なあむ

やどかり和尚の考えたこと

ヤマザキ米粉之パンを焼け

2009年09月18日 13時43分41秒 | 今日のありがとう

昨年河北町環境を考える会のキャンドルナイト、そして松林寺集中講座においでいただいた影法師のメンバーが発行する会報「ひなた村報 あそべ」が来ました。

  「村」がつくる米「さわのはな」「さちわたし」、「花作大根」、「行者菜」、枝豆「馬のかみしめ」などの情報と、秋の行事予定などが掲載されています。

そして、影法師の歌の解説として「『ヤマザキ、米粉のパンを焼け!』解題」という記事が目を引きました。

Dsc01297_2田園まさに 荒れなんとす

美しき彼の国 今はいずこへ

米を見捨てて 国滅ぶ前に

ヤマザキ やって欲しいことがある

ヤマザキ 日本(ヤマト)の魂籠めて

ヤマザキ 米粉のパンを焼け

さすれば戦後レジームは崩れ

瑞穂の国が 甦るだろう

「進駐軍は、将来を担う人づくりの拠点となる学校制度を充実させる一貫として、学校給食の復活を日本政府に迫った。」

「『おお、アメリカはなんと慈悲深い国であろうか!』などと思ってはならない。そこには、自国の余剰農産物を如何に他国に売りさばくかという、アメリカの深遠なる食糧戦略が秘められていたのだ。」

「戦略は的中した。学校給食が完全実施されてからわずか20年、昭和44年頃から米が余り出し、昭和46年、政府は本格的な生産調整、減反政策に乗り出す。」

「ただ、戒めておきたいのは、日本の農業を大事と思うがあまり、戦前の農本主義者のように、ナショナリズムに陥ってはならないということだ。ナショナリズムは戦争の引き金を引く。グローバリズムに対抗しうるのは、断じてナショナリズムではない。対抗軸は、おそらく、国よりも根本にある水土に根ざしたネイティブな思想であろうと考える。」

以上、長くなりましたが記事の一部を引用させていただきました。

しっかりした思想を持ち、自ら作物を作りながら、農業の喜びと怒りを「歌」という伝達手段で人々に伝えている影法師、そんな人たちが私たちの近くにいることを喜びとします。


境界線上の言葉 15

2009年09月18日 12時50分14秒 | 境界線上のことば

呼び方の変化した固有名詞には食品が多くあるように思います。

元々外来食品であったものが日本語化して呼び習わされてきて、外国語が一般化されてくるにしたがい、元の呼び方に戻っていく、というような例です。

1g17a 「たまな」→「キャベツ」などが典型的な例で、「にどいも」「ごしょいも」→「ジャガイモ」などもそれに似た例でしょうか。

また、田舎特有の呼び名が、標準語というか、都会的な呼び方に変わっていくという例もあります。

「いものご」→「里芋」、「とっきび」→「トウモロコシ」、「ととろいも」→「山芋」など、何故か芋類が多いようですが、加工食品では「きりごみ」→「塩辛」、「なんば(っこ)」→「唐辛子」なども標準化した例です。

今の「塩辛」は昔の「きりごみ」の味しねえ、などと、呼び名に味が染みついているなどということもあるでしょう。

呼び方とともに、味や調理の仕方も変化していくのかもしれません。