なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ390 母と比叡山へ

2022年11月06日 04時43分23秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第390回。11月6日、日曜日。

先月23日から始まった怒涛の半月も今日で納まります。
半生においてこれほどスケジュールの詰まった半月はなかったと思います。

23日は、郡内寺院の晋山式に出席。夕方上京。
28日まで布教師養成所の講師を勤めました。
その午後、大宮でシャンティの会長と人事について話し合い。
そのまま、新潟県十日町市へ。
友人の寺の400年祭と晋山結制退董式。永平寺御専使を勤めました。
30日山形に戻り、31日葬儀。
11月1日から4日まで、松林寺の団参で比叡山参拝と京都名刹の旅へ。
昨日5日午前に葬儀。終わって郡内寺院の慶弔会。
昨日今日と、本葬と晋山式に出席、法要解説を勤めます。
考えただけでも目が回るようなスケジュールでした。
実際、頭の中が船に乗っているようにふらふらしています。

実は、1日からの旅の始まりは、仙台港から名古屋港までのフェリーでの移動でした。
大型フェリーとはいううものの、やはり海の上、全く揺れないということではありません。
横になっていてもゆらゆらふわふわと浮いているような感覚です。
何人か船酔いをしてしまった人もいました。
陸に上がってからもふわふわは続き、なかなか収まらず、現に今も続いているのです。
それにしても今回の旅はなかなかいい旅になりました。
名古屋港から湖東三山の一つ、百済寺へ。
聖徳太子創建という古刹は、回遊式庭園が有名で、多くの木々に囲まれとても雰囲気のいい、心が洗われるような寺でした。
その晩はおごと温泉に宿泊。とてもいい宿でした。
次の日は目的の比叡山延暦寺参拝。西塔と東塔を巡りました。
ちょうど今御開帳しているという椿堂も参拝できました。
そこから鷹峰の源光庵へ。曹洞宗寺院であるここはシャンティの協力寺院でもあり、一度伺ったことがあります。
そんなことで、特別に住職がお話をしてくれ、お土産までいただきました。
その晩は湯の花温泉に宿泊。とても賑やかに過ごしました。
最終日は、亀岡からトロッコ電車に乗り嵐山まで保津川渓谷を見ながら下りました。
竹林の小道を通って臨済宗京都五山の天龍寺へ。世界遺産の借景庭園は圧巻でした。
帰りは伊丹空港から山形空港へ。3泊4日、25名の団体旅行が無事終わりました。

母親が亡くなってまだ49日も過ぎていないのにという気がかりはありましたが、亡くなった時点で既にキャンセルは難しい状況でしたので、意を決して実施することにしました。
父と母は檀家を連れて何度も何度も巡礼に出かけていました。
きっと背中を押してくれていると思いました。
母を一緒に連れて行くようなつもりで寺を出ました。
比叡山の釈迦堂で、供養のローソク献灯ができましたので、母の戒名を書いて納めました。
お陰で無事に行ってこられました。母が見守ってくれていたと思います。

明日からも、しなければならないことはたくさんありますが、体を休めながら一つ一つこなしていきたいと思います。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンサンラジオ389 向上の輪

2022年10月30日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第389回。10月30日、日曜日。

新潟十日町に来ています。
昨日今日と、友人の寺の晋山式と退董式に呼ばれてお邪魔しています。
友人は私より一つ上で67歳ですから、引退するにはまだ早いと思うのですが、息子さんに席を譲って自由にしたいとのこと。ミュージシャンでもあるので、やりたいことがあるのでしょう。
彼とはカンボジア難民キャンプのボランティア同期で、1980年8月、同じ飛行機に乗り初めて海外へ飛び立った仲です。
戦場の最前線に向かう志願兵のような覚悟で緊張していたことを覚えています。
一方初めての海外旅行でもあり、ワクワク期待して機体に乗り込んだことも事実です。
ところが、あてがわれたのは安いパキスタン航空の飛行機で、座席も薄く機内食も残念な代物、きれいなスチュワーデス(当時)でもなく、むさ苦しいひげ面のスチュワードでした。
あまり快適ではありませんでした。
ただ、アルコールは好きなだけ飲めたので、手あたり次第いろんなものを飲んだと思います。
到着してすぐ下痢したのはそのせいです。

