選挙で勝つためには相手候補を落とさなければならないとしても、相手の非をあげつらい、マイナスを並べるのは如何なものか。
目的はこの国をよくするための選択であり、そのために人を選ぶのであるから、お互いに相手のマイナスを披露し合うのが国のためとは思えない。
同じことは家族の中でも言えることで、夫婦、親子が相手の悪い点を並べ合ったからといって、家族が崩壊することはあってもよくなることはないだろう。
相手の欠点を指摘して、更正を促すということはあるかもしれないが、マイナスは誰にでもあるのだから、自分の非を指摘されれば、どうしても相手の非も指摘したくなり、マイナスの数え合いになってしまうだろう。せっかくのプラスまでつぶされてしまう。
「他の人の間違いを見て、いけないと思い、慈悲をもって教化しようと思ったら、相手の人が腹を立てないように手段をめぐらして、他のことを言うようにして、教え導くのである」
道元禅師の修行道場においてもこのようであるのだから、一般社会においてはなおのこと、相手の気持ちを測りながらものを言う必要があるだろう。
家族の中での勝った負けたという勝負は全くの無意味だ。
今朝、家内と小競り合いをしてしまった反省を込めて。