三ちゃんのサンデーサンライズ。第473回。令和6年6月23日、日曜日。
隣のアスパラ畑の先に熊が出たようです。
黒い動くものが現れて、猪でもないし、歩き方から犬でも猫でもない、よく見たら熊だったと。
山から線路を越えて来たのでしょう。
そこは私の朝の散歩道です。
次の日からアスパラ畑では熊除けの鈴が鳴っています。
他人事ではなくなりました。
19・20日、旧友に誘われて千葉県君津の師のもとへ。
思えば初めて師のところへ訪ねて行ったのも彼と二人で、今から36年前のことになると思います。
以来、羅針盤の点検のように時折訪ねては進路確認をしてきました。
ちょうど一回り12年上の師は、年々体の衰えが見え、視力も虫眼鏡でようやく字が読める程度に落ちてきています。
それでも懐かしい顔が揃ったということで心から喜んでくれ、「私にも注がせてくれよ」と酒瓶を持ってお猪口に酌をしてくれました。
「見えなくても座頭市のように酒はちゃんと注げるんだよ」と嬉しそうに。
そして、和尚としての生きる姿勢について、いつものように熱く、時に「バカたれが」と叱りながら語ってくれるのでした。
「これが最後になるかもしれない」と思いながら毎回一言一句漏らさないよう聞き耳を立て心に刻んできます。
その薫りに包まれ、少しばかり身に沁み込ませて帰ってくると、しばらくは穏やかな幸せに包まれます。
光陰は矢よりもすみやかなり、身命は露よりももろし、師はあれども、われ参不得なるうらみあり。参ぜんとするに、師不得なるかなしみあり。(『正法眼蔵行持』)
混雑する東京駅で、行きかう人々を眺めていました。
この大勢の人々それぞれにその人の歴史、太古からの連綿たる命の流れ、そしてそれぞれに幾多の人のつながりがあるんだなとしみじみと眺めていました。
みんな何も気づかずにすれ違っているけれど、もしかしたら先祖のどこかでこの中の誰かと誰かがつながっているかもしれないし、この時にすれ違ったことでやがて次の人生に何らかの影響を及ぼさないとも限りません。
命のありようがジグソーパズルのようであれば、この中の誰一人かけてもパズルは完成しないわけで、お互いがお互いの足りないところを埋め合いながら存在しているのです。
一つも足りないピースはなく、一つも余るピースはありません。しかも境もない溶け合った一枚の動画です。
人の少ない田舎では感じることのできない、混沌としたような人の波だからこそ感じる心象でした。
その帰りの新幹線の中で、ばったりと檀家のご夫妻と出会いました。
亡くなった分家の葬儀に向かうところでした。
19日、出かける直前に不幸の連絡が入り、枕経を勤めてから千葉へ向かったのでした。
亡くなったのは私の二つ上、同じ中学校で野球部の先輩でした。
私がこの寺に帰って来てから、いろんな場面で一緒になりました。
東日本震災の支援も連携して行いました。
寺の役員をお願いして務めてもらいました。
集中講座の実行委員長を務めてもらいました。
最上の地酒を創る会の副代表でもありました。
何度も共に夢を語り、共に酒を酌み交わし、共に呵々大笑しました。
体調が悪いと聞いてからあっという間のことでした。
戒名は、禅語「明歴々露堂々」から「明歴正堂居士」とし、昨日涙と共にお見送りしました。
正さん、お世話になりました。ありがとうございました。
今週の一言。
「身命は露よりももろし」
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。