バンコクから車で5時間ほど東に行くと、サケオという町に難民キャンプはありました。
広大な敷地に仮設として建てられた小屋のような住居に、当時3万人が収容されていました。
初めて難民キャンプという所に足を踏み入れ、恐る恐る難民を見ました。「何を見てるんだ」という視線が責められているように感じ、いたたまれない気持ちになりました。
やせ細って気力のない大人たちに比べ、子供たちは元気に走りまわり笑顔を返してくれます。
そんな子供たちに絵本を見せるというのが我々の移動図書館活動でした。
キャンプの中にできた学校で文字を学んでも読む本がない、そこに、日本のきれいな絵本にカンボジア語の訳文を張り付けた絵本を持ち込むと、みんな目をキラキラ輝かせて手に取り、文字をムシャムシャ食べるように読んでいました。
我々の宿舎はキャンプの近くの村に借りた家で、木の床にゴザを敷いただけの寝床、水道はなくドラム缶に雨水をためてそれを沸かして飲んでいました。
そこで2か月を共にした仲なのです。
以来、ナベちゃんサンちゃんと呼び合って42年が経ちました。
お寺を後継者に任せ、自由に羽を伸ばしてさらに活躍されることを願います。

先週5日間は東京でした。
布教師養成所の講師という任で研修道場に詰めていました。
曹洞宗布教師を目指す若い37名の僧侶が、目をキラキラさせて学ぶ姿は、それを見ているこちらまで気持ちが熱くなります。
机を並べる仲間に刺激され、支えられ、まさに切磋琢磨して学ぼうとしているのです。向上しようというそのベクトルが周りに刺激を与えるのです。
刺激は刺激を呼び、エコーのように増幅されて互いに返ってきます。集団で学ぶことの意味はそこでしょう。オンラインでは体験できないことです。
私も少なからず刺激を受けました。もっともっと学びたいと思いました。
今居る自分の場所で、独りでももちろん学べますが、人間はなかなか怠けやすい、自分に弱い。
林の木が互いに牽制しあって真っすぐ伸びるように、集まることで高く伸びることはあるのです。
時折、向上心のある人の輪に入ることは、自らを更に向上させるために必要だと感じます。
やがて死すべきものの今命あるはありがたし。
命のある間、今よりあと一歩、あるいはあと半歩、向上できるよう、自らを鼓舞していきましょう。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。






サンサンラジオ388 母を慕う

2022年10月23日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第388回。10月23日、日曜日。

未だに涙がこぼれてきません。
感情に蓋をしているとか、我慢しているとかではありません。ショックで穴が空いているというのでもありません。
何故か感情がこみ上げてこないのです。
檀家の葬儀を勤めながら、孫のお別れの言葉に誘われて涙を流すこともあるのに。
フェイスブックなどで友人の投稿を見ても、これまでのように心が動かされることがなくなりました。無味乾燥に感じます。
無感情人間になったのでしょうか。

住職として、これまで数多くの葬儀に携わってきましたが、家族の葬儀がこんなに大変だったのかと改めて知りました。
住職は全てお膳立てが調ったところに呼ばれていくので、その内情を知らなかったのです。
13年前父を送りましたが、その記憶はほとんどありませんでした。13歳若かったので身体的にそれほど大変ではなかったのかと思います。

葬儀の日はとても暖かい日で、本堂の窓も開けて勤めることができました。
思い出してみれば、父の葬儀の日も11月でしたが小春日和の暖かな日でした。
天気がいいだけでうれしくなりました。
もちろん、その人の人生と天候には何の因果もありません。
天気が良いとか悪いとか、それは勝手な人間の損得勘定です。
それでも遺族としてはうれしかったことは事実です。

コロナによって中止されていた前晩の「念仏」も勤めることができました。
45年前、当寺に梅花講を結成してそれまでの流派の念仏から梅花流に変えたのは母と父でしたから、できれば梅花講の皆さんで勤めて送って欲しいとお願いしました。
未だ感染が収まってはいないので可能な方だけでと思っていましたが、現在の講員のほとんど全て50名ほどが集まってくれました。
葬儀も制限を設けず、時間の許す方には本堂に入って参列いただきました。
そろそろ、コロナ前の形態に戻したいという思いもありました。

人は、家族だけで生きてきたわけではないので、ご縁がありお世話になった方々に、一人ひとりお礼を述べてお別れしたいというのが旅立つ人の願いだと思います。その願いを汲み取って故人になり代わりその場を設けるのが遺族の務めだと思うのです。
全てとは言えないでしょうが、多くの方々に弔問においでいただき、顔を見ていただける方には母の顔を拝んでいただいてお別れすることができました。
「生きている時より美人だ」とお褒めの言葉をいただき、母も喜んで?いたと思います。

先週のブログをご覧になった多くの方からお悔やみのお言葉を頂戴し、恐縮にもありがたく思いました。
こういう時に、お言葉の一つもかけていただくことがこんなにもうれしいのかと思いました。
自分はそういうひと手間に無頓着、不精だったとひとしきり反省。
今後はそのお返しをしていきたいと思います。

子どもの頃、母の日に姉と二人で贈った記憶があるサトウハチローの詩集『おかあさん』が手元にあります。
その中から一篇

 『母を慕う』
 母を慕う
 わが心 すなおなり
 母にそむく
 わが心 いがむなり
 このふたつ
 いつも母の姿につながり
 からみあいて この年までつづきぬ
 あわれにしておかし


