なあむ

やどかり和尚の考えたこと

蛍節童女

2010年08月22日 20時58分49秒 | 宿用院

テレビではじめて「火垂るの墓」を観たのは今から20年ほど前でしょうか。

ストーリーの悲しさは、「ひまわり」や「砂の器」にも匹敵しました。

父を戦争で失い、母を病気で失った兄妹が、戦火の中でけなげに生きていく物語ですが、その妹、節子、の哀れさに胸が痛くなりました。

不憫で不憫で、しばらくは頭から離れませんでした。

池の畔で水に映った自分とあいこのじゃんけんを繰り返す節子。

栄養失調で下痢をする節子。

ドロップの缶に水を入れて味わう節子。

おはじきをドロップだと思ってなめながら死ぬ節子。

せつこーーー!

せつこーーー!

私は時折、節子の名前を呼んで涙を流します。

戦争で同じような思いをして亡くなったであろう多くの子どもたちのことを思い、代表して節子に戒名をつけました。

「蛍節童女」。

寺の法要や、永平寺や山寺に参拝した折りには、この戒名で供養を行ってきました。

明日は宿用院の夜の施食会です。また、供養をしようと思っています。

こどもたちに、あんな悲しい思いをさせてはなりません。

あゝ、それにしても、大阪のおきざりのこどもは・・・・