5月5日、山形新聞に記事が載りました。
気仙沼の集会場再建にあたり、最上町の大木が大黒柱として贈られる、という記事です。
震災後、気仙沼と最上町は、色々な交流を展開してきました。
その元々のきっかけは、気仙沼の清涼院住職と私が友人だったということにあります。
震災後私が真っ先に向かったのは清涼院さんでした。
抱き合って無事を確認し、ささやかな支援が始まりました。
それが元で、シャンティ国際ボランティア会現地事務所の用地として境内をお借りすることになりました。
息子陽堂がこの事務所で2ヶ月間ボランティアする間、被災家族と家族ぐるみのつきあいが始まったのです。
その後、最上町の温泉リフレッシュプランに訪れた家族は、姉のグループとも交流がはじまり、それがきっかけで、気仙沼漁師による震災後はじめての、復活「大漁唄い込み」最上町公演が実現したのでした。
更に、そこで出会った「黒澤餅搗き唄保存会」のメンバーとの交流も始まり、つながりの輪は益々大きく強くなっていきました。
そして今回、気仙沼市本吉町前浜集会所再建の計画の中で、最上町との交流の証として、大黒柱になる大木をいただけないかという打診が義兄にあったのです。
それは光栄のことと、町の木を探している中で、100年の杉の大木を寄贈したいという人も現れ、黒澤の神社境内のこぶしの大木と合わせて、2本の木を気仙沼に贈ることになった、という記事なのです。
震災支援を縁として、山と海の民が市民レベルで交流することが、今後長期に亘って約束されたような出来事となりました。