さて、今日は郡内寺院の晋山結制があります。
その後法事を1件勤め上京。明日から5日間布教師養成所です。
終ってそのまま新潟へ。友人の寺の400年祭と晋山退董式に呼ばれています。
母との思い出を抱いて出かけてきます。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


サンサンラジオ387 母の死

2022年10月16日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第387回。10月16日、日曜日。

12日、母親が亡くなりました。
娘二人が相次いで里帰り出産することから、母親はお盆前に施設にお願いしていました。
12日夕方4時過ぎ、「病院に搬送したので来て欲しい」との連絡を受け救急室に行ってみると施設の方4人が待っていてくれました。
このところ施設内でコロナ感染が発生し、ホールでみんなと一緒に食事ができなくなり、部屋での介護食事となっていました。
食が細くなり、微熱もありましたが感染症の検査は陰性でした。
時折呼吸が粗くなることもあるので様子を見ていました。お昼ご飯を食べ、午後の巡回の際も気をつけていました。
3回目の巡回の時、様子が変だと思い、病院に救急搬送しました。今心臓マッサージを施していますと。
心臓マッサージって何?何があったの?分からないまま担当医の説明を受けました。
それによると、4時5分から10分頃に搬送されてきた時には既に心配停止状態でした。
すぐに蘇生処置を施しましたが今のところ心臓も呼吸も戻っていません。
20分経過をし、このまま続けても戻る可能性はないと思います。たとえ戻ったとしても、元に戻ることはありません。蘇生処置を停止してもいいでしょうか。
説明は良く分かりました。「了解しました」。
念のためPCR検査をし、死因判断のためCT検査もしてからお会いしていただきます。
その全てが終わり、医師の説明がありました。
コロナ感染はありませんでした。CTの画像を見る限り脳にも肺にも他の臓器にも死因と思われる所見はありませんでした。老衰という他はありません。
ということで、4時45分に死亡確認されました。
何が何だか分からないまま、母は突然に逝ってしまいました。
昨日葬儀を終えました。
母は昭和9年2月7日生まれで、満88歳数え89歳でした。
19歳の時に松林寺17世に嫁ぎ、以来ちょうど70年、この寺で過ごしました。
檀家の皆様、地域の皆様、保育所関係の皆様お一人お一人にお世話になり楽しい人生を送ることができました。
ご縁のあった全ての皆様に、母になり代わり御礼を申し上げます。ありがとうございました。
余りの突然のことで、事実に感情がついてきていません。
泣き虫の私が、まだ1滴の涙も流れてきません。
じっくりと時間をかけて、しっかり受けてめていきたいと思います。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンサンラジオ386 時間をつぶす

2022年10月09日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第386回。10月9日、日曜日。

急に寒くなりました。
本堂の気温10度がこんなに寒く感じるんだと、ぬくぬく生活した体には初めて経験したような驚きを感じます。
徐々にこの気温に慣れていかなければなりません。

今年度の酒造りの概要が決まりました。
先月稲刈りした酒米出羽燦燦の数量が2,430㎏。
それを50%に磨き、1,215㎏。
これに水を加えて醸造すると、約2400ℓの原酒ができます。
それに割水、アルコール度数を調整して、720ml瓶に詰めると3,900本ぐらいになるはずです。
今年は、その内の500本程を割水しないで「生原酒」として出してみたいと思います。
11月1日、先行予約販売を開始します。こちらは、生原酒と生酒の2本セットでの販売です。
生原酒はこの先行予約のみの限定販売となります。生原酒を試してみたい方は予約販売を申し込んでください。
仕込みは11月末頃からで、まずは酒母を造り、2週間ほどかけて酛(もと)を育てます。
12月10日頃から、できた酛に米と水を3回に分けて投入する、いわゆる三段仕込みとなります。
そして、1月10日頃搾り、瓶詰めしてそのまま出すのが「生」、湯煎して発酵を止めて出すのが「火入れ」となります。
なので、一般販売は本年同様来年1月20日頃になります。
昨年度は1,058本が5日間で完売してしまい、手に入らない方が多くいました。
また、飲食店と旅館に置いてもらい「飲みたい方は最上町に来て」という計画でしたが、そちらまで回りませんでした。
なので、今年度は多くの方に楽しんでもらいたいと思います。
先行予約の申し込み方法についてはこちらでもお知らせしていきますが、もう少しお待ちください。

