昨日は、宿用院の東京のお檀家さんの一周忌に伺いました。
ご主人を亡くされたばかりの奥様とは心の交流が続いています。
居間でお茶をいただいていると一枚の写真に目がとまりました。
奥様が手作りされた人形の写真ですが、その構図には見覚えがありました。
「現物をお持ちしましょうか」ということで拝見することになりました。
それは、広島に原爆が投下された直後に、アメリカ人のジョー・オダネルという人が撮影した「焼き場に立つ少年」と題された写真をモチーフにしたものでした。
新聞記事の写真を見て、心を痛めた記憶があります。
既に息を引き取った弟を背中に負ぶい、直立不動で火葬を依頼する姿です。
きりっと結んだ唇が胸を刺します。
あの時、同じような境遇にあった子どもたちが数限りなくいたのだろうと思われます。
「火垂るの墓」のセツ子とその兄の姿がダブります。
更に奥様は、もう二体の人形をその脇に並べられました。
「その子がね、あまりにも不憫なので、命を与えました」と。
背中で亡くなった弟は、命を与えられ、少し成長して浴衣を着て、きれいな目を開いています。その隣には、少し身長が伸びたお兄ちゃんが寄り添っています。
「生きて欲しい、兄弟仲良く生きて欲しい」その願いが感じられ、胸が熱くなりました。
奥様の中で少年は、間違いなく生き続けます。兄弟仲良く成長していきます。
それを知った私の中でも、同じように生き続けることになります。
時代を超えて、人は人を生かすことができます。
それは不憫に思う心です。生きて欲しいという願いです。
その命は、決して同じ悲しい思いをさせてはならないという行動を、私たちに引き起こさせてくれるはずです。
人形のモチーフとして、この兄弟を取り上げられた奥様の感性に敬意を表します。