なあむ

やどかり和尚の考えたこと

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ80

2016年11月06日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

おはようございます。
今日は11月6日です。

蔵王温泉にいます。
高校の同級生が勝手に集まるという企画で、男女30名が集まっています。
クラスも違う40年ぶりの再会では、全く名前も顔も分からない人が多くいました。
再会と言えるのかどうかさえ疑問です。
1月にはクラスの同級会が予定されています。こちらは顔も名前も分かると思います、たぶん。
しかし、みなさんにとって還暦というのは特別な年齢なのですね。
仕事の第一線から退く人もあるだろうし、体調に異変が出てきた人もあろうし、いわゆる老年の入り口に立ったという感慨があるのかもしれません。

「六十にして耳順ひ」とは論語の一節ですが、意味は、孔子の心境で「60歳になって人の意見に素直に耳を傾けることができるようになった」とのこと。
まあ、孔子の時代と比べて現代は随分寿命が延びたでしょうから同じではないかもしれませんが、それでも何となく納得できるような感じもあります。
がむしゃらに我を通すばかりの時期を超えて、落ち着いて色んな人の声に心を傾けることができることは確かにあるかもしれません。
因みに70歳は「従心」。
意味は、「70にして、心のままに行動しても道を踏み外すことはなくなった」とのこと。
そうか、60ではまだ、心のままに行動すると道を踏み外すこともある、ということですね。
気をつけなければなりません。

朝のお経を読んでいたりする時、「こんな感じがいつまで続くのだろうか」と、ふと考えたりします。
着実に命は終末に向かっているのであり、延びることはありません。
体調、体力が下降線をたどることも不可逆的な流れです。
もちろん、フェードアウトではなく、突然のシャットアウトもあります。
こんな風に、普通に声を出してお経が読めて、行きたいところに自分の足で移動できて、自分の手でご飯が食べられて、家族と話ができて、頭で考えることができるのはどのぐらいあるのだろうか、と考えたりするのです。
そう考えれば、もちろんそうなったらそうなった時にどうするかですが、今できることをできるうちにしておかなければ後悔するだろうと思うのです。
私などはきっと、この体型からして、死因は心筋梗塞か脳梗塞かのどちらかですから、後悔する時間もないかもしれませんが、万が一生き長らえるようなことがあれば、なぜあのときやらなかったのだろうと、60歳の自分を責めているかもしれません。
人生は短い、あっという間だと、今無性に思います。
人生を季節にたとえれば、生まれてから30歳までは春の季節、30から60までは夏、60から秋といえるでしょう。
秋もいい季節です。

天高く申も肥えます。
人から見て、きれいに紅葉しているでしょうか。
冬の到来が早いのか遅いのか分かりません。
山の頭に白いものが混じってきます。
カメムシが発生してきました。触ると臭いです。加齢臭はカメ臭?
でも、刻々と変わる景色を愛でながら、紅い葉を見たり黄色い葉を見たり、青いままの葉を見たり、お互いの変化を楽しみながら過ごしていきます。美しき変化です。
枝の葉が一枚また一枚と散って、順番は違えど、行く先は皆同じ土の中です。「落葉帰根」。
一度きりの自分の人生。全ての時間を自分の時間とするように生きようと思います。


今週はここまで。それではまた来週お立ち寄りください。