今の人たちは、ぼんやりものを考える時間というのがなくなって来ているのではないでしょうか。
誰かのことを慮ったり、過去を振り返ったり、人生を考えたり、物思いに耽る時間がないように思います。
その時間を奪ったのは、おそらくスマホです。
スマホ、それがスマートフォンの略語であれば「スマフォ」のはずですが、何故か「スマホ」といういかにも日本語っぽい略語。
電車の中や、待合室、ラーメンが来るまでの待ち時間にスマホを使っていない人が珍しいほど。
それもきっと、ほとんどは、どうしてもやらなければならない急用の仕事などではなく、単に時間つぶしのゲームか何かでしょう。
スマホは時間つぶしにとってはこれ以上ない最強のツールです。
その中から何か探して遊ぶというよりも、これはどう?これもどう?と、遊びを誘ってきて、選ぶのに頭を悩ませるほどです。
なので、暇つぶしに遊んでいるのか、遊ぶために暇を作っているのか、分からなくなっているのではないでしょうか。
しかもそれは、ほとんど全てが宣伝広告のための誘いであり、広告に遊ばされていると言っても過言ではありません。
そんな状況ですから、スマホを手にすれば、ぼんやり物思いに耽る時間などありようがありません。
それでいいのか、と思います。
深い悲しみの中にあり、一瞬でも忘れられたらどんなに楽か、というような時に、何も考えなくても済むものに没頭するという救いがあるかもしれません。
しかし、それ以外はそれでいいのかと。
哲学も文学も人を思う心も、思索から始まると思います。
ぼんやりする時間、暇な時間が人間を深くしていくのではないかと思うのです。
その大事な時間を「つぶして」しまうことのもったいなさはないのでしょうか。
スマホは、一旦手にしてしまえばなかなか手放せなくなることは自らが実証済みです。
中毒のようなスマホ依存症から抜け出すのはそう簡単ではないでしょう。
解決方法を誰かに期待しても詮無きことです。もうそういう世の中になってしまいました。
自分で何とかしないと、自分自身が薄っぺらな深みのない人間になってしまいます。

坐禅は、「無念無想」などと言いますが、そんなことは無理です。
坐っていても頭の中はすごい勢いで動いています。
次から次へと思いが浮かんできては消えていきます。
それは、頭の中が暇だからです。色んな妄想が自由自在に縦横無尽に往来して留まることがありません。
留まらないことが水の流れのようで、有るとも言え無いとも言えます。
頭の中をゲームなどに支配されて自由を奪われてしまうのはつまらないことです。
時折、頭を暇にして自由に開放することはできるのです。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。



サンサンラジオ385 天地いっぱい

2022年09月29日 14時42分46秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第385回。10月2日、日曜日。

10月に入りました。本格的な秋ということでしょうか。
田んぼでは今を盛りと稲刈りが行われています。
無事に実りの秋収穫の秋を迎えられることは、農村にとって何よりの安堵と喜びを感じることです。
最上の地酒を創る会の酒米も29日、無事に刈り取りが終わりました。収量は2430㎏でした。
乾燥し、精米所に運ばれ、50%に磨かれて酒蔵に届けられます。
最上の水が米と出会って得も言われぬ甘露水に変わります。今から1月の完成が楽しみです。

昨日は宿用院の開山500年記念法要でした。
宿用院の前身である耕雲寺は、1394年に普済善救禅師によって開かれたとされ、平成5年に600年祭を行いました。
禅師は全国各地を巡錫された人で、禅師が去った耕雲寺はすぐに荒廃してしまいました。
それから数えること129年後の1523年、禅師から数えて7代目にあたる通山長徹大和尚が、禅師の跡を慕って新潟柏崎香積寺からやって来て、耕雲寺を改め宿用院としたとされています。
なので、宿用院の本寺を香積寺としています。昨日は御本寺様においでいただいて導師を勤めていただきました。
経ること現住が40世となりますが、これまでの500年を、開創600年の時にまとめた資料で改めて振り返ってみると、色々なことがあったことが分かります。
1670年ごろ、16世代に平田山から現在地へ移転、その時の再興開基家をめぐる時代背景。
1816年、28世代に本堂再建。
1866年、苦労して再建した伽藍が、50年後に民家405軒、寺社12軒を焼く谷地の大火によって焼失。
明治16年、32世代、その本堂を再建するために、廃仏毀釈で困窮していた慈恩寺の伽藍の半分を買ってきて建てたこと。
明治34年、34世代、大火に遭った梵鐘を再鋳する際、近郷近在の人々が金銀飾り物を競うように炉に投げ入れたこと。
昭和17年、その梵鐘が、戦争によって応召されたこと。昭和37年、38世代にさらに鋳造されたこと等など。
その間に飢饉に見舞われたこともありました。戊辰戦争の影響を受けたこともありました。
歴代の住職と檀家が、苦労しながら、力を合わせてこの寺を維持してきたことが偲ばれます。
昨日はそんな話を交えて法話をさせていただきました。

