なあむ

やどかり和尚の考えたこと

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ47

2016年03月20日 06時28分22秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

今日は彼岸の中日です。
仏教行事として行われる彼岸会は、平安時代に始まったとされる、インドにも中国にもない日本発祥の行事です。
昼と夜の時間が同じで、太陽が真東から昇り真西に沈むことから、西にあるとされる浄土、西方浄土を拝むということともつながり、また、農耕とも密接に関わってきたようです。

彼岸を迎えると、渡辺たかさんを思い出します。
たかさんは、私が宿用院の住職となったときにはすでにお婆さんでした。
長年寺のために尽し、草の伸びるころを見計らって草むしりをしてくれる、ありがたいお婆さんでした。
「間もなく彼岸だものなあ」
ある年の秋彼岸、たかさんの草むしりは連日に及んでいました。

たかさんが寺に通うようになるのにはきっかけがありました。
大工さんであった夫がケガから破傷風となり、そのまま一週間ほどで帰らぬ人となった時に、たかさんのお腹には5番目の子どもが宿っていました。
社会保障もない時代、夫の稼ぎに頼っていた家族は次の日から食糧に事欠く状態となりました。
時は戦争の最中、兵隊にも行かずに死んでしまった男に対する厳しい目が、家族を冷たく刺しました。
「せめて戦死してくれたのなら」と何度思ったかしれません。
英雄として迎えられ遺族年金がもらえる家族と、何の保証もなく非国民のような扱いを受ける家族とでは、同じく夫を亡くした身でありながら雲泥の差がありました。

親戚からの援助と管理を受けながら、親子6人がそれこそ塗炭の苦しみの生活をしてきました。
「泣いてる暇なんてなかったな。子どもたちに今日何を食べさせるか、それしか考えていなかった」
「それでもどうしようもなく辛くなったときや、腹が立って腹が立ってしかたないときなどは、子どもの手をギュッと握って、よく寺にきたモンだ」
本堂のカネを思いっきり叩いて、その音がモ~ンモ~ンってだんだん静かになって、それを何回か聞いているうちにだんだん心が静まってきて、しばらくお釈迦様の前に座ってから「どーれ帰るか」と言って子どもの手を引いて家に帰っていった。

たかさんは、そんな話を草むしりの合間にお茶を飲みながら聞かせてくれるのでした。
「いつだったか、父親の顔を見たこともない5番目の息子が、産んでくれてありがとう、って言ってくれたときはうれしかったな」
そんな話もしてくれました。
彼岸の修行徳目の中に「忍辱(にんにく)」というのがあります。耐え忍ぶことの功徳です。
どうにもならない現実を受けとめ、苦しみに耐えていく、その実例のような、一人の女性がそこにいました。
90歳を超えても矍鑠とした生き方には、それなりの、いや、そうならざるを得ない理由があったのです。

「どうれもう少し」
たかさんは、腰を伸ばして立ち上がりました。
再び腰を曲げて草むしりに精を出すたかさんを、彼岸の夕陽が赤々と照らしていました。
そこはすでに西方浄土であったのだと、今思います。

自分のできることで人に尽し、戒めを守り、苦しみに耐え、務め励み、心を静め、物事をしっかり見極める智慧をもって生きる。そこが浄土、即ち彼岸になる、というのが彼岸の教えです。
彼岸になると思い出させてくれる渡辺たかさん。体をもって教えてくれてありがとうございました。
彼岸につき、菩提の圓満を祈ります。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。