皆さんにはこんなことはないだろうか。
一つの言葉やある音楽によって、普段眠っていた記憶がよみがえってくることが。
釣り堀で思いもよらず池の奥に潜んでいる魚を釣り上げたような。
私は時折これで悩まされる。思い出したくない、誰にも思い出されたくない、忘れてしまったはずの自分の嫌な思い出が、不意に何かのキーワードで釣り上げられてしまう。
釣り上げてその顔を見るとゾッとして、目をつぶり頭を振って振りはらわなければならない。手元に引き寄せて顔を見る前に、キャッチアンドリリースするのだけど、一度釣り上げた魚はすぐには底に沈んでいかず、ゆらゆらとこれ見よがしに顔を見せながら漂っている。あろうことか、別の嫌な顔の魚までつられて浮き上がってくる。嫌だ嫌だと更に大きく頭を振らなければならない。
あの時の自分をみんな忘れてくれたろうか、それとも時々思い出して嫌な奴だと笑っているのだろうか。
しかし、記憶の池に眠っているのは、どれもこれも自分のなしたことであり、間違いのない事実ばかりだ。いくら頭を振っても過去を消すことはできない。また何かのキーワードで何度でも釣り上げてしまうだろう。そこからは逃げられない。
過去はいい、過去は仕方がない。
問題は、今日、今だ。
今日もまた一つ嫌な顔の魚を生んでしまったのではないだろうか。
あれほど嫌だと思っている記憶を今日もまた残してしまったのではないだろうか。そのことを問うべきだろう。
池の中には心地よい顔の魚も泳いでいて、時にはそれらも釣り上げているのだろうが、心地いいせいかあまり記憶に残らない。嫌だという思いが強烈なだけに、思いがけずに浮き上がってくる深海魚の不気味な顔に恐れをなしてしまうのだ。
分かった、分かった、全部自分が生んだ子供ばかりだ。責任は全部自分にある。だけど、頼むから、どうか静かに底の方で眠っていてくれないか。