人は、その時その時で精一杯生きています。
精一杯と言っても、こぶしを握り締めて力の限りということではなく、頑張るとか頑張らないとかにかかわらず、生きている今その瞬間がありのままに精一杯の姿なのだということです。
花も昆虫も鳥も魚も動物も、精一杯でない命はありません。
天地いっぱいの命を輝かせているという言い方の方がいいのでしょう。
人間もその通りです。
生まれたばかりの赤ん坊が「おぎゃあ」と泣くのは、そのままで天地いっぱいの命を輝かせている姿です。
ウソもマコトもありません。善も悪も、キレイもキタナイもありません。あるがままです。
「二見にわたる」という言い方をしますが、ものごとを二つに分けて見ようとする心が人間にはあって、シロクロはっきりさせたがりです。
しかし、それが争いや分断、差別の原因ともなります。
天地いっぱい輝かせている、善悪も浄不浄もない命を、勝手に色分けして優劣をつける見方が分断を生むのです。
お釈迦様はその見方を離れることを教えています。
花は、善悪も浄不浄もなく、ただ咲いているだけです。
「今日の自分は本来の自分ではない」とか、「あの人は本当はすごいんです」とか言いますが、本当の自分は今ここの自分しかありません。
昨日は昨日で精一杯、今日は今日で精一杯。それ以外に本当の自分などないのです。
それは、相手の人々も同じ、今目の前にある存在だけが本物です。
家で横になって尻を掻きながらテレビを観ているのもその時の精一杯です。
「いつまでゴロゴロしているの!」と叱られれば、「今オレは精一杯輝いてゴロゴロしているんだ」と言えばいいし、そう言われれば、「私は今、天地いっぱいの命を輝かせてあなたを叱っているんだ」と言い返せばいいでしょう。
過去を引きずらず、未来に引きずらずに、今を精一杯と受け止めれば、互いにカラッとして応対できるのではないでしょうか。
秋晴れの青空のように、澄んだ目で今を生きようじゃありませんか。
限りある命、くすんだ目で見て過ごしてはもったいないことです。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。





サンサンラジオ384 十の誓願

2022年09月25日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第384回。9月25日、日曜日。

彼岸に合わせたわけではないと思いますが、急に涼しくなりました。
その直前まで蒸し暑かったのに、寒暖の差に体が驚いています。
心配された台風は当地においてはほとんど被害がありませんでした。
今週は酒米の稲刈りがあります。何とか無事に収穫できますように。

大相撲は本日が千秋楽です。
横綱大関のふがいなさに比べて平幕の力士の活躍が目を引きました。
玉鷲、翔猿、高安、北勝富士、宇良、錦富士、若元春、翠富士などなど。
郷土ゆかりの琴の若も勝ち越しを決めましたが、来場所の三役昇進は微妙な感じです。
来場所も楽しみです。

来月9・10日、川西町高徳寺さんで因脈会が勤修されます。
内容の意味は授戒会とほぼ同じですが、二日間に縮めて勤めることから「因脈会」と呼ばれます。
その説戒の役を頂戴していて、しばらく前からその原稿に頭を痛めています。
色んな本や資料を読み込んだりして勉強にもなりました。
こういう機会をいただかないとまとまって一つのことを学ぶこともなくなりました。
仏教の戒律は、上座部仏教いわゆる小乗仏教と呼ばれる仏教では、僧侶の戒律は250戒とされます。
「戒」とは、僧自らの戒めとして保つもので、「信」と同じと言ってもいいでしょう。
「律」は、僧が集団で生活する中で修行の妨げとなる行為を規制するルールのことです。「随犯随制(ずいぼんずいせい)」と言って、日常の中で実際に起こった不具合を「それはやめましょう」と決めていったというものです。
大乗仏教の大乗菩薩戒は十重四十八軽戒ですが、曹洞宗では「十六条の仏戒」としています。
それは、三帰戒、三聚浄戒、十重禁戒を合わせての十六条戒です。
これを例えて言うと、三帰戒は樹木の根っこで、三聚浄戒は幹、十重禁戒は枝葉にあてることができます。
根は大地をしっかりととらえ、水や養分を吸い上げ幹を支えます。
幹は枝葉を支え、根が吸い上げた養分を枝葉に届けます。
枝葉は太陽の光を受け、それを栄養に変えて幹と根を育てます。
根と幹と枝葉が一体となって、樹木を成しているのです。
それと同じように、三帰戒つまり帰依仏、帰依法、帰依僧が信としてしっかりとしていなければ、その他の戒は立ち上がっていきません。
逆に言うと、三帰戒が確立していれば、三聚浄戒も十重禁戒もできていると言ってもいいほどです。
この三帰依を戒律の中に含めたことが道元禅師の特色だと言われます。
三聚浄戒とは、摂律儀戒、摂善法戒、摂衆生戒の三つですが、訳して言えば、人の道・仏の道を守ることを喜びとし、善い行いをすることを喜びとし、人が喜ぶことを我が喜びとします、ということです。
いわば、戒の理念をまとめたものです。
そこから枝葉のように十重禁戒が伸びていきます。具体的な行動規範です。
それを私は「十の誓願」として展開しました。
十の誓願(仏教徒ですから)
 一、命を傷つけたり無駄にしません 仏教徒ですから
 二、与えられないものを盗んだりしません 仏教徒ですから
 三、道に反する淫らなことはしません 仏教徒ですから
 四、ウソをついたりだましたりしません 仏教徒ですから
 五、酒を呑んで不快な思いをさせません 仏教徒ですから
 六、ひとの過ちを言いふらしたりしません 仏教徒ですから
 七、自慢話と悪口や陰口を言いません 仏教徒ですから
 八、施しを渋ったり惜しんだりしません 仏教徒ですから
 九、怒りで自分を見失ったりしません 仏教徒ですから
 十、仏と仏の教えと仏教徒を信じます 仏教徒ですから
というものです。
「ですから」というのは、「私はイスラム教徒ですからお酒は飲みません、豚肉は食べません」と言う、「私はヒンズー教徒ですから牛肉は食べません」と言う、では仏教徒は何をもって仏教徒だと言えるのかと考えていて、こういう言い方をしてみたものです。
自分は仏教徒であると自覚し、だからこういう生き方をするのだという指針を確立したいものです。
戒律を心で思っているだけでは仏教徒ではありません。
具体的に仏教徒としての行為を為した時が仏教徒なのです。
そして、十重禁戒の実行が信としての三帰戒をさらに確立していくのです。
そのように、十六条戒が大樹となり、その木陰に人や動物や昆虫が集い、心安らぎ、花を愛で、実を楽しんでいくのです。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンサンラジオ383 welcome!

