伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年から3年連続目標達成!

なぜ無実の人が自白するのか DNA鑑定は告発する

2010-02-03 00:12:31 | 人文・社会科学系
 アメリカで1970年代以降になされた自白で後に虚偽であったこと、つまり自白者が無実であることが証明された125例について分析した研究論文とその著者らによる名張毒ブドウ酒事件第7次再審請求特別抗告審(最高裁)に提出された意見書を合冊した本。
 ここで取りあげられた事例は、犯罪そのものが発生していないことが客観的に立証された、被告人が犯罪を犯すことが物理的に不可能(完全なアリバイ:事件の時刑務所に拘禁されていたなど)、真犯人が突き止められかつ真犯人の有罪が客観的に立証された、科学的証拠(最近ではDNA鑑定が多い)により被告人の無実が立証されたの4パターンのものに限定されています(39~40ページ)。
 そのように客観的には無実の者が犯行を自白した例が、少なくとも現実に125例明らかになっていること自体、恐るべきことです。このこと自体で、罪を犯していない者がやってもいない犯罪を自白するはずがないという、検察官や裁判官そしてマスコミと一般人がことあるごとにいうことが誤りであることが明確に示されています。
 アメリカではロースクール内の「イノセンス・プロジェクト」が冤罪を訴える囚人のうちDNA鑑定により無実の証明ができる事件を受けて捜査機関が保管しているサンプルにアクセスしてDNA鑑定を行い冤罪を明らかにし続け(4ページ)2004年の論文執筆時点で有罪判決を受けて服役していた受刑者がDNA鑑定の結果無実と判明して釈放された事例が140に上り(24ページ)、2008年の意見書執筆時点では211そのうち死刑囚だけで124人に及んでいるそうです(151ページ)。他方、日本では、民間人が捜査機関が保管するサンプルにアクセスすることなどできず、このような試みは行われていません。同じことが日本で行われたら一体どれだけの無実の死刑囚・服役囚が判明するでしょうか。
 この論文では、無実の人が自白した原因の考察の中で警察の取調時間に触れて次のように述べています。「虚偽自白者の80%以上が6時間以上の取調べを受け、50%が24時間以上の取調べを受けている。取調べの平均時間は16.3時間であり、取調べ時間の中央値が12時間である。この数字はとりわけ、米国における日常的な警察の取調べの研究と比較すると衝撃を受ける。それらの研究によれば、通常の取調べの90%以上は2時間以内に終了している」(52ページ)。このような記述を見ると、日本の弁護士としてはそれこそ衝撃を受けます。日本では軽い犯罪でも逮捕すれば20日あまりの拘束が認められ、重罪事件では、例えば殺人事件は殺人と死体遺棄に分けるなどして何度も逮捕して1か月以上拘束して取り調べることが日常的に行われていますし、重罪事件で取調が6時間未満で済むことなどおよそ考えられません。名張毒ブドウ酒事件の再審開始決定を取り消した名古屋高裁刑事2部の決定は6日間49時間の取調を比較的短いと述べ無実の被疑者であればそのようなストレスのない取調で自白することはないと判断しています(157ページ)。日本の法律と司法の実際の運用が許している取調時間は、無実の者にも虚偽の自白をさせるに十分すぎるものということを意味しているわけです。そういう点を明らかにしているだけでも極めて注目すべき研究というべきでしょう。
 ただ、私はこの論文で2点違和感を持ちました。1つは、この論文が、取りあげられた事例のうち有罪判決が出されたものは客観的には虚偽の自白以外にそれを補強する証拠がないのに有罪判決が出されていると何度も指摘していることです(56ページ、64ページ等)。この論文では被告人の無実が立証されたケースを分析していますが、補強証拠として何があるかは少なくとも論文上は全く分析検討されていません。もちろんほとんど補強証拠がない事案もあったでしょうけれども、それを統計的にそうだという論拠は全く示されていません。実質的な補強証拠もないのにということは、裁判の判断者が自白に影響されやすい・自白に依存していることを示す方向です。しかし、私はむしろ客観的には無実である者の虚偽自白に裁判時には正しいと思える信用性のあると見えた補強証拠があったとしたら、それがどのように作られたかも含め、そっちの方がもっと深刻だと思います。それを考えれば、十分な根拠・検証なく、補強証拠がなかったと断じて欲しくない。
 2つめは、虚偽自白の圧倒的多数が殺人(81%)・強姦(9%)等の重罪事件に集中しているとしている(50~51ページ)ことです。確かに重罪事件では解決のプレッシャーを受けた捜査機関の焦りが虚偽自白を生みやすいという事情はあるでしょう。しかし、DNA鑑定で無実を立証できるということが事件の性質と捜査機関がサンプルを保管している可能性から考えて殺人・強姦に偏らざるを得ないこと、イノセンスプロジェクトが活動するのも重罪事犯だからこそそこまでやろうという気持ちが出てくることからすれば、そういった活動で無実を立証できた事件が最初から殺人・強姦事件に偏っていると考えられるわけです。重罪事件で無実の者がこんなに虚偽自白をさせられたという事実は重要ですが、研究対象の中で殺人事件が何%という数字はあまり意味がないように思えます。
 そういう研究としての疑問はないではないですが、全体としてはとてもいい問題提起で、ぜひ多数の人に読んでもらいたい本だと思います。


原題:THE PROBLEM OF FALSE CONFESSIONS IN THE POST-DNA WORLD
スティーヴン・A・ドリズィン、リチャード・A・レオ 訳:伊藤和子
日本評論社 2008年12月15日発行 (原書は2004年)
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