「鴨川自然王国」で循環型社会のエコ・ライフの運動を続けている著者らが、これまでの運動に加えて東日本大震災と福島原発震災後の日本社会のあり方について語り提唱する本。
もともとは震災とは関係なく運動の紹介と拡大を想定して書いていたものらしく、著者2人がこの運動に至る個人史的な来歴が語られ、そこに震災の被害の衝撃と被災地での被災者たちとのつながりがかぶせられ、読み物的には断絶感というか取って付けた感があります。しかし、偶然にもというか歴史の悲劇というか、村レベルで地域自立型の村おこしに取り組みそのために有機農法や循環型社会の実践を進め方言でいう「真手(までい)」な(手間を惜しまず丁寧に心を込めて慎ましくの意)村作りをしてきた飯舘村が、福島原発震災で高度の汚染を受けたことから、その村作りに関わってきた著者らの3.11前の取り組みと3.11後の支援・関わりが必然的につながっていき、個人の顔の見える話として連続感があり、当初の意図とは違う形でしょうけど味わいのある読み物になっています。
当初の本作りの目的の循環型社会の実践の継続と拡大という前向きの部分と、福島原発震災に象徴されるこれまでの官僚主導の政策の誤り・行き詰まりとそれに対する憤りの部分とが、必ずしもきれいにまとめられていなくて混沌とした印象はありますが、それ自体が現在の状況を示しているわけでもあり、まぁそういうものかなと思います。
加藤登紀子、林良樹 白水社 2011年11月5日発行
もともとは震災とは関係なく運動の紹介と拡大を想定して書いていたものらしく、著者2人がこの運動に至る個人史的な来歴が語られ、そこに震災の被害の衝撃と被災地での被災者たちとのつながりがかぶせられ、読み物的には断絶感というか取って付けた感があります。しかし、偶然にもというか歴史の悲劇というか、村レベルで地域自立型の村おこしに取り組みそのために有機農法や循環型社会の実践を進め方言でいう「真手(までい)」な(手間を惜しまず丁寧に心を込めて慎ましくの意)村作りをしてきた飯舘村が、福島原発震災で高度の汚染を受けたことから、その村作りに関わってきた著者らの3.11前の取り組みと3.11後の支援・関わりが必然的につながっていき、個人の顔の見える話として連続感があり、当初の意図とは違う形でしょうけど味わいのある読み物になっています。
当初の本作りの目的の循環型社会の実践の継続と拡大という前向きの部分と、福島原発震災に象徴されるこれまでの官僚主導の政策の誤り・行き詰まりとそれに対する憤りの部分とが、必ずしもきれいにまとめられていなくて混沌とした印象はありますが、それ自体が現在の状況を示しているわけでもあり、まぁそういうものかなと思います。
加藤登紀子、林良樹 白水社 2011年11月5日発行