2022年09月18日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第383回。9月18日、日曜日。

世の中は連休中のようですね。
台風が近づいているようです。刈り入れ直前の稲に被害がなければいいがと気にかかっています。

唐突ですが、私のお気に入りの石鹸はカネヨの「レモン石鹸」です。
そう、あの学校の手洗い場にミカンのネットに入っていたアレです。
きっかけは、布教の旅で泊まった宿の風呂場で使ったことでした。
最初、さすがに躊躇しました「これで体洗うの?」。
それ以外石鹸らしきものはなく、それは体を洗うために用意されているものなのだろうと使うことにしました。
使ってみると、泡立ちが良く、なのに泡切れも良く、香りが良い。
はまってしまいました。あれから何年かこればかり使っています。
ボディソープなどで嫌いなのは泡切れが良くないヤツ。
シャワーで何度流してもいつまでもヌルヌルするようなのは気持ちがスッキリしません。
私にとって、泡立ち以上に大事なのが泡切れです。
その点レモン石鹼は、どちらもいいのです。しかも値段が安い!
ネットで取り寄せていますが、一袋8個入って260円。1個32.5円!
ネットでも「手洗い用」とあります。体洗い用とは書いていません。
しかし、もちろんシャンプーは必要ないので、頭からつま先までこれ一つで間に合っています。
「顔がつらないか?」などと心配されますが、元々脂っぽいのでちょうどいいのだと思います。
脂性の人は使ってみてください。一度使ったらとりこになると思いますよ。

15日木曜日、最上の地酒を創る会、今年度第1回目の全体会議を開きました。
酒米出羽燦燦の作付面積は4反5畝。収量予測は36俵、2160㎏。50%精米して、昨年の3倍強の2500ℓの製造を目指します。
今年は生原酒(火入れも割水もしない搾ったそのまま)も造ることになり、生酒との2本セットで先行予約販売限定で販売します。
予約受付は11月1日から、最上町の酒販店、およびFAX・ネットで受付いたします。
値段等、詳細が決まりましたら広報する予定です。
今年は、飲食店や温泉旅館にも置いてもらえるよう手配します。
飲みたければ最上町へ、買いたければ最上町へという当初の計画でしたが、昨年度はどんな酒ができるのか分からず試験製造のような量しか造りませんでした。
その結果、あっという間に完売してしまい、店への営業もできなかったのです。
今年はある程度余裕があると思うので、多くの人に楽しんでもらえるよう営業にも力を入れるつもりです。
なにしろ、昨年の味が良かったので、「また飲みたい」というリピーターが買い求めてくれるはずです。
昨年味わえなかった方も、ぜひ今年はどうぞ。
お申し込みをお待ちしています。welcome!

