最上町在住の人なら誰でも知っている松尾芭蕉の俳句「蚤虱馬の尿する枕もと」が詠まれたのは、県境堺田の封人の家。
人馬が一つ屋で暮らす姿を詠ったものとされるが、その前日通った関所「尿前の関」の珍しい地名に影響されたという説もある。
さて、尿前。これでシトマエと読むが、実に変わった地名だ。
現在の国道47号線沿いには源の義経一行の伝説が数多く残り、地名などにも伝説との関連が伝えられている。
温泉場の瀬見や鳴子もその一例だが、実は尿前にも、伝説はある。
亀割峠で出産した北の方静御前は、瀬見温泉で産湯を使い、旅を続けた。しかし、国境の山中で産後の腹痛に襲われ、動けなくなってしまった。その時一羽の山鳩がイカリ草をくわえて舞い下りた。北の方がそれを口に含むとたちどころに痛みは止んだ。山鳩が飛び去った跡を見ると見たことのない薬師如来があったので、義経は弁慶に命じて薬師如来堂を建てさせて祀った。北の方は痛みのあまり尿を漏らしていた。それで「尿前」・・・
伝説というのはこのようなもので、ほほえましいと言えばそれまでだが、文字の関係であまりきれいな伝説にはならなかったのだろう。
アイヌ語でシトマエを読むと、「シットマイ」が考えられる。シットは川や路の曲がり角で、オマイは「~があるところ」というアイヌ語の地名によくみられる言葉だ。尿前の地形は、丁度大谷川が大きくカーブしている所でもあるので、「曲がった川のあるところ」という意味ではないだろうか。
似たような地名には、志戸前、志登米等がある。
しかし、なぜ「尿前」という微妙な字をあてたのか、興味ののこる地名ではある。
念のため、芭蕉の俳句の方は、「尿」と書いて「バリ」と読むようである。