子どものころ「あぶらっこ」という言葉がありました。
子どもが遊ぶのは屋外であり、誰かと集団で遊ぶのが遊びというものだと思っていました。
遊び場には同年代ばかりでなく、大きな人も小さな人もいて、それらがまざって遊ぶものでした。反対にいうと、まざらなければ遊べないものでした。
小さいころ、大きな人と遊ぶのは怖いことであり、怒られないように、いじめられないように気を遣いながら遊んだと思います。もうそれは、社会でした。
そこで、年齢差のある子どもたちが同じ遊びをする場合、どうしてもまだ一人前(子どもとして)の仲間になれない小さな者は、「あぶらっこ」と呼ばれ、あぶらっこのルールが適用されるという決まりでした。
たとえば、野球の一塁ベースが少し近かったり、缶蹴りの鬼にはさせない、というような特別扱いをされるのがあぶらっこの存在でした。
それは子どもにとってうれしいことではなく、まだ一人前の子ども扱いされない惨めさを感じるものでした。
それでも、まぜてもらえなければ遊べないので、泣きながらでもついていくのでした。
ここで言いたいのは、あぶらっこ側の問題ではなく、どんな小さなものでも仲間はずれしないで一緒に遊ぶことになっていた「大人の」子ども社会のことです。
ルールを変えて特別扱いしても一緒に遊ぶ、という許容量の大きさが子ども社会にもありました。
もう少し以前には、福祉もましてやボランティアもありませんでした。
村社会は、村の仲間を社会の一員として仲間はずれしないで生きてきたので、福祉という隔離政策や、ボランティアのような「善行」が必要のない、「当たり前」のことでした。
「ボランティア」という言葉が日本語になりにくいのは、そういう概念すらこの国には必要なかったということだと思います。
もちろん、障がいや老人に対する対応が、必ずしも優しい社会ではなかったと思います。
でも、隔離せずに一緒に暮らしていれば、そういう人も社会にはいるのだということを知って育ったことは間違いありません。
福祉やボランティアという行為が声高に言われるのは、仲間はずれしない社会が崩壊した現れなのかもしれません。
SVAシャンティ国際ボランティア会の初代会長、松永然道現名誉会長が初期のころよく口にしていたのは、「我々は我々の団体が必要なくなるためにやっているんだ」という言葉でした。
けだし名言だと思います。
元々(本来の意味は若干違いますが)いわゆるボランティア活動は、非日常の状況での活動であり、日常的には、特別な人が特別な行為をしなくても、みんなが助け合って支え合っていける社会が本来であり、その社会の実現のために我々は行動しているのだ、という思いであったでしょう。
この地に、いつからあぶらっこがいなくなったのでしょうか。
この国に、ボランティアが必要のない社会をとりもどすのはもう無理なのでしょうね。