3週間前に長女に第1子が誕生しましたが、木曜日15日には次女の第2子が無事誕生しました。
こちらも男児で、「陽向(ひなた)」と命名されました。5人目の孫です。
おぼろげな眼差しで、小さな掌を動かして、何かをつかもうとしています。
それは、希望か、夢か、幸せか。
自由に腕を動かして自分でつかめるよう、大人は環境を調えなくてはなりません。
与えるよりも邪魔をしないこと。
転ばないよりも立ち上がる勇気と方法を。
人を信頼できる信念を。
虚空の中からつかみ取れたらいいですね。
ただ現実の社会はきれいな物ばかりではありません。
見たくないものも目に入り、つかみたくないものをつかまされたりすることもあるでしょう。
それでも、初めてつかんだ指の温もり、初めて見えた人を信じてその温かさを覚えていれば、その中から大事なものを見失うことはないように思います。
あなたの命の使い方を決めるのはあなた自身です。
思わず掲示板に、中島みゆきの『誕生』の一節を書きました。

 わたしいつでも あなたに言う
 生まれてくれて welcome!


welcome!welcome!
わずかの間共に生きていきましょう!

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンサンラジオ382 軍配の行方

2022年09月11日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第382回。9月11日、日曜日。

今週もあっという間に経ってしまいました。
つるべ落としのような1週間です。

7~8日、友人の父親の49日納骨法要で上京しました。
以前から感じていたことでしたが、東京の人はどうしてこんなに足が速いのか。
置いてきぼり感の距離が以前より広がったと感じました。年齢に比例するのでしょう。
都会は、電車の乗り継ぎにも距離があり、階段の上り下りはあり、田舎の人よりずっとずっと歩いていますね。
田舎で歩いている人はほとんど見かけません。
コンビニに行くのも車、病院に行くのも送迎付きのところもあります。
小学生中学生は統合により送迎バスになりました。
不便なだけに歩かなくて済むという感じです。
このままで大丈夫なのだろうかと我ながら心配になります。
都会より田舎の人の方が平均寿命が高いように感じていますが、それは今の80代90代の人たちが体を使い鍛えてきたからであって、60代以下の人たちの寿命はきっと低下するだろうと思います。
ただ違うのは、やはり都会に暮らす人たちの方がストレスは多いのではないかと感じることです。
人の多さ、騒音、目に映るものの数、スピード、それらはストレスを招くのではないかと思われます。
運動量とストレスと、果たしてどちらに軍配が上がるのか、今後の推移が気になるところです。

友人の妻女がファイナンシャルプランナーをやっていて、道々その話をしていました。
いわゆる資産運用のお手伝いをするという仕事です。
彼曰く「金持ちはどこまでも金持ちになり、貧乏人はいつまでも貧乏人のままだよ」。
資産運用は、余裕のある資産があるからできるのであり、簡単に言えば、高額の貯金をしていれば利息も大きくなるのと同じで、投資する額が大きければ大きいほど運用の利益は大きくなります。
もちろん、リスクはありますが、リスクを考えてもできる余裕があるということでもあります。
一方、毎日食べるのに精一杯の人に余裕のある資産などあろうはずがありません。
彼の言うように、生活に余裕のない人に金持ちになる可能性は限りなく少なく、金持ちの人がもっと金持ちになる可能性は限りなく高い、ということなのでしょう。
それが今この国の現実のように見えます。
贈賄だの収賄だのという話は貧乏人には縁のない話です。
逆に、金のために人を殺めてしまったり、金に目がくらんでしまう事件の多いことの原因が、格差による焦りにあるようにも感じます。格差はどんどん広がっているのだと思います。
「一億総中流」と言われた時代がありましたが懐かしい響きです。
みんなが同じレベルだと思える時焦りは感じません。取り残されるという恐れが焦りとなります。
「貧しくしてへつらわざるはあれども、富みておごらざるはなし」と言われる通り、豊かな人のおごりがこの国を悪い方向に傾けているように思えてなりません。
道元禅師の言葉「布施というはむさぼらざるなり、むさぼらずというは、よのなかにいうへつらわざるなり」。
政治家のむさぼりとへつらいは目に余るものがあります。おごりのなせる業でしょう。

今日から大相撲が始まります。
佐渡ケ嶽部屋の後援会に入っているので、部屋の力士の活躍が気になります。
先場所は部屋でコロナ感染者が出たために全力士が途中休場になってしまいました。
それにより負け越しても現状維持の救済処置がとられたようで、大きく番付を下げることはありませんでした。
相撲の世界は実に厳しく、全て成績によって浮き沈みが決まります。へつらいはありません。
あの体で裸同然でぶつかり合うのですから、当然ケガも多く、それによって相撲人生から脱落する力士がなんと多いことか。
そんな中で、大けがで大関から序二段まで落ちながら、くさらず諦めず力をつけて横綱まで上り詰めた照ノ富士、そして宇良。
彼らの心の強さと努力には敬意を表すばかりです。
他の格闘技のように体重のクラス分けがない相撲界。それでも、必ず大きい方が勝つとは限らないのが相撲の面白いところ。
今場所の幕ノ内で最も軽量なのが照強の107㎏、最重量が逸ノ城の212㎏。その差何と105㎏。
照強からすれば、自分の倍近い相手とぶつかるわけなのでまともに当たっては勝ち目はありません。小兵力士には技で勝負する以外ありません。
この二人、番付が離れているので今場所当たる可能性は低いですが、どうしても小さい力士の方にひいき目になるのは判官びいきということなのでしょう。
全ての取り組みにどちらに軍配が上がるのか目が離せません。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンサンラジオ381 今週の出会い

