大祭の日だけは、村中家中が皆祭であつた。嫁に行き奉公に出た者は還つて来る。親類の者は招かれる。酔うた人が出たり入つたりする。さういふ中にも祭の世話人の宿といふものがあつて、ここにゐる人だけは神輿に附き、又鎮守の御社に往来する用が多かつたが女たちなどは家でする事があるので、参らぬ者が案外に少なくなかつた。それから又役の無い老人は、斯ういふ日にもなほ一方の氏神さんに参拝した。さうしてこゝにも灯明を上げ供物を備へてあつたのだが、子供だけは屋台に気を取られて、こちらへはめつたに来ぬから淋しいものであつた。


――柳田國男「祭のさまざま」


子供や嫁のうごきが重要だったのであろう。兼好法師にはそういう存在が映っていないようだが、兼好法師が子供みたいな感じだったのかもしれない。兼好法師の行論からして、彼は芥川龍之介の「大道寺信輔の半生」みたいな精神状態に近いような気がする。

荒あらしい木曽の自然は常に彼を不安にした。又優しい瀬戸内も常に彼を退屈にした。彼はそれ等の自然よりも遥かに見すぼらしい自然を愛した。殊に人工の文明の中にかすかに息づいてゐる自然を愛した。

「人工の文明の中にかすかに息づいている自然」というのはもう自然ではない。こういう言い方は嘘なのである。たぶん芥川龍之介も自分でよく分かっている。その自然とは、兼好法師のあはれみたいなもので、あはれとしか言いようがない。それを言ってしまえば、柳田みたいな視点の移動が意地でも出来なくなってしまう。