2022年09月04日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第380回。9月4日、日曜日。

加速度的に経つのが早くなる「時」。
もう日曜日です。そして9月です。
毎年のことですが、今年も三重県の東正寺様から新米が届きました。
日曜学校の子どもたちと田植え稲刈りした貴重なお米です。謹んでいただきます。
鳥取からは梨が届きました。こちらも梅翁寺様が毎年送ってくださいます。梨は好物ですので楽しんでいただきます。
一気に秋が来たような感じです。

2日金曜日、同志社大学の学生がいらっしゃいました。初対面です。
彼、星山君は、7年前佐賀県の中学校の生徒会長でした。
東日本大震災からの5年目を期に「震災を忘れない」という意図の展示会を企画しました。
震災関係の本や資料を漁る中で『ご先祖様も被災した』という本に出てくる「まけない!タオル」を読んだそうで、「資料をいただけませんか」と手紙が来ました。もちろん喜んでいくつか見繕って送りました。企画は成功したようです。
そういうご縁でした。
以来、そのことはすっかり忘れていましたが、先月また手紙をいただいて、「大学に入ったら東北を巡ってみたい、その際三部さんの寺にも訪ねてみたいと思っていましたがコロナになり断念していました。4年生になりこれがラストチャンスだと意を決して出かけることにしました。お邪魔していいでしょうか」という内容でした。
それはもちろんいいに決まっています。
わざわざ京都から訪ねて来てくれるのです。うれしいじゃないですか。
宮城、岩手を回って、秋田から列車を乗り継いで立小路駅にさわやかな青年が降り立ちました。
「青春18きっぷ」で旅してるようです。
本尊様へのお供え物も準備して、若いけれどもしっかりしています。
奈良の薬師寺、唐招提寺様へ時折奉仕として出仕しているようで、仏教の知識も常識も備えていました。
このブログも覗いてくれているようで、私のことも良く知っていてくれました。
「ずっとお会いしたかった」などと言われれば、うれしくてべらべらしゃべってしまいました。
同じ方向を向いていることが分かるので、話はどんどん充実、深くまで入っていきました。
こんな若者と出会えて語り合うことができることは真に有難いことです。
これをしてみたい、あれをやってみたい、という思いはあっても、実際に行動に移すのはまた別のハードルだと言ってもいいでしょう。
星山君にとっては、中学生の時の思い切って手紙を書くという行為が色んな出会いにつながったと思います。
「三部さんに会いたいと思わなければ今回の旅をしたいとも思わなかったでしょう」と。
その一本の手紙から私も貴重な出会いをいただきました。
青年はさわやかな笑顔を残して車上の人となりました。

更に昨日は、宮城県白石市から農事組合の方々15人ほどが寺にやってきました。
縁あって、最上町で活動している人の話を聴きたいという視察の一つとのこと。
酒造りの話を中心に映像を見ながら話をさせていただきました。
活発に質問も出て、和やかな会となりました。
「山と水と、」を100本、予約の予約をいただきました。
こちらも今後縁がつながればいいですね。

29日、私にとっては4番目の孫となる長女の子が生まれました。
予定日より10日ほど遅れましたが無事にこの世に誕生してくれました。
昨日退院して寺にやってきました。
男児だと分かっていたので二人で名前を考えていたようです。
なので、生まれる前から「照(てる)くん」と呼んでいました。
「光に照らされる人生を歩んでもらいたい想い、みんなを明るく照らしてくれる存在になってもらいたいという想いです」と、込める想いを親は語っています。
その通りに、既に生まれただけで、周りを明るく照らしてくれています。
孫を迎える前にと、ジジババは念のためPCR検査を受けました。
お陰様で陰性判定でホッとしました。
ただ、カミさんはその副反応が出て体がダルイようです。
私と言えば、4回ともそれらしい反応はほとんどありませんでした。それは効いてないのじゃないかという噂もありますが、ニブイということもあるかもしれません。
そんな私をも蚊は刺して、「喰われた」と言うとカミさんは「あんたをよく喰うね。マズそうだと思わないのかな」と、蚊よりも鋭く刺してきます。
「おそらく、全体は見えてないんじゃないか」と思いながら何も言い返せませんでした。
まあ、蚊も含めて、色んな出会いがあった1週間でした。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。